Night Tripper

28 : 一般論ではないところ

 案内された部屋はキング・サイズのベッドが備え付けられ、綺麗なバス・トイレ付きの、想像以上にきちんとした部屋だった。
 と、いうかむしろこれは、個人病院の病室にはとても見えない。

 住宅街の一角にある病院だが、何か特殊な病院なのだろうか。
 組関係専門の病院とか・・・よく分からないが、そういう病院が世の中にはあって、ここはそういう所なのかも知れない。

 一通り部屋の使い方などを説明した道明寺が部屋を出て行った後、改めて室内を見回ってみた稜はそう考え、考えながらそっと窓の外を覗いてみる。
 道明寺は外にも舎弟がいるだろう。と言っていたが、見下ろした道路や病院の敷地内にそれらしい人影はない。
 部屋にあるどの窓から見てみても、人のいる気配はなかった。

 1時間ほどしてから食事を運んできてくれた道明寺にそう言ってみると、
「そりゃあ見てすぐ分かるような見張り方はしないよ、彼らはプロだからね」
 と、彼は笑った。
「なに、もしかして、逃げ出そうとか思ってた?」
「・・・そ、そんな、まさか」
 ぎくりとして稜が言うと、道明寺は声を上げて笑い、手近な椅子を引き寄せてそれに腰を下ろす。
「まさかでもないんだろう。面白いね、君 ―― 志筑くん、だったっけ。とても極道には見えないけど・・・やっぱり関係者なのか?」
 と、言われて稜はぶんぶんと首を横に振る。
「とんでもない、俺は飽くまでも普通の、しがない会社員ですよ。俊輔とは学生時代の同級生で・・・ちょっとした知り合いなだけです」

 稜の言葉を聞いた道明寺は、何も言わずにじっと稜の目を覗き込むようにした。
 その視線の芯にはどこか、相手の心の奥底を見透かしているような雰囲気があり、稜はそれ以上何も言えなくなる。
 黙ってしまった稜にそれ以上突っ込んで訊ねようとはせず、道明寺はゆっくりと口を開く。

「・・・俺もあそこの若頭とは長い付き合いになるけど、あの人があんなに感情をむき出しにして焦ってるのは初めて見たからさ。少しばかり驚いたんだよね・・・殆どいつも、能面みたいに表情を動かさない、恐ろしい人なんだ」
「そう・・・なんですか?」
 と、稜が訊く。
「そう ―― 無慈悲で、冷徹で、残酷で・・・容赦がない。六本木・赤坂近辺であの若頭に逆らったら終りだって聞く」
 と、呟いた道明寺だったが、すぐに表情を明るいものにして顔を上げる。
「でも、君には違うのかな?確かにあの若頭を名前で、しかも呼び捨てにしていたしな。
 あの人が5年くらい前に辻村組の筆頭若頭に就任して以来、彼の名前を呼ぶのは禁じられているみたいな節があったから・・・その点でも驚いたんだ、実は」
「まぁそれは・・・昔からそう呼んでいたので」
「あの人が、怖くはない?」
「ええと・・・、まぁ色々ありまして、怖いというか、何というか・・・、怖いのもありますが、それより何よりムカつきますね、自分勝手だし。
 ―― ところでさっき、毒がどうのこうのっておっしゃっていましたが・・・、あれはどういう事なんですか?」
 これ以上続けると余り触れたくない方向に話が行ってしまう気がして、さりげなく稜は話題を変える。
「・・・何も説明されていない?」
 内心はどう思っているのかは分からないが、稜の話題の転向に合わせて道明寺が訊き返す。
「はい、全く何も」
「それなら詳しいことは勝手に話せないけれど、簡単に言うと駿河会は大きな組織だから、内部には上手くまとまっていない部分があって、その間に志筑くんが巻き込まれた感じになるのかな。特に辻村組は駿河会前会長の奥さん関連と色々あってね・・・」
「駿河会前会長の奥さんっていうのはもしかして、駿河麗子っていう名前の女性ですか?」
 と、稜は訊く。
「そうだけど・・・」
 と、答えた道明寺の表情が曇る。
「志筑くん、駿河麗子と面識があるのか?」
「面識と言っても、今日初めて会ったんです。宮内っていう人に連れて行かれて」
「・・・宮内さんか・・・、なるほど、そこがラッキーだったんだな」
「ラッキー?」
「ああ、あの人は稲葉連合会の主要幹部の一人だけれど、比較的穏健な方なんだ。宮内と同じ役職についてる男で、金山ってのがいるんだけど、そっちが出て来ていたら危なかったね」
「危ないって・・・、乱暴な人なんですか?」
「と、言うより、頭のネジが数本トンじゃってる、ヤバい奴なんだよ。ナチス・ドイツとヒットラーに心酔している、マッド・サイエンティストチックな男でね」
 難しい顔をして道明寺は言い、腕を組む。
「・・・そういえば俊輔の書庫には毒の解説書やら解毒法やらの本と一緒に、ナチス・ドイツ関係の本も相当ありました」
 稜が言うと、道明寺はそっか・・・。と呟き、どことなく切なげに笑った。
「 ―― ま、とにかく君は一般人なんだから、あまり詳しいことは知らない方がいいと思うし、あまり首を突っ込まない方がいいよ。
 今回、何が起こって君が巻き込まれかけたのかは知らないけれど、基本的に駿河会、特に辻村組は一般人不干渉って規律がしっかりしているから、君が自分からちょっかいを出さない限り放っておいてくれるはずだ。若頭と同級生だったなんてことは綺麗さっぱり忘れて、平穏に生きて行くべきだ」
 しんみりと道明寺がそう言い、稜は一応小さく頷いたが ―― そこで初めて、稜は自分がとんでもない過ちを犯したのだという事実を、本当の意味で痛感した。

“私の忠告を全て無視したあなたの選択が、今ここにあなたを導いて来ているのだ”
 と稜を糾弾した三枝の言葉が、今になってしんしんと心に沁みてくる。

 三枝が会う度に自分に冷たく睨むような視線を投げかけているその意味が、漸く分かった気がした。

 道明寺医院に俊輔が再び姿を現したのは、翌日の夕方だった。

 道明寺が淡々と、稜の体調になにも変化はないこと、念のため再度行った血液検査の結果も全く正常であること、などを俊輔に説明する。
 その説明を聞いてほっとした稜は、これ以上の長居は無用とばかりに立ち上がり、
「じゃあ俺は帰らせてもらう」
 と、言ったが、俊輔がすかさずその行く手を身体で阻むようにして止める。
「駄目だ。お前は暫く、俺のマンションに来るんだ」
「 ―― 何だよそれ、冗談じゃない、どうしてそんな・・・」
「ごちゃごちゃ言わずに、お前は大人しく言うことを聞いていればいい」
 叩きつけるように俊輔が言い、その高飛車な言い方に稜は思い切り顔を顰める。
「そういうことはしないって、約束したじゃないか・・・!」
「“一応気にしておく”とは言ったが、約束をした覚えはない」
「馬鹿馬鹿しい、そんな子供だましの詭弁が通用するかよ!俺は家に帰る!」
 カッとして怒鳴る稜の顎を、伸びてきた俊輔の手が激しい動作で掴み上げる。
「黙れ、それ以上口答えをするのなら、この場でひん剥いて犯してやる ―― いつもみたいに」
「・・・な・・・ ―― っ、・・・!」
 一瞬にして真っ赤になった稜の視線の先、俊輔の背後でそのやり取りを聞いていた三枝が何かを言おうとするように口を開いた。
 が、まるでそれを見ているかのように俊輔が怒鳴る、「三枝!なにも聞く気はないからな!」
「・・・ ―― 私はなにも言っていません」
 呆れたように三枝が言い、荒々しく稜の顎を離した俊輔が固まったまま何も言えないでいる稜を抱き抱えるようにして診察室を出て行き、その横にいた相良が無言で俊輔の後を追った。

「 ―― なんだ、ありゃあ?」
 階段を下りてゆく足音が遠くなったのを確認してから、道明寺が三枝を見て言う。
「 ―― 見てのとおりですよ」
 横顔で道明寺の視線を受けた三枝が、しかめっ面のまま、ため息混じりに答える。
「・・・なるほどねぇ・・・、しかしもっと普通の、分かりやすい心配の仕方が出来ないものかねぇ。ああいう一本気な子には、あれじゃあ中々伝わらないだろう」
「伝わらない方がいいんです」
 吐き捨てるように言う三枝の言葉を聞いて、道明寺は苦笑する。
「・・・相変わらずだね、三枝さんは」
「どうとでも。
 しかし一般人に肩入れしても、最終的に傷つくのはこっちなんです。それが紛れもない事実ですからね」
「まぁ、一般論ではね。でも一般論は飽くまでも一般論でしかないんだけど、そこは分かってる?」
 と、道明寺が言ったところで舎弟の一人が顔を出し、三枝を見て頭を下げる。
 頷いて歩き出した三枝は、診察室の出入り口で立ち止まって振り返り、
「我々は失敗することが許されない世界で生きているんです ―― 多くの事例からはじき出された統計で、一番確立が高いものを一般論と言うのならば、私の選択は間違っていないはずです」
 と、言って扉を閉めた。

 部屋に取り残された道明寺は暫くの間、閉ざされた扉を眺めていたが、やがてため息をつき、
「 ―― でも人は一般論の中だけで生きているわけではないから、厄介なんだけどね・・・」
 と、ぽつりと呟いた。