Night Tripper

35 : 悲鳴

 それから数分後、屈強な男たち数人に両脇と背後を固められてやって来たのは、稜の予想通り俊輔だった。

 コンテナ入口部分に立った際に俊輔はちらりと稜を見たが、その表情は一切変わらない。
 麗子と対峙した時も、俊輔の表情は特に変化しなかった。

「何の用なんだ、一体」
 周りを取り囲まれながらもそれにはまるで頓着せず、コンテナの中央部に立たされた俊輔はぶっきらぼうに尋ねる。
「随分なご挨拶ね。
 みんな是非あなたに会いたいって、わざわざ集まったって言うのに ―― 懐かしい顔ぶればかりでしょう?」
 麗子に言われてぐるりとコンテナ内を見回した俊輔は、首を右側に少しだけ傾ける。
「まあな ―― しかしこんな所で見るはずのない顔もある。ほら、あんたのずっと後ろにいる3人組」
 コンテナの一番奥、右側の角に固まって立っている男たちを顎で指して俊輔は言い、再度麗子に視線を戻す。
 麗子は何も言わなかったが、その表情にはありありとした驚きの気配があった。

「三枝の情報収集能力を甘く見るなよ。あれは國竜会の構成員じゃないか。
 あんたがこっちの情報を手みやげに“実家”に帰る算段をしているって噂は、どうやら本当らしいな」

 ずばりと切り込まれた麗子は暫くの間、どう切り返すべきかと考えているようだった。
 が、誤魔化しても無駄だと思ったのだろう、開き直ったように笑う。

「その手みやげに、あなたも加えてあげてもいいわよ」
「謹んでご辞退申し上げるよ」
「あら、そう?向こうにもあなたには色々言ってやりたいことがあるって人が、かなり沢山いるみたいよ。
 今回だって、あなたが来る“かもしれない”って言っただけで、参加希望者が引きも切らなかったくらい」
 と、麗子は楽しくて仕方がないという様子で言う。
「最終的に物凄い人数になっちゃって、ここまで厳選するのが大変だったわ」
「悪いが喜ぶ気にも、有り難がる気にもなれないね」
 と、俊輔が鼻で笑い、一緒になって笑った麗子が、笑いながら金山の方へ右手を差し出す。
 心得たとばかりに金山がその手に短い鞭を握らせ、それを見た俊輔は呆れたように溜息をつく。
「・・・あのさ、あんた、元々性格が災厄の権化みたいなんだから、これ以上趣味の良くない妙なオプションは身につけない方がいいぞ。そんなんじゃ、どこに行こうが男にはもてない」
 俊輔がそう言ったと同時に、彼の右側にいた男がなんの予備動作もなく拳を俊輔の腹部にめり込ませる。

 短く呻いた俊輔が身体を折り、その腹部から拳を引いた男が言う、「もう一度でも、姐さんにそんな口をきいてみろ。ただじゃおかない」

 ゆっくりとしたやり方で身体を起こした俊輔に、麗子がハイヒールの足音高く近付いて行く。

「そう、口の利き方には気をつけなさい。あの子が私たちの手の内にいることを忘れたの? ―― と、言って麗子は表情をこわばらせる稜をちらりと見た ―― ほら見なさいよ、びっくりしているじゃないの、可哀想に・・・助けに来たんでしょう?」
「・・・助けに?俺が、あいつを? ―― まさか」
 と、俊輔が苦笑する。
「俺がここへ来たのは、飽くまでも組のため ―― 延いては駿河会のためだ」
「今更誤魔化そうとしても無駄よ」
 と、麗子が言った。
「なにも誤魔化してなんかいない」
 と、俊輔は言い、ちらりと冷たい目で稜を見て続ける。
「あんたら、あいつの背景をきちんと調べたか?どうせ俺の弱みを見つけたと喜ぶあまり、ろくに調べてもいないんだろう ―― ちょっと探れば、あの男に軽々しく手を出そうとなんか思わないだろうからな」
「 ―― どういう意味だ」
 と、麗子の後ろに控えていた男が訊く。
 にやり、と俊輔は笑う。
「あいつはな、あの新見物産の社員だ。しかもそこの花形部署の、超のつくエリート社員なんだよ」

 俊輔の言葉を聞いた一同に緊張が走り ―― それを見た稜は驚きの中で更に驚く。
 ごく普通の一般企業に勤めていたつもりだったが、こういう世界に関わり合いがある会社だったのかと思ったのだ。

「あそこの前社長は戦後のどさくさに紛れて、善悪の境目なしに事業を大きくしてきた。その中で日本のありとあらゆる世界に顔が利くようになってる。
 今は息子に会社を譲って隠居しているらしいが、白黒双方の世界に繋がるパイプは未だ死んじゃいない ―― そんな会社の、覚えめでたい社員に手なんか出して見ろ。話のもって行き方によっちゃ警察にも身内にも追われることになる」
「 ―― ご高説ありがとう。何にせよ、私はあの子には特に興味はないの。だから安心して、自分の心配をしたら?」
 と、言った麗子が、俊輔を拘束している男たちに頷いてみせる。

 それを合図に始められたのは、目を覆うような暴行であった。

 例えどんなに恨んでいる人間に対してでも、普通の神経の持ち主であればこんな真似は出来ない、と稜は思う。
 暴行の初期段階でもう見ていられないと目を逸らした稜だったが、俊輔の低い呻き声を耳にする度に反射的に目を上げてしまう ―― その繰り返しだった。

 暴行を受ける俊輔から数歩離れた場所に立つ麗子と、稜の斜め前に立つ宮内は、淡々とその光景を見て特に何の感慨も抱いていないようだった。
 それとは対照的に、金山の目つきは暴行が激しくなるにつれてギラギラとした輝きを増してゆく。

 どちらにしても気が違っている、と考えて彼らと暴行の様子から目を逸らしていた稜はふと気づく。

 麗子の周りにいる複数の男たちの殆どが暴行の様子を見ても表情を動かさないのだったが、その中に数人、どこか奇妙な表情を浮かべて暴行を受けている俊輔を見ていることに。
 そしてそれが皆、他の男たち ―― 暴行を見ても何とも思っていないように見える男たち ―― よりも一回りほど年輩の男たちであるということに。

 そう、間違いなく彼らの表情には、一様に奇妙な雰囲気があった。
 俊輔が可哀想だとか、痛ましいとか、そんな単純に言葉に出来るような感情ではない。そうではないが、それに似かよったものであるように、稜には感じられた。

 その時ひときわ派手な音がして、反射的に稜は視線を上げる。
 稜の視線の先で、俊輔ががくりと地面に両膝をついた。

 そこで麗子が無言で手を挙げ、暴行がやむ。

「・・・今後一生私に忠誠を誓うというのなら、許してあげるわ」、と麗子が奇妙に捻じ曲がった口調で言う。
 その声を受けた俊輔は、顔も上げずに笑って答える、「 ―― 続けろ」

 再び麗子が男たちに頷いて見せ、暴行が再開される。

「 ―― もうやめろ・・・やめてくれ!」

 もう本当に、もう絶対に、これ以上はとても見ていられない。
 そう思った稜が、堪えきれずに叫んだ。