Night Tripper

4 : 忠告と警告

「これはもう、通報するしかないでしょう。ストーカー規制法を適用してもらいましょう」
「・・・・・・力及ばず、申し訳ありません」
 永山の笑えない冗談を綺麗に無視して、三枝が俊輔の後姿に向かって頭を下げる。

 赤坂にある、有限会社辻商事本社ビルの最上階。
 革張りの椅子に座り、社長室の大きな窓から外を眺める俊輔は後ろを見もせず、顔を上げろ。と短く命令した。
 その命令に、三枝が身体を起こす。
 三枝が背筋を伸ばしたのと同時に俊輔は椅子を回して振り返り、組んだ両手をゆっくりとデスクの上に置いた。

「お前を責める積もりはない。誰が何度行っても、結果は同じだったろう」
「しかし・・・」
「気にするなと言っている。顔を合わせてしまったのが運の尽きだ」
「それはそうかも知れませんが、かと言ってこのままにはしておけないでしょう。次の手は考えてあるんですか?」
 社長室のデスク前にある応接セットのソファにだらりと腰をかけた永山が、天井を見上げて言った。
 だらしないにも程がある永山のその様子を気にする風もなく、俊輔は唇の端を歪めて笑う。
「警察に通報するんじゃないのか。行ってくれるか、永山」
「それは良い案ですね、すぐに車の手配を。豪さん、赤坂署近くまでお送りします」
 三枝が言い、それを聞いた永山はがばっとソファーから身体を起こし、さも嫌そうに顔を顰めた。
「・・・冗談じゃねぇ。ったく、つくづくいい性格をしているな、三枝」
「お褒めに預かり、光栄です」
 そっぽを向いたまま答えた三枝だったが、すぐに表情を改めて俊輔に向き直る。
「・・・それで、今後はどう致しましょうか。話し合いだけでは、もう埒が明かないと思われますが」
 と、訊ねられた俊輔の視線が、一瞬、空間のどこでもない場所を彷徨った。
 それを見逃さなかった三枝と永山が、ちらりと視線を交し合う。

 志筑稜という男に関する俊輔の対応には、首を傾げざるを得ない点が余りにも多すぎた。普段通りのやり方でと言われれば、堅気の会社員を黙らせる方法など、いくらでもある。
 そもそも未だに、俊輔が志筑稜を遠ざけたいのかどうしたいのかすらはっきりしない。
 これまでの俊輔の俊敏さを知る幹部の面々は、表にこそ出さないものの、内心困惑するばかりだったのだ。

「 ―― 三枝」
 中くらいの沈黙の後に俊輔に名前を呼ばれ、三枝が居住まいを正す。
「例の店にあいつを呼び出せ。店には伊織(いおり)を連れて行け」
「・・・了解しました。若はどうなさいます?」
「近くにいる。今回話をしても駄目そうなら、これを」
 言いざま、俊輔はデスクの引き出しから取り出した小さな包みを三枝に向かって放った。
 受け取った包みの中を一瞥して微かに表情を変えた三枝がもの問いたげに顔を上げたときにはもう、俊輔は最初と同様、皆に背を向けた状態で窓から外を見下ろしていた。
 その背中には一切の質問を許さないという、俊輔の強い意思が感じられる。

 三枝と永山は再び視線を交して首を横に振り合い、黙って社長室を後にした。

 お待たせしました。と声をかけられて稜が顔を上げると、そこには三枝と見知らぬ男 ―― がっしりとした体躯に短い髪、爬虫類を思わせる無気質で冷徹な目つき、顎の部分にはうっすらと刀傷のような白い線が走っている ―― が並んで立っていた。
 幾度か三枝に対していて漠然と感じた不安が、彼を見た一瞬のうちに明確な形をとってゆく気がした。

「紹介致します。これは相良伊織(さがらいおり)と申しまして、普段、社長のボディーガードをしている者です」
 警戒の色を強くした稜にさらりとそう紹介し、2人はテーブルを挟んで稜の前に座った。
「・・・社長?」
「ええ、辻村の、です」
「俊輔の・・・?」
 ちらりと相良を見直し、流石に濃い躊躇いの気配を見せて言葉を濁す稜の様子を少し眺めてから、三枝は口を開いた。
「これまで幾度かあなたにお会いして、お会いするたびに私は辻村のことは忘れるようにと忠告して来ましたね。しかしあなたは結局、こうなるまで私の忠告を聞き容れては下さらなかった」
「・・・それで、忠告を警告に変えようというのですか」
「いいえ、そうではありません。今日は隠していた最後の真実をお伝えに参りました ―― ある意味その真実こそが、警告になるかもしれませんが」
 一体どういう意味なのかと訝しげに眉根を寄せた稜に三枝は、
「駿河会をご存知ですか」
 と、唐突に訊ねた。
「・・・駿河会・・・?」
「詳しくご存じでなくとも、名前くらいは聞いたことがあるでしょう。
 駿河会とは、東京の港区に本拠地を置く広域指定暴力団です。現在70人強の直参を抱え、それぞれの準構成員までを含めると全国で4万人近い、日本最大の組織です」
 話の展開に全く付いてゆけずに稜は黙っていたが、それには構わずに三枝は続ける。
「それでは次に志筑さん、辻村組をご存知ですか」
 さらりとした口調だったが、それは爆弾発言と言ってもいい問いかけだった。
 一瞬にして稜の表情が強張り、その顔からは見る間に血の気が引いてゆく。
 しかしやはりそれにも構わず、三枝は続ける。
「辻村組とは六本木と赤坂を拠点とする駿河会直参の暴力団です。現在の組長は杉浦儀一という者が務めておりますが、実際に組織を動かしているのは、辻村組のフロント企業である有限会社辻商事の社長を務める辻村俊輔です。
 更に言えば駿河会前会長の遺言により、彼は将来、駿河会の3代目会長に就任する予定です。我々はもうずっと、長いこと、その悲願成就の為、辻村俊輔のサポートをして参りました」