15 : お門違い
目を開けた稜の視界にまず飛び込んできたのは、凝った装飾が施された天井だった。
暫くの間、息をつめるようにして辺りの雰囲気を伺い、側に人の気配がないらしいことを確認してから、稜は顔を巡らして周りを観察する。
重厚なカーテン。
磨きこまれたベッドサイド・テーブル。
その上に置かれた、ガラス・シェード付きのランプ。
部屋の隅に置かれた、円形のコーヒーテーブル。
その上に無造作に重ねて置かれた、数冊の本と雑誌。
毛足が長く、肌触りのよさそうな絨毯・・・ ――――
深いため息をつきつつ身体を起こした稜は、声もなく呻いて再びベッドに身を沈める。
全身が気だるく、身体のあちこちが軋むように痛んだ。
あれから、どれほどの時間が経ったのだろう。
時間の経過どころか、日数の経過すら定かではなかった。
相良に押さえつけられたまま俊輔に犯され、その後ベッドに移動させられ ―― 一体幾度抱かれたか。
1回や2回ではないことだけは確かだったが、数えたくもないし、考えたくもなかった。
その間に数回、入浴させられた ―― 気もする。
食事をとらされた ―― 気もする。
だがその記憶は全て曖昧模糊としていて、いくら考えてみても、真実と悪夢の境界線が引けない。
間違いないのは、何日かけてなのかは知らないが、数え切れないほど俊輔に抱かれたことと、今現在、稜の身体は綺麗に清められていて、記憶がない以上、それをしたのは俊輔だろうということだけだ。
再度盛大なため息をついてから稜はゆっくりと注意深く身体を起こし、コーヒーテーブルと揃いの椅子に掛けられていた服を身につけた。
そして幾度か躊躇った後、恐る恐るリビングに続くのであろう寝室のドアを小さく開けてみる。
細長く切り取られたリビングの中央には、革張りのソファに座って手にした書類に目を通している、三枝の姿があった。
「 ―― お目覚めになられましたか」
寝室の扉が開かれる微かな音に顔を上げ、稜の姿を見た三枝が言う。
「どうぞこちらへおいで下さい。お食事をご用意致しますので」
「・・・食事は結構です。それより、今日が何日なのか教えて下さい」
リビングに俊輔の姿が見えないことを確認してから寝室を出て、稜が言う。
「それと、現在の時刻も」
「・・・それを知ったところで、あなたに何の意味があるんです」、と三枝は言った。
「意味があるかないか、それはこの俺が決めることだ」、と稜は言い返した。
三枝は呆れ果てたように首を横に振ってから、ため息混じりに口を開く。
「今日は11月30日、月曜日です。時刻は ―― と三枝は腕を上げて時計を確認する ―― 午前10時43分27秒」
回答を聞いた稜は、きつく唇を噛む。
完全に会社を無断欠勤していることになる。
「 ―― 帰ります。俺の鞄はどこです?」
「あなたの荷物でしたら、全てあちらの部屋に運ばせましたが・・・、しかしあなたは当分、帰ることなど出来ませんよ」
「何ですって?」
「とりあえずお座り下さい。会社のことでしたら心配は無用です。既に連絡をしてありますので」
「連絡?」
「流行のインフルエンザに感染して重篤な状態になったあなたは、当分の間、入院することになります」
三枝の言葉を聞いた稜は、半分口を開けたような状態で茫然と立ち尽くす。
インフルエンザで重篤?
当分の間、入院?
この俺が・・・?
「・・・一体何の話をしているんだ。意味が分からない・・・」
「もちろんそれはあくまでも建前で、その間、あなたはここにいることになります。
この部屋の中では、基本的に自由にしていていただいて構いません。生活に必要そうなものは一応揃えておきましたが、他に欲しいものがありましたら遠慮なくおっしゃって下さい。外部に連絡がとれるようなもの以外でしたら、ご希望に沿うように揃えさせます。
食事は1日3回外から運ばせますが、苦手な食材がありましたら・・・」
「ちょっと・・・、ちょっと待ってくれ・・・」
太陽は東から昇って西に沈むとか、水は高い方から低い方に流れるとか、そういう誰もが知る事実を小学生の子供に説明しているような口調で続いてゆこうとする三枝の説明を、稜は手を上げて遮る。
「ここで暮らすなんて、俺は一言も言っていない」
「それはそうでしょう。そもそもあなたの意見は訊いていませんから」
当然だ、とでもいうように三枝が言い切り、稜は再度言葉を失う。
紙のような顔色になった稜を見上げ、三枝は説明を続ける。
「苦手な食材があるようでしたら、最初におっしゃって下さい。食べたいメニューなどがありましたら、それも遠慮なくお申し付け下さい。
ああ、そして入浴は必ず、毎日午後9時までには済ませておくように、とのことです」
「はぁ?何です、それは?」
意味が分からずに顔を顰め、稜が訊き返す。
「そのくらいの時間には、辻村が帰りますので」
三枝の回答を聞き、それが何を意味しているのか理解した瞬間、稜の白かった顔へ血が上ってゆく。
「・・・な、何だ、それ・・・、何を言っているんだ、あんたたちは!?頭がおかしいんじゃないか・・・!」
上げた右手で額を押さえながら、稜は小さく叫ぶ。
「世間一般的に見て・・・、そんな・・・、そんなことが許されると思うのか・・・!」
「 ―― 志筑さんも先刻ご承知の通り、私たちは“世間一般”からは遠くかけ離れた世界に生きております。
それに言わせていただければ、私は何度もあなたに、後悔したくなければ早く手を引けと言ったはずです。それを全て無視したあなたの選択が、今ここにあなたを導いて来ているのではないですか。今更そんなことで私に文句を言うのは、お門違いというものです」
冷たく突き放すように三枝が言い、稜は力なくソファに腰を下ろす。
なんだかもう、何を言っても無駄な気がしてきた。
いや、“気がする”ではなく、明らかに無駄なのだろう。
普通に通じる言葉や常識が、全く通用しない世界なのだ。
「 ―― いつまで、こんなことを続ける気なんだ?」
膝の上で組み合わせた自分の手を見下ろしながら、稜が訊く。
「さあ・・・明日までか、明後日までか ―― 1年後か、2年後か・・・、そこは辻村の気分次第ですから、私には何とも答えようがございません。
他に何かご質問は?」
酷く冷めた目で稜を見据えながら、三枝が訊き返す。
下を向いたまま、力なく稜は首を横に振る。
言いたいことがない訳ではなかったが、言う気力が完全に失せ果てていた。
頷いた三枝が、食事の用意をさせます。という言葉を残してリビングを出て行く。
一人残された稜は、長い長いため息をつき、両手で頭を抱えた。