29 : どうして、どうして
「約束が違う」
誘拐じみたやり方で六本木にある俊輔のマンションに連れて来られた稜は、震える拳をきつく握ったままで言った。
「 ―― 約束なんかした覚えはないって、さっきから言っているだろう」
リビングの中央に立った俊輔が、肩を竦めて答えた。
「俺の出した条件じゃない、お前が出した条件の話だ ―― “お前の関係者が俺の前に姿を見せたら、問答無用で黙って付いて行くこと” ―― 俺はそれを守ってきただろう、それなのに・・・!」
「ふん、それを守ったらその分だけ言うことを聞いてやるなんて、誰が言った?」
稜を見下ろす俊輔がそう言って、せせら笑う。
「・・・っ、お前って奴は・・・!」
「 ―― 仕事に行くことだけは、許してやる」
声を荒げようとした稜を遮り、俊輔が言う。
「ただし当分の間、単独での行動は許さない」
「・・・何を馬鹿な・・・、それで明日から、どうやって出勤しろって言うんだ」
「お前の会社は有楽町にあるんだったな。そこまでの送り迎えはしてやる」
「結構だよ、そんなの。送迎付きで出勤する会社員なんて見たことも聞いたこともない」
「じゃあ自ら体験してみればいいさ」
あっさりと俊輔は言い、それが冗談でも何でもないのだと知った稜は茫然とする。
「・・・おい・・・、勘弁してくれ・・・。そんなの普通じゃないって、それすら分からないのか?」
「普通か普通じゃないかなんて、俺の知ったことか。繰り返すが、お前は大人しく言うことを聞いていればいいんだ」
高圧的な言い方で言い切る俊輔をしばらくの間、強い視線で見詰めていた稜はやがて、呆れ果てたという風に首を振ってからおもむろにリビングを出てゆこうとする。
その腕を強く掴んで引き止める俊輔と、加えられる力と同じ強さで抵抗する稜の間で、無言だが激しい攻防が繰り広げられ ―― やがて俊輔がこれ以上我慢ならないという風に怒鳴る。
「稜!いい加減にしないか!」
「それはこっちの台詞だ、放せ!」
「俺に逆らうとどうなると思う?後悔する事になるぞ・・・!」
「は、後悔?後悔なら、もう十分すぎるほどしている。お前なんかに心配してもらわなくても・・・!」
両腕を掴む俊輔の腕を突き飛ばすように押しやって、稜が怒鳴り返す。
「何もかも、もうどうでもいい。誰にでも、どこにでも、お前が知っていることを気が済むまで言いふらせばいい。勝手にしろ、俺はもう ―― もう沢山だ!」
「稜・・・ ―― !」
「これでお前に脅される理由は何もないはずだ、放せって!」
「駄目だ、行かせない。どこにも、お前は ―― お前だけは、絶対にどこにも行かせない・・・!」
血を吐くような声で小さく叫んだ俊輔の、稜を掴んでいた両腕に強い力が加えられる。
上からの圧倒的な力になす術もなく、その場に崩れるように両膝をついた稜の身体が、床に押し倒される。
「何をするんだ、やめろ・・・!もう、こんな ―― っ!」
力の限り抵抗したが、抵抗すればするほど、覆いかぶさってくる俊輔の身体は強固な意思を滲ませて、強くきつく稜の身体を押さえ込んでくる。
必死の抵抗も虚しく、あっという間に衣服が剥ぎ取られて秘部を握りこまれ、荒々しく扱かれる。
歯を食いしばるようにして耐えようとする稜だったが、俊輔のやり方に慣らされた身体は持ち主の意思に反して勝手に反応してゆく。
熱に浮かされるような快楽の波がひたひたと迫ってくるのを感じながら、稜はままならない自らの身体と心を心底恨めしく思う。
もともと細身の稜ときっちりと鍛え抜いた身体を持つ俊輔とでは、真正面からやり合って適うことがないのは仕方がないかもしれない。
だがどんなに鍛えている人間であっても、最中であれば無防備な瞬間などいくらでもある。
しかし例え今この瞬間 ―― 先走りの僅かな液体で濡らした指で後孔を数度嬲られただけの秘部に、焦熱を纏った欲望の塊がねじ込まれようとしているこの瞬間に、誰かが手にナイフを握らせてくれたとしても、その刃物の切っ先を俊輔に向かって振り下ろせる自信は稜にはなかった。
その衝動を押しとどめているのは理性だろうか、それとも体面とか、そういうものなのだろうか。
なんにせよ情けない、と稜は思う。
ふと離される身体を、筋肉反射的に追いかけてしまう身体も、
僅かばかりの俊輔の身体の動きにも、まるで呼応するかのように零れ落ちてゆく甘い声も、
じりじりと分け入ってくる熱い欲望を、わななくように震えながら咥えこもうと蠢いている体内も、
何もかもが情けなさ過ぎて、泣けてくる。
ずくりと、俊輔の熱が限界まで埋め込まれる。
その衝撃だけで軽く達した稜の身体を引き寄せた俊輔がその唇を深く奪い、埋め込まれた肉茎が激しく稜の体内を焼き尽くしてゆく。
次の快楽の波が稜を飲み込んでやろうと、瞬く間に迫ってくるのが分かった。
ブレーカーが落ちるように、唐突に辺りが暗くなってゆく ―― 酸素を求めて開いた唇を割って、体内を穿っている熱と同じくらいの熱を纏った俊輔の舌が、稜の口内をも犯し始める。
どうして、自分はこの舌を噛み切ることが出来ないのか。
どうして、無防備に自分の身体を貪っている俊輔を突き放せないのか。
どうして、この身体はこうまで俊輔の手管に弱いのか。
どうして、自分は俊輔を最後の最後で拒めないのか・・・ ――
徐々に暗さを増してゆく脳裏でそう考えたのを最後に、稜の思考は抗いようのない快楽の波に飲み込まれて行った。
「 ―― これで、気は済んだか・・・」
上がってしまった呼吸が収まった頃、啼き過ぎて掠れた声で稜が呟く。
稜に覆い被さったままの俊輔は、何も答えない。
構わずに、稜は続ける。
「・・・こんな風に暴力でしか相手を従わせられないのなら、動物と変わらない ―― 最低だ最低だとは思っていたが、本当に見下げ果てた・・・、お前を心底軽蔑する、俺は・・・ ―― 」
徐々に震えを帯びてゆく稜の言葉には答えず、黙って身体を起こした俊輔が、淫らな水音をさせて手荒く稜から出て行く。
無頓着なその所作に、震える稜の唇から喘ぎ声にも似た呻き声が上がった。
「そんな声を出しておいて、見下げ果てるも何も、あったものじゃないな」
手早く衣服を整えながらうそぶいた俊輔が短く声を上げて笑い、立ち上がる。
「何を言われようが、決めたことは変えない。暫く単独での行動は許さないから、その積りでいろ。
―― ああそれと念のために言っておくが、勝手な行動をとるような素振りが見えたら、またここに閉じ込めるからな」
投げつけるようにそう言い置いた俊輔が、荒々しい足音と共に部屋を出て行く。
遠くでマンションのドアが開閉する音がし ―― 入れ替わりに沈黙が訪れた冷たいリビングの床に横たわったまま、稜は強く強く、目を閉じた。