9 : 約束出来ない
“この場であたしに向かって、直くんを絶対に幸せにするって、誓ってみせて。
きちんと誓って、約束してくれたら、直くんがどこにいるか、教えてあげる”
テーブルを挟んで目の前に座っている白石沙紀にそう求められ、俺は考える。
考えて、考えて、考えて・・・ ―― 考え尽くした果てに顔を上げ、俺は言う。
“そんな約束は出来ない”。
答えた声は不安定に乾き切っていて、ちょっと触れただけでバラバラに砕け散ってしまいそうだった。
情けない、と思った。
油断すると激しい震えに襲われそうなほどに、俺は自分が情けなかった。
俺はこうして限界に達するまで、大切な事に気付けないのだ。
そうだ、考えてみればいつもいつも、そうだったのだ、俺は。
言ってしまった事、やってしまった事を後で後悔して、しかし後悔しているという事実すら素直に認められず、そんなのはどうという事はない。という振りをし続けて生きて来てしまった。
周りだけではない、自分すら ―― 疑り深く、中々騙されてくれない自分自身を一番必死になって騙し続け、誤魔化して、生きて来たのだ。
それが何をするよりも情けない生き方であったのだと、嫌というほど悟らされる。
そしてそれを悟ってしまった今となっては、もう少しも、例えほんのひとひらであっても ―― 特に彼に関して、適当な事を言ったり、やったりは出来なかった。
今まで散々そうしてきて、そのせいで彼を追い詰め、傷付けてしまったのだ。
「・・・約束出来ない?」
すうっと目を細めて、白石沙紀が聞いた。
俺は緩慢に2、3度、頷く。
「彼がいなくなってからもう、半年以上の月日が経ってしまっている。彼が現在どういう状況にいるのかも分からないのに、そんな約束、出来るわけがない」
淡々と答える俺を、白石沙紀は何かを透かし見ようとするかのような視線で見ていた。
そして一旦口を閉ざした俺から視線を外さないまま、首を右側に軽く傾け、
「ふぅん・・・」
と、呟いた。
「それに正直に言ってしまえば、桜井に・・・、君の恋人に指摘されたとおり、今更彼に会いに行っていいものかどうなのか、実は良く分からないんだ。彼に会いに行って、謝りたいとか、何とか・・・そう望む事自体が俺の勝手な自己満足なんじゃないかとさえ思う。それなのに今ここで、彼を絶対に幸せにするなんて言えない。ましてや誓ったりなんか、出来る筈もない」
言葉を選びながら説明し、短い間を空けてから、俺はゆっくりと立ち上がる。
こういう答えを返した以上、長居は無用だと思ったのもあるし、彼女も桜井陽介と同様俺を心底嫌っているのだろうと思うと、どうにもこうにも居たたまれなかったのだ。
しかし向かい合って座っていたテーブルからちょうど3歩離れた所で、
「ねぇ、ちょっと待って、香椎さん」
と、白石沙紀が俺を呼びとめた。
振り返ると、白石沙紀は取り上げた一枚の紙ナプキンに何かを書きつけ、それを俺に向かって差し出した。
受け取った紙ナプキンには、見知らぬ病院の名前が書かれている。
そこに組み込まれている地名により、それが北海道にある病院であるという事が分かったが、その名前には全く覚えがなかった。
だが彼女が今、この時、俺に見ず知らずの病院名を示す理由はどう考えても一つしかない。
信じられない、としか言いようのない気持ちで、俺は彼女を見下ろした。
「・・・幸せにする、なんて適当な事を一言でも言ったら、絶対に教えないつもりだった」
と、白石沙紀は言った。
「急いで出てきたから、住所をひかえて来られなかったの。大体のところは分かるけど、番地までは覚えてないし・・・。
でも、勤め先が分かれば後はどうにでもなるでしょ?」
「・・・どうもありがとう」
と、俺は言った。
「あなたにお礼を言われる覚えはないわ。あなたの為じゃない、あたしは直くんの為を思ってるだけだから」
そっけなく、白石沙紀は言った。
「分かっている。でも、どうもありがとう」
繰り返し礼を言った俺を見て、白石沙紀はふっと表情を緩める。
「・・・試すような真似をして、悪かったわ。
あたしも来年陽介と結婚する予定なんだけど、彼を絶対に幸せに出来るか?なんて訊かれたら絶対なんて言えないし、正直、自信なんかない。でもそうする為の努力はするつもりよ。彼を一生幸せにする為の、最大限の努力をね。
・・・それに、多分・・・、多分だけど、直くんはまだあなたの事を忘れられていないんじゃないかと思うの。だからあなたも、そんな彼を幸せにする努力はして。じゃなきゃあたし、陽介に捨てられるどころじゃ済まないから」
そう言って、白石沙紀は小さく唇を歪めて、笑った。
何と答えて良いものやら分からず、俺は彼が勤めているという病院の名前を手に、黙って立っていた。
「いい子なのよ、直くんは」
少し後で、白石沙紀は独り言のように続けた。
「ちょっと・・・ううん、かなり幸せに対して懐疑的っていうか、石橋を叩きすぎて自ら破壊しちゃってるよね?っていう感じがしなくもないんだけど・・・いい子なのよ。凄く」
俺が頷くのを確認して、白石沙紀は再び小さく笑った。
そして早く行って、という風にひらひらと空中で手を振った。