4 : 攻めるっきゃない
「・・・なるほどね、・・・」
俺が話終えた後に流れた沈黙を破って、陽介が囁くように言った。
「あの手術に関しては、俺も香椎から意見を聞かれてたんだ。最後の方は薬の影響で、心臓も相当弱ってたからな・・・。
そうだな、確かにあの子は本当にいい子だった。この俺ですら、彼が亡くなった時はそれなりにきつかった」
普段辛辣で乱暴めいた発言をしがちな陽介が、本当は優しすぎる位に優しい人である事を、俺は知っていた。
余りに優しすぎるから傷付くのを恐れ、どの患者にも機械的な対応を心がけていることも。
けれどそれを指摘した所で素直に認めないのも知っていたので、俺は黙って頷く。
「それを見ちゃってからは、香椎先生を見かける度に目がいっちゃうのは確かなんだ。
時々・・・本当に時々だけど、笑ってるのとか見ると嬉しかったり・・・好きだってはっきりとした自覚は、実を言うと未だにないんだけど」
「・・・うーん、まぁ、世間一般的にはそういうのを好きだって言うだろうな、明らかに」
「そ・・・う、なのかなぁ・・・」
俺が今一つ納得出来ずに首をひねって言うと陽介は、相変わらずニブいなぁ・・・。とひとりごちる。
「香椎は親が病院やってて、そこで色々あったって話だし、どっか冷めた性格になっちまうのも、仕方ないかもしれないけどな」
「・・・九州だか四国だかにある病院院長の息子さんだったっけ?」
「そう、宮崎にある相当でかい総合病院らしい。
そこの相続を巡って実姉夫婦ともめて、それでこっちの病院に来たって」
「・・・そうなんだ。大変そうだよね、そういうの」
「医者の世界では珍しい話ではないけど、肉親相手ってのはきついもんだろうな。
だからこそあいつ、あんなひねくれてるんだよ」
「・・・ひねくれてるって」
「間違いなくひねくれてるだろ、この間だって外科部長の田所(たどころ)さんが香椎を脳神経外科の主任にしようとしたの、断ったりしてさ」
「え、そうなの?」
「ああ、上に行くと手術させてもらえなくなるから、絶対に嫌だってさ。大真面目な顔で、そう答えてたぜ。
確かに一線から離れると腕が鈍るのは確かだけどさ、公言しないだろ、普通。怖ぇ、っての。ひねくれてるっていうか、ある意味精神が崩壊気味なんだよ。
どう考えてもお前みたいなぼんやりしたのが太刀打ちできるとは思えないんだけど ―― まぁいいや。よぉし!」
と、陽介は唐突に両手を打ち合わせ、最後、気合いを入れるように叫んだ。
「・・・び、びっくりした、突然なに、分かったって?」
きょとんとして俺が訊くのに、
「応援してやるよ、俺も。それ」
と、陽介が勢いよく答え ―― それを聞いた俺はひっくり返らんばかりに仰天してしまう。
「お、応援って、何を言ってるんだよ。香椎先生と俺がどうにかなるなんて、あるわけないだろ!」
「これっぽっちも努力しないうちから、どうしてそんなことが断言出来るんだ」
「どうしてって、そんなの最初から分かりきってるじゃないか!そんなこと俺が一番よく知ってるし、望んだことすら ―― 望む気すらないよ、当たり前だろ!」
興奮のあまり椅子を蹴って立ち上がり、喚いた俺を、陽介は何故か今日一番、呆れ果てたという風に見上げた。
そして訊く、「・・・まさかとは思うけど、お前・・・知らねぇの?」
意味が分からずに俺は訊き返す、「知らないって・・・何を?」
「アメリカに留学中、あいつが男とつき合ってたことがある、って話」
と、さらりと陽介が言い ―― 俺はあんぐりと口を開けたまま、二の句が継げない。
そんな俺を陽介は、呆れを通り越してうんざりとした目で見た。
「おいおい、マジで知らなかったのか?これ、結構有名な話だぞ。俺はもう、当然知ってて言ってんのかと思ってたんだけど」
「 ―― そんなの、全然 ―― でも、それって、本当の話かな・・・ただの根も葉もない噂なんじゃ・・・」
「いや、一緒に留学してた奴が話してて、結構真面目に付き合ってたって言ってたぞ。本人も否定してなかったし、本当なんだろう。とはいえ実際俺は香椎がとっかえひっかえ女と付き合ってるのしか見たことないから、いわゆる両刀ってやつなんだろうけど・・・でもまぁ、ノンケよりは可能性あるんじゃねぇか?
しっかし直、お前、自分にとってこんな重要な噂を知らないって、それ、かなり問題あるだろ。もうちょっとしっかりしねぇと、あの見るからに百戦錬磨の香椎に太刀打ちなんか出来ないぞ」
「太刀打ちって・・・で、でも香椎先生って手術室看護師長の三田村さんと付き合ってるって、聞いたけど」
「ああ、そんな噂もあるな」
「故郷に綺麗な婚約者がいる、とか」
「そういう噂もあるみたいだな」
「・・・じゃあ無理じゃないか、俺なんて」
「あーあ、また始まったよ、直の“俺なんて”」
ぐしゃりと顔を歪めて、陽介は言った。
「そういうの、うざいんだって、何度言えばわかるんだ」
「・・・ごめん、でも ―― 」
「でも、じゃねぇ!」
ばん、と陽介はテーブルを叩き、俺の言葉を遮って言った。
「いいか、お前は昔から何故か自分を卑下しがちだけどな、それは間違ってる。
お前ほど影で努力してる奴を、俺は知らない ―― じゃなきゃ両親がいないハンデをおして、日本一の国立大の大学院になんか、行けるわけねぇだろ」
「・・・それは、陽介の両親が援助してくれたからだよ」
「馬鹿いってんじゃねぇ、いくら湯水の如く援助しようが、お前自身が努力しなきゃどうにもならないだろ」
「・・・それは・・・、そうだけど」
「だろ。それに昼間言われてたみたいに、お前、顔はいいんだしさ、何つったっけ、SMAPの嵐?みたいとか」
「・・・陽介・・・SMAPも嵐も、グループ名だよ。無理して知ってる単語適当に並べない方がいいよ、恥ずかしいから」
「うるせぇな、雰囲気が伝わればいいんだよ」
「なんの雰囲気だよ、全然、何にも伝わってないし」
「黙れって、とにかくお前、もっと自分に自信持って、努力しろ。あんな男を落とそうってんだから、1に攻撃、2に攻撃、3、4がなくて5に攻撃って感じで、攻めるっきゃねぇぞ、マジで」
「・・・そんなこと俺に出来る訳ないだろ、ふざけたこと言うのやめろよ」
と、俺はため息をつき、明日も早いから、と帰ろうとしたのだが ―― その後閉店したスターバックス・カフェから場所を陽介のマンションに移し、“香椎裕仁をどう攻め落とすか”というテーマで、陽介のアドヴァイスと説教を混ぜ合わせたよう話は、夜を徹して延々と続けられたのだった・・・・・・。