13 : 恐怖の再来
「 ―― 帰る」
稜は言い、大きなスライドで居間のドアへと向かう。
「伊織」
俊輔がどこか歌うような口調で、稜を案内してきた時のまま部屋の隅に控えていた相良を呼んだ。
サバンナの草むらから獲物を狙って這い出る豹のような動きで、名を呼ばれた相良がドアノブに手をかけようとした稜の前に立ちはだかる。
「通してくれ。もう話は終った」
優に頭二つ分は大きい相良を見上げて硬い声で言った稜の上腕部を、相良が無言で掴む。
離せ、と強く抗議してみるも、ガラス玉のように感情の見えない相良の視線は、稜を見てもいなかった。
恐らく稜の背後、カウンターに向かって座っている俊輔の指示しか見ていないのだろうが、それでも逃げる隙が全く見出せない。
プロの格闘家もかくやというような体格の相良に稜の抗議などまるで通用せず、稜はあっという間に居間の中央に引きずり戻される。
「・・・な、何をする・・・!」
引き戻された居間の中央、革張りのソファに突き飛ばされ、流石に冷静な風を装っていられなくなった稜はすぐさま身体を起こそうとした。
が、立ち上がるより先に相良が覆いかぶさるように稜の身体をソファに押さえつける。
稜の背筋を、ざわりとした悪寒が走る。
そもそもここに来た最初の段階では、話は玄関ですると主張した稜だった。
当然のことながら、このマンションで俊輔と二人きりになるのなどごめんだと思ったからだ。
しかし俊輔の職業や立場柄、不特定多数の人間が出入りするマンションの廊下などで長話は出来ない。と説明され、仕方なくここまで来たのだ。
それに、一応顔を見知っている相良が自分も同席すると言ったという理由もあった。
部下の目前であの夜のような無体な真似は出来ないだろう、と考えたのだが ―― 普通に考えれば当然というような認識すら、彼らの前では通用しないのだと、稜は絶望的に考える。
渾身の力を込めた抗議をことごとく封じられ、こんなことをしても無駄だと頭では分かっていても、抵抗をやめられない。
そんな必死ではあるがあまり意味のない短く激しい攻防の末、どこをどうされたのか、ソファの上にうつ伏せに押さえ付けられた稜の身体は全く動かなくなる。
常に痛みを感じるほど強く身体を押さえられている訳ではない。むしろ相良の手足は一見、無造作に稜の身体を押さえているに過ぎないように見えた。
しかしそうかと言って少しでも身体を動かそうとすると、ねじ上げられた両腕の筋肉が引きちぎられるかのような痛みが稜を襲う。
何らかの特殊な体術でも習得しているのだろう、普通に呼吸をするだけでも背中の筋が攣りそうになる。
浅い呼吸を繰り返しながら視線だけを上げ、稜は俊輔を見た。
俊輔は部屋で起こっている騒ぎなど聞こえていない。というような涼しい顔をして、ノートパソコンに向かっている。
まさか今回は、今こうして自分をソファに押さえつけている相良に自分を犯させようというのか、と稜は言いようのない不安と共に考える。
ここで ―― 俊輔の目の前で・・・?
まさかそこまではしないと思いたいが、この状態では希望を抱くこと自体が虚しい。
前回どんなに頼んでも陵辱の手を緩めようとしなかった俊輔が、2回目の今回は稜の懇願に耳を貸してくれるとは到底思えなかった。
これから何をされようとしているのか分からない恐怖と、未だ見たことも聞いたことも、想像したことすらない世界に引きずり込まれそうになっているという不安に、止めようもなく心が震え出す。
その心の震えが、身体に表れそうになった頃 ―― ノートパソコンのディスプレイを音をたてて閉じた俊輔が立ち上がり、ゆっくりとした足取りでソファへと近づいて来る。
痛みなどどうでもいいとばかりに、再び手足を捩らせて激しい抵抗を示す稜を無視し、俊輔は顎をしゃくるようにした。
身体を起こした相良が、心得たように稜の上半身の自由だけを奪った状態で俊輔に場所を譲る。
同時に身体をひっくり返され、その刹那、全身に鋭い痛みが走り、稜は短い悲鳴を上げて顔を歪めた。
痛みは一瞬で消えたが、その隙をつくように俊輔が稜の足の間に身体を入れてくる。
相良に犯されるのではという恐怖は去ったようだが、良かったと安堵出来る状況ではもちろんなかった。
「や、やめろ・・・!もう絶対に、二度と、あんなことは ―― 許さない、絶対・・・っ、絶対に許さないからな、俊輔・・・!!」
「お前に許してもらおうなんて、はなから思ってないさ」
言いざま、俊輔は全体重をかけるようにしてすらりと細い稜の身体にのしかかった。
もう身じろぎすら出来ず、吐息で肌が濡れるような至近距離で顔を覗き込まれ、居たたまれずに稜は瞼を伏せる。
全体的に色素や皮膚の作りが薄い印象の作り物めいた稜の表情が、隠しようのない困惑と恐怖に青ざめていた。
その様子は俊輔の劣情の炎に、油を注ぐような効果しか与えなかった。
衝動に突き動かされるように、俊輔が稜に口付けてゆく。
唯一自由になる頭を逸らすようにして抵抗する稜の顎から頬にかけてを強く押さえ、俊輔は更に激しくその唇を貪る。
頭すら動かせなくなった稜はあの夜同様、口内を蹂躙する俊輔の舌に噛み付こうとした ―― が、その寸前に俊輔が慌てたように身体を起こす。
「・・・おいおい、怖いことをするな」
唇を濡らす唾液を手の甲で拭うような仕草と共に、俊輔が言う。
「・・・こんな非人道的なことをしようというお前にも、怖いなんて感情が残っているのか」
もう少しで舌を噛み切ってやれたのにと思いつつ、必死で精神を奮い立たせた稜が、察しよく身を引いた俊輔を睨み上げる。
「だったらもう馬鹿な真似はやめろ。二度と俺にあんな真似はさせない・・・・・・!」
「違う、そういう意味じゃない ―― 伊織の前で、一滴でも俺の血なんか流させてみろ。一瞬で命がなくなるぞ」
「・・・・・・っ、お、脅しているつもりか・・・!」
「脅しかどうかやってみればいい・・・と、言いたい所だが、死体の処理は年々面倒になる一方なんでね。自重してくれると有難い」
物騒なことを噛んで含めるような優しい口調で言った俊輔の手が、さりげなく稜の下肢へと伸びた。