Night Tripper

27 : 無駄な抵抗

 呼吸をすることすら憚られるような緊迫した空気が満ちるリンカーン・コンチネンタルが停車したのは、新宿のはずれにある「道明寺医院」という名の、小さな個人病院前だった。

 2階にある診察室に連れて行かれた稜は、待ち構えていた道明寺という名の医師に有無を言わせない勢いで血液を強奪される。
 次いで“気分はどうだ”だの、“どこか不快な部分や、違和感を感じる部分はないか”だのと訊かれつつ、身体のあちこちを細かく触診される。

 気分は俊輔に乱暴な扱いをされ続けたここ数ヶ月の間ずっと最悪だし、不快といえば今の自分の意思を完璧に無視され、説明すらされずにいる現状が何より不快で違和感たっぷりだと声を大にして訴えたい稜だった。
 何やら不穏で危険な可能性がこの身に近づいて来ているらしいというのに、当事者である本人に何も説明がなされないのだ。こんなのはどう考えても、理不尽極まりない。
 一から十まで、全てを説明しろ。などという贅沢は言わない ―― しかしせめてざっくりとした事の概要くらいは教えてくれてもいいのではないか?

 そうは思ったが、稜は何も言わなかった。
 処置室の出入り口の前に険しい顔をした俊輔が立ちはだかっているこの状況で、その説明を一介の個人病院の院長(なのだろう、たぶん)に求めるのは酷というものだろうと思ったからだ。

「 ―― 特に問題はないと思うけどな・・・」
 診察後、30分ほど経って出てきた血液検査の結果報告書を見ながら、道明寺という医師は言った。
「・・・『思う』?」
 噛み付くような勢いで、俊輔が言う。
「お前も一応プロなんだろう。だったらそんな適当な言い方をするんじゃない」
「適当って言われてもねぇ・・・」
 右手の人差し指でこめかみを掻きながら、道明寺は首を傾げる。
 年齢は40代半ばから後半といったところだろうか、俊輔や三枝の厳しい視線やその背後にいる強面の舎弟の存在感が全く堪えていない様子だった。
「そもそも、そっちの説明が漠然としすぎているんだ。それなのにその結果だけはっきりさせろって言われても・・・そりゃあ無茶振りもいいところだって、逆の立場なら思わないか?」
「・・・ふざけるんじゃない」
「別にふざけてるつもりはないけど」
「そう見えるが?」
「ふぅん、そう見えるならそうなのかもね」
「・・・こんなちっぽけな病院のひとつやふたつ、潰すのなんか訳ないんだぞ。分かってんのか」
 眉間のしわを更に深いものにして、俊輔が凄んだ。
「こんな小さな個人病院を潰して気が済むようなら、大成はしないよ、若頭さん」
 のほほんとした雰囲気はまるで揺るがさず、道明寺が言って笑った。
「そもそも、毒の特定っていうのは専門家でも難しいんだよ。細かい状況が何も分かっていないのなら、尚更だ」
「ど、毒?!」
 突如出てきたとんでもない単語に驚いた稜は口を挟んだが、
「症状が出るまで分からない、って?」
 と、俊輔はそれを無視して訊ねる。
「そうは言わない。血液検査の結果も正常だし、気分も悪くないようだし、大丈夫だろうとは思うよ。
 とりあえず今日は帰って、気分が悪くなったりしたらすぐに連絡をくれればいい」
「冗談じゃない、もし使われたのがアマトキシン類なんかだったら、症状が出るまでに時間がかかるだろう。しかも症状が現れた時点でアウトだ」
「 ―― アマトキシン、ねぇ・・・滅多にないと思うけど・・・。
 しかし若頭さん、もしかしてあれから毒物の勉強をしたのか?相変わらず勤勉だねぇ」

 誰も自分の言うことに耳を傾けない状況に、虚しさを通り越して侘しさすら感じた稜は、
 そういえば俊輔のマンションの例の書庫に、やたらと詳しい毒物についての本が揃っていたよな・・・。
 と、ぼんやりと思いつつ、交わされる会話に耳を傾けていた。

 しかし、
「とにかくこいつは今夜一晩、ここに預ける。明日の午後まで様子を見てくれ」
「はいはい」
 というやり取りを聞いて、顔を上げる。

「おい、勝手に決めるな、そんなこと。俺は家に帰る」、と稜は言った。
「駄目だ」、と俊輔は言った、「今日は土曜なんだから、ここにいても問題はないはずだ」
「そういう問題じゃないだろう!俺の意思はそこに反映されないのかよ!」
「されないね」
「な ―― っ、ふ、ふざけるな、お前・・・って、ちょっと待て、話はまだ終ってない!俊輔!」
 稜は喚いたが、俊輔は構う事無く踵を返して診察室を出て行ってしまう。
 道明寺に目礼をした三枝がその後を追って行き、部屋にいた舎弟がそれに従う。
 頭にきた稜はすぐさまその後を追おうとしたが、伸びてきた道明寺の手に腕を掴まれて振り返る。

「あの人がああいう言い方でものを言ったら、もう何をしようが無駄」
「でも・・・!」
「部屋の外にも舎弟が残っているだろうし ―― 恐らくこの病院の外にも相当数、いると思うよ。
 腕に相当の覚えがあるとかなら止めないけれど、君はそうは見えないし・・・余計な怪我の治療もしたくないから、とりあえず今日は泊まって行きなさいよ」
「・・・・・・はぁ・・・・・・」
 ため息をついて、稜は再び椅子に腰を下ろす。
 そんな稜を暫く観察するような目で眺めていた道明寺が、ちらりと戸口に目をやってから立ち上がる。
「とりあえず、上に行こう」
「上?」
「外見からは2階建てに見えるけど実は3階建てになっているんだよ、ここは。結構居心地のいい部屋があるから、今日はそこで休むといい」
「・・・すみません、突然こんなことになって」
「いやいや、慣れてるから」
 にっこりと笑って道明寺は答え、処置室を出る。
 彼の言っていたとおり部屋の外には数人の舎弟が待機していたが、道明寺が2、3言声をかけたのに頷いた彼らは、3階に向かう稜たちに着いて来ようとはしなかった。