23 : 激昂と憧憬
「稲葉連合会・・・?」
三枝の報告を聞いた俊輔は声色こそ変えなかったものの、その顔からは一瞬にして血の気が引いてゆく。
「・・・はい。いくつかの所有者を経由させてはいますが、車は稲葉連合会所有のもので間違いございません。現在宮内が使用しているらしいとの情報も、あわせて入っております」
淡々と三枝が続ける言葉を聞く俊輔の表情が、堪えきれないというようにぐしゃりと歪んだ。
「・・・お待ち下さい、どちらへ行かれるおつもりですか」
歪んだ表情はそのまま、部屋を飛び出そうとした俊輔の行く手に素早く身体を割り込ませ、三枝が問う。
「稲葉連合と宮内が動いているのなら、行く先は本家だろう。どけ!」
怒鳴った俊輔が三枝の肩を横に突き飛ばすようにしたが、三枝は何とか踏みとどまる。
「どうか落ち着いてください。本家にどのような人間が集められているのか、どういう状況になっているのか ―― 分からないまま若が乗込んでどうなると言うのです?
只今急ぎ向こうの状況を調べさせておりますので、30分ほどご辛抱を」
「30分だって?30分もあれば人間一人ぐらい、どうにでも出来るだろうが!どけと言ったらどけ!」
「いいえ、どきません」
「三枝!殺されたいか!」
言葉だけではない、本気の殺気が漲る視線で俊輔は三枝を睨んだが、三枝はそれを真っ向から受け止めて、表情ひとつ変えない。
「殺したいのでしたら、どうぞお心のままに。しかし例え殺されたとしても、本家の状況が判明するまでの間、私はここをどきません」
そう言い放った三枝と俊輔は、暫くの間無言で睨み合っていたが ―― やがて見るだけで人を殺せそうな視線にも全く動じる素振りを見せない三枝に匙を投げた俊輔は、掴み上げていた三枝の胸倉を荒々しく突き飛ばすようにした。
壁にもたれた身体をゆっくりと起こした三枝は乱れた襟元を直しながら、
「私はあなたがもう少し、頭のいい人間かと思っていましたが」
と、言って深いため息をつく。
上げた右手で両目を覆うようにしていた俊輔が、剣呑な光を目に宿して顔を上げる。
「何だと?お前、誰に向かって物を言っている」
「・・・私が何を言いたいのか ―― 分からないとは言わせませんよ。
あの志筑稜という男を、どうなさるおつもりなのです。そろそろ、我々にきちんと説明していただきたい。
いや、何よりも若、あなたが自分自身にきちんとした説明が出来るよう、考えておかなければならなかったのではないですか、こんな事態になる前に」
きっぱりと三枝は言い、俊輔は黙り込んだ。
三枝は再び、長すぎるほどのため息をついてから続ける。
「我々極道が一般人に手を出したら、その対象がどういう危険に晒されることになるか ―― それを誰より、身をもって知っていらっしゃったのはどなたでしたか?
欲したものを欲するままに手に入れ、その後先を考えない ―― そういった行為を憎んでいらっしゃったのは、どなたでしたか?
“極道は堅気に手を出すものではない”などと言うのは、今ではおとぎの国の中で見る、甘い夢の世界限定の話でしかなくなっている。それは若も重々ご存知のはず ―― まさかとは思いますが、自分とその周りだけは大丈夫だろうなどと・・・、もしくは起こるかもしれない危険の可能性を我が身のこととして考えられなかったなどと、そんな楽観的かつ能天気なことだったなどとはおっしゃらないでしょうね?」
「うるさい・・・!そんなことはお前に言われなくても分かっている・・・!」、呻くように俊輔が言う。
「そうでしょうか。全く分かっていらっしゃらないように見えますが」、独り言のように三枝が言う。
重苦しい沈黙が、三枝の執務室の床にしんしんと降り積もってゆく。
その部屋にいた誰もが、何も言わなかった。
「あの男を無事助け出せたら、彼にはもう関わるべきではない ―― あの男はあなたに、いい影響を与えない」
長い沈黙を破り、三枝が小さく呟く。
それは本当に、普通なら聞こえない程度のとても小さな声だったが、深夜に鳴り響く汽笛のように部屋の空気を振動させる。
きつく唇を噛んだ状態で俊輔は俯き、その後暫くの間、何も言わなかった。
だがやがて表情を普段どおりのものに戻して顔を上げた俊輔は、
「10分後に本家に向かう。それまでに状況を全て把握して、しかるべき準備をしろ」
と、平坦な声で命令した。
「 ―― ちょっときつすぎるんじゃないのか。相変わらずブリザード吹きすさぶみたいな意地の悪い説教をするよな、お前は」
2人のやり取りを黙って見聞きしていた永山が、俊輔の後姿が扉を隔てて繋がる社長室に消えるのを見送ってから言った。
「お言葉を返すようですが、これは全て豪さん仕込みです」
電話で部下に2、3の指示を出した後で、三枝が答える。
「・・・そうかねぇ、元々の仕様なんじゃないかと思うがなぁ・・・。
ま、それにしても珍しいよな。お前があそこまで感情的になるのは」
「そうですか」、否定的に、三枝が言った。
「そうだろう」、断定的に、永山が言った。
永山の指摘を聞いた三枝は、少しの間言い返そうかどうしようか悩んでいるようだったが、やがて緩慢なやり方で首を横に振る。
「・・・恐らくあの志筑稜という男には、若が切り棄ててきた過去に対する憧憬や渇望や羨望・・・そういうものの全てが凝縮されている ―― それゆえの執着なのでしょう。私はね、不安なんですよ、豪さん」
「俊輔はもうどんなに足掻こうが、この泥沼から抜け出すことなんて出来やしない。それは本人が一番良く分かっていると思うが ―― お前が不安なのは、相手が堅気だからか」
と、永山が訊く。
「それももちろんありますが・・・、それだけではありません」
と、三枝は物憂げに答えた。