15 : 所詮その程度
稜が姿を消してから丸2日が経過した、辻商事本社ビル。
ビル最上階のフロアは、事情を知らない人間が迷い込んだとしても、どうも様子がおかしいと感じるであろうほど、重苦しい空気に満ちていた。
「あの日、志筑さんが東京駅から博多行きの新幹線に乗り込んだのは確かなようです。
しかしその後の足取りに関しましては、未だに全く掴めておりません ―― 八方手を尽くしてはいるのですが」
手にした書類に視線を落としたまま、三枝裕次郎が言った。
社長室のデスクに向かって座り、淡々とした三枝の報告を聞く俊輔の表情は、額に宛がわれた右手に隠されていてちらとも伺えない。
「 ―― 相良が一緒なら、そう易々と足取りは掴めないさ」
両手をポケットに突っ込み、俊輔が向かう社長室デスクの右の角近くに立った永山豪が、肩をすくめる。
「あいつは人探しのノウハウを知り尽くしてる。当然、隠れるのだってプロ級だ」
永山は言い、横に立つ三枝をちらりと見た。
三枝は正面に視線を据えたまま、永山を見ようとはしない。
「・・・とにかく・・・、何でもいいから早急にあの2人を探し出せ。どんな手を使ってもいい ―― 稜と伊織が一緒に行動するなんて、危険すぎる」
顔を伏せたまま、俊輔が言った。
「はい、それは承知しております。更なる手を尽くします」
視線を動かさないまま、三枝が言った。
三枝のその声音は真剣でない訳ではないが、どこまでも機械的なものであった。
それを聞いた永山は内心やれやれ。と思いながらため息をつく。
三枝は有能な男ではあったが、納得が出来ないことがあって頑なになると、対する方がうんざりするほど頑迷になるきらいがあった。
そしてそうなった三枝には何を言っても無駄であり ―― いや、無駄どころか周りが言えば言うほど彼が更に凝り固まってゆき、お世辞にも人がいいとは言えない性格が更に意地悪くなることを、永山は嫌というほど知っていた。
とにかく早いところ、姿を消した2人の探索の指揮を取る立場に付けてしまおうと、永山が口を開きかけた時だった。
ふと気が付いた、という風に額に当てていた手を下ろして顔を上げた俊輔が、
「ああ、それと、稜の家族の方にも人をやっておけ。そっちに連絡は取るだろうから」
と、言い ―― それを聞いた三枝の顔が、奇妙な速度で歪んでゆく。
「・・・おい、三枝・・・」
三枝の様子に強い危惧を覚えた永山が言いかけたが、三枝はやはり永山を見ようとはしない。
「家族」
表情と同じくらい、奇妙にねじ曲がった声で、三枝が言う。
「志筑稜に、家族などいませんよ」
「 ―― 何だって?」
呆然と三枝を見上げて訊き返しながら、俊輔は激しく眉根を寄せる。
「そんな・・・そんなはずはない」
「そんなはずはないと言われましても・・・。
若が彼のどの家族を指してそうおっしゃっているのかは存じませんが、彼の近しい血縁者は既に全員亡くなっています」
「全員?」
ぼんやりとした口調で、俊輔が聞き返す。
「しかし、まさか、そんな ―― 両親も?」
「はい。ご両親は車の事故で。母親はほぼ即死状態で、父親は脳死状態になられたとのことでしたね。
因みに祖父母の方々はそれぞれ、事故の数年前に相次いでご病気で亡くなられています」
「・・・それは、まぁ・・・、しかし・・・、そうだ、祥子さん ―― 稜には姉がいたはずだ、彼女は?」
「4、5年前に、癌でお亡くなりになっています」
あっさりと三枝は答え、俊輔は薄く口を開けたまま黙り込む。
「お前、それを・・・いつから知ってた?」
重苦しい沈黙を破って、俊輔が訊いた。
「最初からです」
当然といった口調で、三枝が答えた。
「・・・最初から・・・?」
「志筑稜が若に近づいて来た時から、です」
全く悪びれる様子なく答えた三枝の胸倉を、椅子を蹴って立ち上がった俊輔が激しく掴み上げる。
「そんな前から ―― 何故言わなかった!?」
「最初は訊かれなかったので、言いませんでした」
激昂する俊輔に胸倉を掴まれているとは思えないほど冷静な口調で、三枝は答えた。
「そしてその後は、知っているだろうと思ったから言いませんでした。わざわざ私が報告などをせずとも、志筑稜本人から聞かされて知っていると思った ―― 当然そう思うでしょう、違いますか?
本当に聞いていないのですか、何ひとつとして?」
尋ねられた俊輔の手から力が抜けてゆき、三枝はその手を荒々しく払いのけるようにして外す。
「どうです、これで良く分かったのではありませんか。あなた方は所詮、その程度なんです。
堅気が我々を心底信用することなどない。その枠からはどうやったって出られない。ましてや愛情など・・・夢物語の中の夢物語に過ぎない」
吐き捨てるように、三枝は言った。
「愛情だなんて勘違い甚だしい、とんだお笑い草だ。愛情どころか友情すら疑わしいように、私には見えますがね ―― 如何です、何か反論がありますか?あるのでしたら是非とも拝聴させていただきたいものです」
俊輔は何も言い返せず、三枝はそんな俊輔を見て、鼻で笑うような声を上げる。
「あれだけ長いこと一緒にいて・・・最後はほぼ一緒に暮らしているような状態でいたくせに、そんな初歩的な近況すら聞かないし、話そうともしない ―― 相手に対する信用も、興味も、渇望も、その程度のものなのでしょう。
下らない、実に、全くもって下らない。私は・・・ ―― 」
「三枝」
そこまで黙って聞いていた永山が、発音を区切るような言い方で三枝の名を呼んだ。
「もうその辺でいい」
まだ言ってやりたいことはあるのだろう。
三枝は不服そうだったが、永山の強い意志が漲る制止の声に、渋々といった風に口を閉ざす。
「・・・で、その脳死状態になった父親っていうのは、今どこにいるんだ?存命なのか?」
「・・・さぁ・・・。そこまでは調べておりません」
「調べられるか?」
「ご命令とあれば・・・」
と、三枝が答えかけ、
「命令だ、すぐに調べろ」
と、永山が畳みかけるように言った。
永山の言葉に黙って頷いた三枝は、俯いたまま立ち尽くす俊輔に冷たい一瞥を投げかけてから、静かに社長室を出て行った。