31 : 待ち伏せ
永田町駅へと続く地下道を半ば走るように進みながら、稜は幾度か後ろを振り返ってみたが、先ほど見た2人組の姿は見えなかった。
改札口を通り、表参道へ向かう電車を待つ間も注意深く周りを見回していたが、彼らが追いかけてくる気配はない。
やがてやってきた中央林間行きの半蔵門線に乗り、発車の音楽と共に扉が閉まったところで稜はようやく、ほっと息をつく。
しかし ―― やってやった、という達成感(のようなもの)は虚しいことに、ほんの数分で消え失せてしまう。
いや、むしろ、これは最初から分かりきっていたことであったかもしれない。
そう、こうして俊輔の手から逃げおおせたとしても、稜には行くところなどないのだ。
実家は今やもうないが、都内や都内近くにはそれなりに交流のある親戚がいるにはいる。
親しくしている友人も、それなりにいる。
だが特殊すぎる背景を持つ俊輔がどういう手を使って来るか分からないこの状況で、おいそれと彼らを頼るわけにはいかなかった。
道明寺医院の院長は、
“辻村組は一般人には手を出さないという規律がしっかりしている”
と言っていたものの、現に稜はこうして“手を出されて”いるのだ。
三枝などに言わせれば“自業自得”と断罪されておしまいだろうが、何にせよこういう事実は厳然としてある。
万一自分のせいで彼らに迷惑がかかってしまったりしたら、悔やんでも悔やみきれない。
と、なると自動的に、行けるところは経堂にある自宅マンションくらいになる訳だが、あそこにはどこよりも真っ先に手が回るに違いなかった。
小学生、いや、幼稚園児がかくれんぼ遊びの潜伏先にすら使わないレベルの隠れ場所だ。
例えどんなに些細なことであってもいいから、俊輔に思い知らせてやる。と思ってとった行動だったけれど、こんなことでは俊輔は思い知るどころか、驚きも怒りもしないに違いない。
電車が表参道のフォームに滑り込んでゆくのを眺めながら、稜は力なくため息をつく。
ため息などついたところで、何も変わらないのは、分かっていたけれど。
悩んだ末、結局稜は表参道で千代田線に乗り換え、経堂に向かった。
もしかしたら既に俊輔の手が回っているかもしれないと覚悟していたのだが、マンションの周りに不審な人影はない。
稜は足早に自室に向かい、手早く服を着替える。せめて服くらいは俊輔に与えられたのではないものを着ていてやりたかった。
反抗の度合いが余りに些細すぎて、自分で自分が可哀想になってくるが ―― やらないよりはいいだろう。たぶん。
それからざっと部屋を片付け(次にいつここへ帰って来られるか、分かったものじゃない)、再び外に出てみる。
何をするあてもなかったが、部屋で悶々として俊輔がやって来るのを待っているのも馬鹿馬鹿しい。
今度こそ誰かがいるかもしれないと思った稜だったが、先程同様、外に人影はなかった。
まだもう少し猶予があるらしいと思った稜は、ゆっくりと歩き出す。
近所にある喫茶店に行ってみるつもりだった。
質のいいジャズを流す落ち着いた店で、美味しいコーヒーを出してくれる。
経堂に引っ越してきてからこっち、週に1度は通っており、店主とも親しくしていた。
数ヶ月顔を出せなかったので、おそらく心配しているに違いない ―― そう考えながら大通りを右に曲がろうとしたところで、稜は突っかかるように立ち止まる。
曲がろうとした路地から、唐突に宮内が姿を現したのだ。
「 ―― お待ちしておりました、志筑さん」
宮内が言い、そこへ黒塗りのベンツがやってきて停車する。
「・・・何か私にご用ですか」
「立ち話もなんですから、とりあえずお乗りください」
ベンツの後部座席のドアを開け、宮内が言った。
「申し訳ありませんが、こちらにお話することは何もありません、それに」
「正確に言えば、こちらにもあなたに話はありません」
稜の言葉を遮って、宮内は言う。
「・・・どういうことです?」
嫌な予感を覚えつつ、稜は聞き返す。
「とりあえず、お乗りください」
宮内が繰り返し、無言で身を引いて踵を返そうとした稜の背中が、何かに突き当たる。
驚いて振り返ったそこには、いつの間にやって来ていたのか、見知らぬ男が立ちはだかっていた。
「・・・ご安心下さい。大人しくしていて下されば、あなたに危害は加えません。我々はあなたに用があるのではありません。
―― お乗り下さい」
顔色を変えた稜に静かな口調で宮内が再度繰り返し、背後の男が有無を言わせない力でもって稜を車に押し込む。
続いて宮内と男が車に乗り込み、ベンツは音もなくその場から走り去った。