Night Tripper

34 : 真の狙い

 公園の敷地を抜けて車道に出た俊輔の元に音もなくやって来て停車した黒塗りのベンツから、3人の男がばらばらと降りて来る。
 3、40代くらいの年代の男たちだったが、その誰にも俊輔は見覚えがなかった。
 彼らは無言で俊輔を取り囲み、ボディー・チェックをし始める。

 ワイシャツの胸から背中から腕はもちろん、ベルトの裏面から金具、スラックスのポケットから裾の縫い目、靴の裏まで ―― それは塵あくたのひとつまで見逃すものかというような、過ぎるくらいに入念なやり方だった。

 コートと上着だけでなくベストを脱がせてもなお、俺一人をこうも恐れるのか?と俊輔は笑ってやりたくなる。
 アメリカの有名ロック・バンドで麻薬常習者だったイジー・ストラドリンが入国する時だって、ここまではやらなかったと思うぞ、と。

 だが俊輔は何も言わず、黙って彼らのやりたいようにやらせた。
 彼らのような下っ端に何を言っても無駄であろうし、いかにも短気そうな彼らを怒らせて無用な騒動を起こすのも馬鹿らしい。

 丁寧だが手早いボディー・チェックが終了し、ベンツに乗るようにと促された俊輔は、言われるままベンツの後部座席に乗り込む。
 その両脇を挟むように2人の男たちが乗り込んできて、1人が助手席に座り、ドアが閉まるか閉まらないかのうちに車が発進する。
 窓にはきっちりとスモーク・フィルムが貼られていて、外の景色は見えなかった。

「命が惜しかったら、妙な真似はするなよ」
 右側に座った男がそう言って凄んだが、その口調にはどこか“借りてきた”ような雰囲気が漂っており、まるで説得力がなかった。
 俊輔は返事をせず、車のシートに背中を預けて足を組む。
 その不敵極まりない俊輔の反応に、どういう対応をすればいいのかと、両脇の男たちが躊躇っている気配がうっすらと車内に流れた。

 こいつらは完全に部外者の小者だな。
 と、俊輔は考える。
 恐らくはどこかの繁華街で管を巻いて粋がっているような、チンピラの類を雇ったのだろう。
 用意周到に俊輔をここまで連れてきた風を装っていたが、この時点ですでに綻びが見え隠れしている。

 残る問題は宮内が稜を連れて向かったという先に、どういう顔ぶれが揃えられているかだった。
 宮内は頭の良い出来る男であると駿河会の現会長である佐藤要も認めているところだし、それに金山 ―― 駿河麗子の言った通り、本当に金山が出て来ているとなると、酷く厄介な展開になるであろうことは必至だ。
 一年の大半をソヴィエトとドイツで過ごしている彼が今帰国しているという話は、俊輔の耳には届いていない。
 麗子のはったりであればいいが、万一秘密裏に帰国していたとしたら・・・ ――

 と、そこまで考えた所で俊輔はずるずると続いてゆこうとする思考を強制的に停止させる。
 何が起ころうとしているかの予測は大体ついたが、それが実際にどういう経緯を辿って推移してゆくのかはその場になってみないと分からない。
 今の段階から埒もない可能性についてあれこれ考えるのは、柔軟な対応を阻むだけで、決して良い結果を生みはしない ―― そもそも駿河麗子からの電話を受けた時点で、決心していることはただひとつだけなのだ。
 その決心さえ揺るがさずに真実と出来たのなら、後はどうなろうと構ったものではない。

 そう思い極めた俊輔は、心を落ち着かせようとするかのように、ゆっくりとその視線を伏せた。

 稜を乗せたベンツは、都内のあちこちを徘徊するように走った後、最終的に晴海埠頭のはずれにある寂れたコンテナの前で停車した。
 降りてください。と宮内に促されて入ったコンテナの中には、10人ばかりの男達の姿があった。

 その男達の顔つきを見て ―― いや、車が酷く時間をかけてここへ来るまでの間も、稜の内心の不安と心配はいや増して来ていた。

 最初に宮内は言った、“我々はあなたに用があるのではありません”

 むろんこういう状態に置かれている今、自分の身が100パーセント安全であると思うほど稜も脳天気ではない。
 しかし宮内が稜に向かって言った言葉が、全くの嘘であるとはとても思えなかった。
 どう考えてみても、自分はなんら目立つ特徴のない一般人なのだ。

 そうなると彼らの“狙い”というのは考えるまでもない。
 前回垣間見た彼らと俊輔の間に流れる緊張感からしても、狙いは俊輔なのだろう。
 そして時を置かずにその場に現れた麗子の姿を見て、稜の予感は揺ぎ無い確信へと変わる。

「毎回毎回、突然呼び出しちゃってごめんなさいね」
 機嫌良く笑いながら、麗子が稜を見て言った。
「謝りついでに、ちょっと縛らせてもらうわね・・・大丈夫、痛くはしないわ。これはただのデモンストレーションみたいなものだから ―― と、駿河麗子は立てた人差し指を唇に当てるような仕草をした ―― 金山、ちょっとやってよ、あなた、そういうの得意でしょう」

 指名され、ロープを手に稜の元へやってきた男は、痩せ型で顔色の悪い、背の高い男だった。
 確かに狡猾そうな目つきをしていたが、道明寺医院の院長が言っていた“頭のネジが数本飛んでしまっている”というような印象は一見なかった。

 しかし椅子に座らせた稜を後ろ手に縛り上げた後、
「旨そうな男だ」
 と、小さく呟いて笑った彼の、伸ばされた手指が稜の二の腕から首筋辺りまでの撫で上げるようにし ―― そのじめじめと湿った笑い方と手の感覚に、稜は反射的に吐き気を覚える。

「・・・おい金山、目的を忘れるなよ。彼は大事な餌だ。相手に食いつかせる前に、お前が食いついてどうする」
 と、稜の斜め前に立っていた宮内が嫌悪感を隠そうともしない口調で言い、
「そうよ、金山。その子に手を出したら駄目よ」
 と、麗子は駄々っ子をあやすような口調で言った。

 2人の言葉を聞いた金山は、ただにやにやと笑いながら稜から手を引き、首を曲げて麗子を見る。

「分かってます、我慢しますよ ―― これから、長年待ちに待ってきた“お楽しみ”が始まるんですからね。
 しかしこの計画を聞いた時には、あいつが他人の為に自ら動くなんて有り得ないだろうと半信半疑だったんですが・・・無理をしてでも帰国してみて良かった」
「だから言ったでしょう、志筑くんは貴重な子なんだって」
「・・・ええ、よく分かりましたよ・・・とてもね」
 と、答えた金山が振り返り、稜を見下ろす。

 再び稜に注がれた金山の視線はその笑い方や手の感覚と同様、じっとりとした湿度を孕んでいた。
 舐め上げて舐め下ろすような湿った視線を受け、肌が粟立つような感覚を覚えた稜が軽く身震いをした時。

 コンテナの入り口に、宮内と共に稜をここまで連れてきた男が顔を出した。

「 ―― 来たの」
 と、麗子が訊く。
「はい」
 と、男は短く答える。

 返答を聞いた刹那、穏やかだった麗子の表情と視線が、見る者を凍りつかせるような冴え冴えとした冷気を纏った。