Fight C Luv

21 : 俺の全て

 伸びてきた彼の手によって強く引き寄せられた俺は、否応なく彼のすぐ隣に座らされる。

 ああもう、こんなことばっかりされてたら、心臓が持たない気がする。
 大体ここにはゆっくり休憩しろと言われて来たのに、こんなことではかえって緊張疲れするって・・・。

 などなどと、口の中だけで文句を言っていた俺の耳元で先生は、
「で、何をしようか?」
 と、意味深に声のトーンを落として囁いた。
「え、な、何って・・・」
 飛び上がるみたいにして訊き返し、赤くなった俺を見て先生は心底面白そうに笑う。
「冗談だよ、ただの冗談。こんな所でそんな、妙な事をする訳がないでしょう。したとしても ―― と先生は言いざま、俺を引き寄せて軽く口付けた ―― このくらいが限度」
「・・・っ、先生・・・!そうやってからかうの、やめてください・・・!」
 先生が座っている場所から出来るだけ遠ざかろうとする努力をしながら俺が言うと、先生は少し首を傾げる。
「別にからかってるつもりはないんだけどな」
「嘘ばっかり、・・・」
「嘘じゃないよ。でもまぁ、直って面白いよな」
「・・・面白いって・・・何ですか、それ・・・」
 俺はお笑い担当なのか?と思いながら俺が言うと、
「可愛いしね」
 と、彼はさらりと付け加え、俺の人差し指の爪の形をなぞった。
 そんな小さな、何気ない行為にも、飛び上がりそうな位に反応してしまいそうになる。

「俺は色んな面において結構飽きっぽいというか・・・、うん、まぁ、そういう所があるんだけどさ・・・、直は見ていて飽きないし、面白いよ。凄く」
 褒めているんだかけなしているんだか、判断のつかない事を独り言のように話す先生の指が、俺の指をそっとなぞってゆく。
 それはおそらく、電話の途中にその辺にあるものを意味も訳もなくさわったり、動かしてみたりするのと同じ様な行為なのだろうけれど ―― 1本1本の指や爪の形や皮膚の感覚を確かめるような触れ方に、意識が集中していってしまう。
 心臓の鼓動が内側から鼓膜を震わせる程に大きくなってゆき、隣にいる先生にその音が聞こえてしまうのではないかと心配になる。
 そしてこんな風に些細な事でドキドキしたり、ときめいたりして、それを次に会える日まで大事に反芻するように思い返している自分が情けない気もした。

「・・・はぁ・・・、どうも、ありがとうございます・・・」
 と、俺は言う。
 なんだか空気の質が妙な感じになってゆく気がしたので言ってみただけなのだけれど、俺を“面白い”と評した先生はその回答も面白かったらしく、くすりと笑った。
 どうして笑われているのか全然分からない俺は、思わず顔をしかめて、
「やっぱり、からかってるじゃないですか」
 と、抗議してしまう。
「からかってなんかいないよ」
「だって香椎先生は、いつもそうやって・・・ ―― 」
 と、言いつのろうとした瞬間に抱き寄せられ、驚きの声を上げようとした唇を強引に塞がれる。
 唐突に呼吸を遮られ、驚いて抵抗する俺を、先生は一気にソファに押し倒す。

「・・・っ、ちょ、ちょっと、先生・・・!」
「なぁ、その、先生って言うの、そろそろやめない?」
 激しいキスの後、唇を離しただけの距離で、先生が言った。
「え・・・?じゃあ・・・何て呼べば・・・?」
「何てって、普通は名前じゃないか、こういう場合。今更名字を呼び捨てにされてもね」
 どことなく優しげな目をして、先生は言った。
「・・・名前、って・・・」

 こんな怪しい体勢で、先生の顔が目の前にあって、それだけでもパニックの極みに達しそうなのに、そんな優しげな視線で見詰められたらもう・・・参りました!と白旗をあげたくなってくる。
 慌てて顔を背けようとした俺の顎に手が添えられて引き戻され、更に深く両目を覗き込まれた。

「まさかとは思うけど、いつも先生って呼んでいるから、俺の下の名前は知りませんとか言わないよな?」
「へ?いや、まさか、そんな・・・、って、先生、ちょっと離して下さい、職場でこんなの、まずいですって・・・!」
「ほらまた、先生って言う」
 ぎゅっと眉根を寄せて先生は指摘し、再び俺に軽くキスをした。
「これから、先生って1回言う毎に1回キスする事にしようか」
「な、何ですか、それ・・・!」
 からかうように笑う先生の胸を渾身の力を込めて押し返そうと試みながら、俺は言った。
「名前を呼んだらやめてあげるよ」
「そんなこと、突然言われても・・・ちょっと先生、本当にもうやめて下さい・・・!」
「君、それ、わざとなのか?キスされたいのか、もしかして?」
「ち、違います・・・ ―― っ・・・ってっ、や、や・・・ぁっ・・・!」

 話している途中でもう一度唇を奪われて、何だかもう、頭と心が朦朧としてくる。
 彼の手が白衣の上から身体の線をなぞるような動きをしているのも、意識が混濁してゆくスピードを加速させる要因のひとつになっていた。

 からかうのをやめなかった先生も、もう何も言わない。
 キスとキスの間隔が狭まってゆき、回数を重ねる毎にその深さが増してゆき、身体をまさぐるような動きも慌しくなってゆく。

 こんな所で何をするつもりなんだよ、とか、
 いくら鍵をかけているとはいえ、こんなのは駄目に決まってる、とか、
 そういう気持ちが、あっと言う間にあやふやになってゆく。
 どうして駄目なのか、俺達がいるこの場所がどこなのか、そんな現実に繋がっている事柄が取るに足らない、実に瑣末な問題であるかのように思えてくる。

 過去も現在も未来も、そんなのはあってもなくても同じだ。
 この瞬間、一瞬一瞬があればそれだけでいい、と思う。

 何がどうなろうが、もうどうでもいい。
 今、先生に触れられている、その事実の裏に流れる背徳めいた感情も全てひっくるめて、それが今の俺の、全てだった。