Night Tripper

5 : 10年ぶりの再会

「そんな・・・、信じられない・・・」

 茫とした口調で、稜は呟く。呟いたその声は、自分の声でないように聞こえた。

「確かに私の今の話が真実であると証明するものは、何もありません。が、わざわざこんな嘘をついてまであなたを騙すメリットなど私にはありませんし、何より辻村があなたに会おうとしないことが、一番確かな答えになるのではありませんか。
 ・・・ねぇ志筑さん、あなたにはあなたに合った生活があるでしょう。特にあなたは、人並み以上の地位や名誉をお持ちの方だ。守るべきなのは過去ではなく、現在周りにあるものなのではないですか。
 この国は半端な者や一度道を踏み外した者には、一切容赦をしない国ですよ。軽い気持ちで我々に ―― 辻村に関わって、全てが壊れてしまってから後悔しても遅い」

 立て板に水を流すように紡がれる三枝の説得の言葉を聞き、稜は強く唇を噛んで俯く。

「・・・いいですね、もう二度と、辻村の周りに姿を見せたり、彼について調べたりはしないで下さい。我々もそうそう甘い顔ばかりを見せていられるわけじゃない。次は絶対に、容赦はしませんよ」

 後半半分、突然低くなった三枝の声は、恫喝するという声音に等しかった。
 それは同業者に対してもそれなりに効力のある言い方であったし、まして普通の人間であれば萎縮して声を出すことはおろか、恐怖の余り暫く動くことすらままならなかっただろう。
 唇を噛んだまま俯いた稜も、そのような状態にいるものだと三枝は思った、しかし ――

「・・・俊輔のことも、こうやって脅したんですか」

 暫しの間をおいて吐き捨てるように稜は言い、顔を上げた。

「あなた方は俊輔に一体、何をしたんです。俺の知っている俊輔は、頭のいい、まっとうな男だった。その俊輔がヤクザの世界なんかに身を堕とす訳がない。好き好んで、人に後ろ指をさされるような裏の世界に身を投じる訳がない」
「志筑さん・・・ ―― 」
「先ほど三枝さんは、俊輔を何とか言う会の組長にするのが悲願なのだと言いましたよね。それは裏を返せば、俊輔があなた方にいいように操られているという風にも聞こえる。あなたの言うその“悲願”とやらに、俊輔の意思は入っているのですか?」

 三枝は何も言わなかった。
 その隣に座る相良は最初からまるで機械のように、身動きひとつしない。身動きどころか、瞬きも ―― 息すらしていないように見えた。

 正直、稜にも何故自分がこんなに必死になっているのか分からなかった。
 売り言葉に買い言葉的なものもあったし ―― ここまできたら後に引けないと、意地になっている部分もあったかもしれない。
 しかしそうは言っても、相手はヤクザだ。いったん怒らせてしまったら、すみませんでしたと頭を下げて謝って済む相手ではないのは分かっていた。

 それを知っていても俊輔のことを切り捨ててしまえないのは、病院で意識をなくしたまま眠り続ける父が以前、家にたびたび遊びに来ていた俊輔を気に入っていて、彼が姿を消した後も時折俊輔のことを口にしていたからという理由もあったかもしれない。
 むろん稜自身が10年もの長きにわたって俊輔の存在を心から消し去れなかった所為もあったが、祖父母も母も、姉もいなくなってしまった今、彼らの思い出について語り合える知人がほとんどいなくなってしまっていた所為もあったろう。

「答えられないのか?
 それなら俺は、尚更引けない。友人が不当に貶められて行くのを知りながら、何もなかったように生きてなんかいけない」

 と、稜はきっぱりと言った。
 それでもなお、テーブルを挟んだ向かいに座る2人は、何も言おうとしない。

 何もかもがひしゃげて押しつぶされてしまいそうな重苦しい空気が、ひたひたとその場を満たしてゆく。

「つまり」
 緊張感が高まりすぎて耳鳴りすら聞こえてきそうな空気の中、長い長い沈黙を破って三枝が言った。
「警告を聞く気はない、ということなのですね」
 それを聞いた稜は、開き直ったような苦笑と共に肩を竦める。
「確か最初に、これは警告ではないとおっしゃっていたのを聞いた記憶があるのですが。やはり警告だったのですね」
「・・・仕様のない方だ、あなたは」
 と、言って三枝も苦笑した。

 そしてテーブルの左端に置いていた煙草を引き寄せて、吸ってもいいか、と稜に確認した。
 どうぞ。と稜が頷くと三枝は煙草ケースから引き出した煙草に火をつけ、1、2口深く吸い込んでから天井に向かって細く煙を吐き出す。

 再び沈黙があって、その間に静かにやってきたウェイターが3人の水を新しいものに取り替えて去ってゆく。
 半分ほどの長さになった煙草を灰皿に押し付け、少し咳き込んだ三枝が目の前に置かれたグラスを取り上げる。
 それと入れ替えるように、手にしていたグラスをテーブルに戻した稜の視界の片隅 ―― 磨きこまれた木製の床板の向こうに、先の尖った焦茶色の革靴の先が見えた。
 はっとして顔を上げると、そこには三つ揃えのスーツをきっちりと着込んだ俊輔が立って、稜を見下ろしていた。

「俺は以前にもお前に言ったな。引き際は心得ろ、と」
 稜が呼びかけるより前に、淡々とした声で俊輔は言った。
「そして今回も俺は、再三お前に忠告をしてやった。俺に近づくな ―― ただそれだけの、簡単なことだ。しかしお前はそれを全て無視した」
「・・・俊輔 ―― !」
「そして今回」
 呼びかける稜の声が耳に届いていないのか、聞く気がないのか、俊輔は同じ調子で続ける。
「お前は最後の警告すら聞く気がないと言い放つ。いい度胸だ。余裕があれば拍手をしてやりたいくらいだが、勿論それ相応の覚悟はあるんだろうな」

 それを聞いてすぐさま立ち上がろうとした稜だったが、何故だろう、うまく立ち上がれない。
 何かがおかしい、と思う間もなく大きく視界が歪み、手足の感覚が重く、鈍くなってゆく。

「久しぶりだ ―― 稜」

 急速に薄れゆく意識の最後の断片に、小さく呟く俊輔の声が刻まれた。