Night Tripper

12 : “ヤクザらしく”

「催淫剤でも盛られたんじゃないかと、疑ってでもいたのか?それは残念だったな」
 同情めいた表情でそう言いながらも、俊輔の口元には見間違いようのない淡い嘲笑の影が漂っている。
「 ―― 嘘だ」
 感情の漂わない、どこか茫然とした声で、稜は言った。

 あの出来事について考えつくした末、そういうことではなかったかと、そうに違いないと ―― そうだったらいいと、それはこの1ヶ月強の間、唯一稜が心の拠り所として抱いてきた希望だった。
 むろん、そうではないとしたら・・・?という懼れを覚えなかった訳ではないが、しかし・・・ ――

「・・・嘘ではないけどな・・・、言わないでやった方が良かったか?」
「お前の言うことなんか、絶対に信じない。信じられるものか・・・!!」
「・・・・・・ふむ」
 まるで人事のように、俊輔は言った。
「 ―― っ、ふむって何だよそれ?!お前って奴は、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ、いい加減にしろ!!」
 その口調にかっとなり、苛立ちに任せて右足のかかとで床を蹴った稜が喚く。
 空気を震わせるような稜の大声に俊輔は微かに顔を歪め、
「・・・ったく、相変わらずうるさい奴だな。ただの相槌だ、馬鹿になんかしていない」
 と言い、興味が失せたとでも言うように表情を冷たいものに戻し、パソコン画面へ視線を落とした。
「ところで俺も暇をもてあましている訳じゃないんだ。用があるのならさっさと言ってくれ」
「よくもそんな白々しいことが言えたものだな。あんな風に突然姿を現すなんて・・・、一体どういうつもりなんだよ!」
「今日会った件について言っているのなら、あれは偶然だ」
「そんなの信じられるか!」
「信じないと言われても、本当の話だしな ―― ぱたぱたとキーボードを叩きながら、俊輔は肩をすくめる ―― あの時俺と一緒にいたのはうちの組長で、久々に会って食事をしていただけだ」

 人を食ったような俊輔のその素振りに、稜の怒りのボルテージは上限を無視したように上昇してゆく。

「小説や漫画じゃあるまいし、そんな偶然があってたまるか!」
「“事実は小説よりも奇なり”って言葉がある。聞いたことは?」
「ふざけるのは止せ!もしかしてお前は、俺を脅そうとしているのか?」
「・・・脅す、だって?何を馬鹿な・・・」
 キーボードを叩く手をぴたりと止めた俊輔が、呆れたような顔で稜を見る。
「誰が馬鹿だ。人を脅すのはヤクザの専売特許じゃないか。何が目的なんだ?金か? ―― 腐りきったもんだな、お前も」
 吐き捨てるように言った稜は、きつく俊輔を睨む。
 俊輔は大きなため息をつき、改めて稜の方へ身体を向けた。
「・・・あのな、脅しってのは行動の素早さがネタの大きさ以上に重要なんだ。本気で脅す気なら、1ヶ月以上も暢気に黙っているもんか」
「それならどうして、あんな風に俺たちに声をかけた?俺に気付いたとしても、そのまま知らない顔をして店を出て行けば良かっただろう!」
「・・・まぁな、確かに多少からかってやろうと思ったのは認めるが・・・、それだけだ」
 右の耳たぶをひっぱるようにしながら、俊輔が言った。
「“多少からかってやろうと思っただけ”?そんなふざけた理由で納得する奴がいたら、お目にかかりたいね!」
 力任せに拳で壁を叩き、稜が叫ぶ。
「本当のことを言え、お前は俺をどうする気なんだ!」
「 ―― からかったのは謝ってやってもいい。だが今日のことは飽くまでも偶然だし、目的も何もないと・・・ ―― 」
「それが信じられないって、言ってるんだ!!」

 乱暴に説明を遮られ、俊輔は口をつぐんだ。

 そうして睨みあったまま、どれくらいの時間が経っただろう。
 ずいぶんと長い時間だったように稜には思えたが、長くても1、2分くらいのものだったのだろう。

「 ―― ひとつ、お前に訊ねたい」
 沈黙を破った俊輔が、奇妙な口調で言う。
「お前は一体、ここへ何をしに来たんだ?」

「・・・な、何って」
 流れた沈黙の長さの分だけ纏う剣呑さの度合いを増した俊輔に、内心少し怯えながら、稜が言う。
「・・・だから、つまり・・・、どうして今日になってまた姿を現したのか、その目的を聞きに・・・」

「だからそれには答えたよな。今日のことは偶然だと ―― しかしそれを信じないと、お前は言う」
 地を這うような低い声で俊輔は言い、ぐっと言葉に詰まった稜はその場に立ち尽くす。
 俊輔は続ける。
「使った薬は睡眠薬だと言ったのも信じない。脅す気がないと言ったのも、何ら目的はないと言ったのも信じない ―― つまりお前は俺の言うことを、何一つとして信じないんだよな。
 だったらお前がわざわざここへ来る意味はどこにある?家で独り言でも言っていればいいんだ、違うか?」

 何か言い返さなくてはと稜は思ったが、俊輔の指摘に反論の余地は少しもなかった。
 半分ほど口を開けた状態で沈黙する稜を眺めていた俊輔の唇の端が捻じ曲がるように上がり、笑いの形をとる。

 それは見るものを凍りつかせるような、壮絶な微笑みだった。

「いい加減俺もむかっ腹が立ってきた。いいぜ、受けて立とうじゃないか」
「・・・な、なにを・・・」
「“あの日”薬を使ったりしていないって、きちんと証明してやるよ ―― ついでにお望みどおり、お前を脅してやる。“ヤクザらしく”な」