7 : 長すぎる期間(とき)
俺はその場でどの位、茫として立ち尽くしていただろう。
桜井陽介に部屋を叩き出されてそう時を置かない内に廊下を通りかかった他の部屋の住人に胡散臭いものを見るような目で見られ(当たり前だが)、いつまでもここでこうしている訳にはいかないと身体を起こしたので、そう長い時間ではなかったと思う。
俺はのろのろと廊下の手すりから背中を離し、いつもよりも10倍は重く感じる身体を屈め、床に散乱している紙幣を集めた。
そうして集めた紙幣を適当に封筒に戻し、その封筒をジャケットのポケットに突っ込んだところで ―― 溜息をつく。
だが溜息などついても意味などないのは、火を見るよりも明らかだった。
いや、意味がないどころか、俺には溜息をつく資格すら、ないのかもしれなかった。
どう考えてもこれは、今まで自分がしてきた自分勝手な行動に対する報いを受けているようなものなのだ。
俺のこれまでの人生における行動のひとつひとつ、その全てが少しずつ歪んでいて、その歪みが限界に達したというだけの事なのだ。
その歪みが今、俺の目の前にしっかりとした形で ―― 彼を永遠に失うという形で示されているのだ。
彼に繋がる唯一の糸は桜井陽介が握っていて、当の桜井陽介の“何を知っていたとしても、お前には教えない”という姿勢はゆらぐものとは思われなかった。
ほんの少しでも可能性があるならば努力するのをやめる気など毛頭なかったが、どういうやり方をしても桜井陽介はあの決心を覆すことはないだろう。
桜井陽介とは職場で顔を合わせて挨拶をする程度のつき合いしかしておらず、深くその性格を理解していた訳ではなかったが、俺には手に取るようにそれが分かった。
何度頭を下げても、どんなに必死で頼んでみても、桜井陽介は決して俺を許しはしないだろう。
許さないどころか、俺が努力すればするほど、桜井陽介は頑なになってゆくに違いない・・・ ―― 。
立ち上がらなければと何度も思ったが、中々立ち上がれない。
幾度も努力した果てに、俺はようやく立ち上がる事に成功し、高圧力で圧縮された鉛を詰め込まれたように重く感じる足を引きずって桜井陽介のマンションを出る。
そうしながら、何とか自力で彼の行き先を調べる方法はないものかと考えてみる ―― 探偵を雇うとか、そういう事まで、考える。
だが何だか、そんなやり方は許されないような気がした。
俺のせいで姿を消した彼を当の俺が、友人を介して彼の居場所を教えてもらうというようなやり方ではなく、金を使って雇った他人の手を使って探し出させるのは、余りにも汚い、許されない行為であるように感じた。
結果として彼を見つけ出しさえすれば何でもいいじゃないか。と主張する自分が自分の中にいるのも事実だったが、桜井陽介がああも声高に俺を責め、彼の行方を教えたがらないのには、何か理由があるのかもしれないのだ。
彼と俺を会わせては絶対にいけない、もう会わせるべきではない、その方がいいと判断するに足る理由が。
今では彼も、何よりも俺を憎んでいるのかもしれない。
もう二度と、絶対に俺の顔など見たくないと言っているのかもしれない。
そこまでではなかったとしても、もう新しい恋人がいて、俺のことなど過去の出来事になっているのかもしれない。
そう考えると、俺が一方的な感情で彼の居場所を調べて会いに行こうとしている行為が正しい事なのかどうなのか、さっぱり分からなかった。
今更この俺が、自分の、自分だけの望みで行動するのは我侭とか、自分勝手とか、そういう言葉で評される行為なのではあるまいか。
あの時、プライドなどかなぐり捨てて、何をおいても彼を手に入れるのだという意思を示さなかった時点で、俺は完全に選択を誤ったのだ。
彼と別れてから過ぎ去った半年強という月日は、過ちを正すには余りにも長すぎるし、重すぎる・・・ ―――― 。
冬に差し掛かった外気は刺すように冷たく、そこへ強い風が吹き付けてくる。
風までも、俺のどうしようもなさを責め立てているのだろうかと思った、その時。
後ろから名前を呼ばれた俺は、反射的に振り返る。
振り返ってみたそこには先程ちらりと顔を見た、桜井陽介の恋人が立っていた。
彼女はゆっくりとした足取りで俺の前にやって来て、真っ直ぐで厳しい、しかし余りはっきりとした感情の浮かんでいない目で観察するように俺を眺めてから、
「あのね、ちょっと話をしたいんだけど、つきあってくれない。そんなに時間はとらせないから」
と、言った。