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「 ―― よぉ。調子はどうよ?」
会社帰り、駅に向かう歩道脇に停車した濃紺のマセラティから顔を覗かせて手を上げた永山を、稜は表情を殺した顔で見下ろした。
「・・・来るだろうと、思っていましたよ」
促されるままに助手席に乗り込みながら、稜は言う。
「永山さんは、結構お暇なんですか?もしかして」
「極道が多忙で仕方ないって世の中も、相当厄介だと思わないか?」
稜が放った嫌味の矢を笑ってかわし、永山は言う。
「まぁ、実を言うと俺は志筑さん係でね。だからあんたの前に姿を現す回数も、おのずと増えるってわけ」
「なんです、その、係って」
「あんた絡みで困った問題が起きると、真っ先に駆けつけて、解決の糸口を探る係さ。
幹部一同でじゃんけんをして、俺に決まった」
「負けたんですか」、肩を竦めて、稜が訊く。
「勝ったのさ」、面白そうに、永山が答える。
「・・・・・・。
それで、今日は誰の胃の心配を?」
「いや、今日はそういうんじゃなくて、いわば個人的に来たんだよ。若頭の様子が、ちょっと気になってね・・・」
「・・・俊輔が、何か?」
と、稜は訊いたが、永山はその問いにすぐ答えようとせず、
「志筑さん、夕食はまだだよな?」
と、別の質問をする。
稜が頷くと、じゃあちょっと付き合ってくれ。と永山は言い、後は稜の質問がまるで聞こえなかったかのように、黙って車を運転していた。
そうして稜が連れて行かれたのは、目黒の路地裏にある隠れ家的なイタリアン・レストランだった。
テーブルとテーブルの間が、これで採算が取れるのか?と他人事ながら心配になってしまうくらいに広い。
余り人に聞かれたくない話をする客が多いのだろうが、それを閑散として感じさせないのは、所々に置かれた大きな花瓶に生けられた花々や観葉植物、照明の間合いのセンスが良いからだろう。
とにかくあまり一般人がおいそれと来ようと思うような店ではないようだった ―― 値段の面でも、雰囲気の面でも。
「最近、若頭と話をしたか?」
案内された店の一番奥の席に向かい合って座り、注文を済ませてから、永山が言った。
「昨日、電話では話しましたが・・・どうかしましたか」
「・・・うん、いや、何だか塞ぎ込んでるっていうか、沈み込んでるっていうか・・・とにかく、見てて気持ち悪くてさ」
永山は冗談めかして言って、笑う。
「気のせいじゃないですか、そんなの」
「 ―― どうして?」
「先週末、新宿で見かけた時は、実に元気そうでしたし」
なにが塞ぎ込むだか、一生沈んでろ。と思った稜が、勢いで口を滑らせたのを聞いた永山は、先週末、新宿・・・?と呟いて眉を顰める。
そしてしまったと思った稜が取り繕う前に、ああ、そういうことか。と言ってぐしゃぐしゃと頭をかいた。
「あー、何を見たか、大体分かるね・・・。
なるほど、それであんた、怒ってんのか」
「別に怒ってなんかいません」
「でも、不愉快なんだろう?」
「・・・別に、そんなこともないです」
「でもまぁ、何はともあれ、愉快極まりないってわけではない ―― だよな?」
と、永山が食い下がり、反論するのも下らなく思えてきた稜は黙った。
それを肯定の返答だと解釈したのだろう、永山は慎重に言葉を選ぶように続ける。
「あのさぁ、極道の世界って、完全に縦割り社会なわけ。体育会系どころか、カースト制度もびっくりしてひっくり返っちゃうくらい。分かるか?」
「・・・なんとなくは」
「そう、だからさ、上が遊んだり羽目を外さない限り、下も遊べないし羽目を外せないんだよ。
だからつまり、若頭クラスになると、下を適当に遊ばせてやるのも仕事のひとつなわけ」
「つまり、あれも仕事の一環だと」
「そうそう、そういうこと」
「・・・それにしては、楽しそうでしたけどね」
果てしなく意地悪な気分になっていた ―― 図らずも自分の気持ちを曝け出してしまったせいもあっただろう ―― 稜が言うと、永山はうーん。と唸って腕を組む。
そのまま俯き加減に黙り込んでしまった永山を、稜は長いこと、冷めた目で眺めやっていた。
だがその視線は徐々に伺うようなものになり、やがて躊躇いがちに、稜は口を開く。
「・・・こういうの、気持ち悪いとかおかしいとか、思われないんですか?」
呟くように訊ねられて顔を上げた永山は、逸らされた稜の横顔を暫く眺めて見てから、静かに訊く、「気持ち悪いって、男同士だからとか?」
壁際に置かれた豪奢な花瓶からこぼれ落ちる白い小さな花に視線を注いだまま、稜は頷く、「まぁ、そうですね、平たく言えば」
「・・・正直なところを言ってもいいのかな?」
「・・・もちろん」
「 ―― そうだな・・・正直に言うと、良く分からないとは思うね・・・なんで?どうして?みたいなさ」
ゆっくりとした口調で言いながら、永山は出されたグリッシーニを手にする。
「だってあんたは、女が嫌いとか、苦手とか、そういうのはないだろう?
そもそも女に不自由したこと自体、これまでの人生で一度もないはずだ。いつだってよりどりみどりって感じで」
「・・・それほどでもないですよ」
と、稜は言ったが、
「いーや、絶対そうだね」
と、永山はきっぱりと首を振る。
「やろうと思えばあんた、女なんかとっかえひっかえできたはずだ。そういうのは生理的に趣味じゃないから、しなかっただけでね。
証拠に今まで、女を切らした時期なんか殆どないだろう」
「・・・まるで見てきたみたいに言うんですね」
永山の断定的な言い方に半ば呆れて、稜は言った。
「じゃあ当てて見せようか?」
手にしたグリッシーニの先で稜を指しながら、永山は言った。
「何をです?」
「今まであんたが付き合った女性遍歴、その他諸々」
にやりと笑って見せて、永山が言う。
「・・・どうぞ」
同じように笑って、稜が言う。
永山はひとつ咳払いをしてから、改めて真っ直ぐに稜を見る。
気のせいだろうか、その目の色がふっと深くなったように見えた。
やがてその強く深い視線に、稜が居たたまれなさにも似た感覚を覚え出した頃、ゆっくりと永山が口を開く。
「そうだな、あんたが今まで付き合った女の数は、6人」
当ってるか?という風に永山は稜を見たが、稜は肯定も、否定もしなかった。
構わずに、永山は続ける。
「初めて女と付き合ったのは中学生の頃で、年下の女・・・女の子だ。次に付き合ったのは高校生の最初の頃。これが1つか2つ年上で ―― 因みに初めて寝たのが彼女だ。
それと別れて付き合ったのが高校の同学年の女。次に大学時代、やっぱり同年代の女と2人ばかり付き合って、後の方の女とは結構長く付き合っていたんじゃないのか ―― そうだな、社会人になってからもずっとさ。
で、その女と別れて付き合ったのが、例の彼女。婚約していた、あの女性 ―― で、6人。合ってるだろ?」
立て板に水を流すようにすらすらと永山は言い ―― 稜はあまりのことに完全に言葉を失っていた。
永山の指摘には、ほとんど間違いがなかった。
期間や年齢差に多少の誤差はあるものの、それはすべてとるに足らない程度の誤差だ。
「・・・どうして分かるんですか、そんな・・・」
呆然として稜は言い、永山は軽い声を上げて笑う。
「17の頃にこの世界に入って、今年で25年になる。その間に、色々な人間を見てきた。人を見る目はあるつもりだ。
大体、分かっちゃうんだな・・・まぁもちろん、例外はあるがね」
「例外?」
「そう、どんなに時間をかけても、過去が伺えない、見当もつかないって奴もいる ―― 滅多にいないけど、たまにいる。
その一人が、俊輔でもあるんだけどな」
と、永山はどことなく寂寥感の漂う声で、言った。