Fight C Luv

30 : ただ、好きなだけ

「・・・え・・・っと、ちょうどそこで、ばったり香椎先生に会ったから・・・、挨拶、してただけだよ」

 今までどこに、誰といたのか ―― 訊ねられた俺は無理矢理浮かべた笑いを顔に張り付けて、答える。

 けれど陽介はやはりにこりともせず、
「嘘をつくな」
 と、強い口調で言った。
「お前はそんな、上手く嘘をついて物事を適当に誤魔化したり出来る人間じゃないんだよ。もうやめろ。これ以上、黙って見てらんねぇ」

 きっぱりとそう決めつけられ ―― 俺はもう、何も、一言も、言えなくなる。
 畳み掛けるような口調で、陽介は続ける。

「いい加減観念しろ、直。もうかなり前から、香椎となんかあるんだろうとは思ってたしな」
「・・・、かなり前からって・・・どうして?」
 陽介の言う通り、もう誤魔化せないと悟った俺は尋ねる。
 陽介はどこから話そうかと逡巡するように視線を空間に泳がせてから、ちらりと腕時計の針の位置を確認した。

「ここんところずっと、お前はどっか屈託ある様子だったし ―― それに前はあんなに目で追ってた香椎のことを全く見なくなってたしな。
 でもそれだけじゃ確信が持てなかったから、かまかけてみてた」
「・・・かま?」
「ああ。ここ数ヶ月、香椎のシフトに合わせてお前に声をかけてみてたんだよ。案の定お前は、香椎が休みの時や日勤の時は絶対に誘いを断った」

 陽介はそこで言葉を切り、俺はやはり何も言えない。

「どうして隠さなきゃならないんだ。何を聞いてもいいふらしたりしないし、反対だってしねぇよ。
 確かにお前のこれまでの恋人はろくでもない奴ばっかりだったと思ってるし、多少なんだかんだ言ったかもしれねぇけど、一度だって変に邪魔したりなんか、しなかっただろうが、・・・・・・」

 深夜の病院の廊下はいつも、どことなくもの悲しい。
 陽介の声はその雰囲気に合わせたように、とてもとても、寂しげだった。

「・・・そうじゃない・・・、そういうんじゃないんだ、陽介・・・」
「そうじゃないなら、なんなんだよ。香椎と付き合ってんだろ?」
「・・・、違う・・・、そうじゃなくて ―― ただ・・・ただ、会ってるだけなんだ。付き合ってるとか、そんなんじゃなくて、・・・」

 俺がそう言うと、今度は陽介が沈黙する。

「だから ―― だから、言えなかったんだ。どうしても、言えなかった。・・・ごめん・・・」
 呟くように謝った俺の小さな声が ―― 抑えきれずに震えてしまった声が、酷く誇張されて暗い廊下に響き渡ったように思えた。

「 ―― 直。お前、朝一で上がれるんだよな。佐伯(さえき) ―― 悦郎のことだ ―― はどうする。会うのか」

 長い長い沈黙の後で、陽介が静かに尋ねた。
 俺は首を横に振って答える。

 そうか。と陽介は頷き、
「じゃあ、仕事が終ったらうちに来い。それでちゃんと、全部話せ。
 今日はちょうど、沙紀もいねぇしな」
 と、絶対に有無を言わせない。という口調で、言った。

 双方の仕事を終ってから陽介の暮らすマンションに向かうと、そこには沙紀さんがいて、
「わぁ、直くん!すっごく久しぶりじゃない、元気だった?あーもう、相変わらず小さくって可愛いなぁもう!」
 と言って、がむしゃらな勢いで俺を抱きしめた。

 確かに俺は背が低い(ぎりぎり160センチくらいだ)。
 それは俺のコンプレックスのひとつでもある訳だが、沙紀さんの物言いはあっけらかんとしているので、いつも全く気にはならなかった。
 それにモデルをやっていた沙紀さんに比べたら、ほとんどの男の人が“大きい人”にはならないだろう。
 170センチ以上背のある陽介すら、沙紀さんがヒールを履くと背が低くなってしまうくらいなのだ。

 だが今の問題はそこではない。
 そう、問題はこうしてことあるごとに可愛い可愛いと言って俺を抱きしめてくる沙紀さんと俺との位置関係なのであって・・・ ――

「・・・っ、沙紀さん・・・!だから胸!胸が当たってるって・・・!!」
「・・・相変わらず、失礼ね。そんな気味悪そうに言わなくてもいいじゃない」
「ごめん、でも、どうしても・・・」
「どうしても、女の人の凹凸が気持ち悪いのよねー、直くんは」
 くすくすと笑いながら沙紀さんは言い、俺の身体にかけていた手を外す。
「・・・分かってんならいちいち抱きつくな」
 いつも通りの俺たちのやりとりに、やはりいつも通りの呆れた口調で、陽介が言う。
「ところで沙紀、お前、昨日から友達の家に泊まりに行くんじゃなかったのか」
「そのつもりだったんだけど相手に急ぎの仕事が入っちゃって、急遽取りやめになったの」
「・・・そっか、・・・」

 と、陽介が微かに顔をしかめ、それを見た沙紀さんがが、なぁに、あたしがいるとまずい話?と訊き、陽介は、あー、うーん。と言葉を濁す。

「・・・そう、じゃああたし、午前中いっぱいくらい出かけてくるわ。午後にかかるようなら、連絡くれる?」
 と、沙紀さんが少し考えてからそう言ったので、俺は慌てて、別にいいよ。と口を挟む。

 どう考えても聞いて楽しい話ではないけれど、いつも忙しくしている沙紀さんを家から追い出すのは悪いと思った。
 それに陽介と同様に仲良くしている沙紀さんには、聞かれて困る話などなかった。

「・・・いいのか?」
「ホントに大丈夫?」
 と、口々に確認されるのに、うん、大丈夫。と笑って頷くと、沙紀さんは俺をリビングに案内してコーヒーを出してくれ、あたしの事はいないものと思ってくれていいからねー。と言った。

 彼女が広いリビングの片隅のソファで雑誌を読んでいる、その対角線上の部屋の隅のソファーで、俺はざっとこれまでの経過を陽介に話して聞かせる。
 感情的な事を話し出すと終われなくなりそうだったので、とにかく経過だけを、事務的に話すように務めた。
 しかしそうすると、何だか自分のとんでもなさ・・・というか、どうしようもなさがくっきりと浮き彫りになる気がしてくる。
 まあ ―― どう話したところでこんな話、とんでもないしどうしようもなさすぎる話ではある。

 話の途中で陽介は何回か質問をしたけれど、どれもさして重要な質問ではなく、ちょっとした確認の為の質問だった。
 そして俺が話を終えると、長い間、黙って自分の手を見下ろしていた。
 その話を全て聞いていたのであろう沙紀さんも、何も言わなかった。

 やがて陽介が、
「なぁ、それってちゃんと付き合って欲しいとか、言えないのか。何度も会ってるなら、それを盾に強く言ってみるとかさ」
 と、言った。
「そんな情に訴えるみたいな事をしても、先生には効かないんじゃないかな。それに俺自身、今のままでいいって思ってるしさ」
「嘘つけ」、と陽介がすぐに言う。「お前は絶対に、そんな事をいいと思えるタイプじゃないだろうが」
「そんな事ないよ」、と俺は言う。そして笑ってみせる。本当に全然大丈夫なんだよ、と陽介に伝えるみたいに。「俺は本当に、これでいいと思ってる」
「何がいいんだよ、そんなの絶対にいいわけねぇだろ。
 お前が言い辛いなら、俺が話つけてやってもいいんだぜ、それでちゃんと・・・」
「落ち着けって、陽介」
「そんな話聞かされて、どうやって落ち着けって言うんだ?俺がけしかけた部分があるだけに、責任すら感じる。
 ったく、前から冷たい男だと思ってたけど、やっぱりその通りじゃねぇか、あんな男・・・」
「やめろって、陽介。香椎先生の悪口は言うな」
 と、俺は言った。

 静かに、でも強い意志が篭った俺の言葉を聞いた陽介が、信じられない、という風に両目を見開いて言葉を途切れさせる。

「お前・・・、遊ばれてるって分かってるのに、まだあんな男を庇うのか?」
「・・・庇ってるんじゃない。ただ、好きなだけなんだ」
「・・・直、・・・」
「だから、いいんだ。俺が好きだから、それでいい。それだけでいい」

 昨日深夜の廊下で顔を合わせて以降初めて、真っ直ぐに陽介を見て、俺はきっぱりと言った。