Night Tripper

17 : プライド

「・・・しかし・・・、そんな方法が可能だと思うか、本当に?」
 長く続いた沈黙を破って、俊輔が言った。

「分からん」
 あっさりと、永山が言った。
「だがひとつだけ言えることは、でかいことを成し遂げた人間は、自分がでかいことをやれる人間だという強い信念を持っていただろうってことだ。自分は何も出来やしないと思いながら、偶然でかい事をやり遂げた人間は、おそらくいない」

「自信を持て、と?」
 と、俊輔は言った。そして笑う。
「一体、何を根拠に?」
「常に後ろから組織を操ってきたお前でも、自分の威力がどれだけ大きいかは、理解しているはずだ。違うか?」
「それは俺の力じゃない」、と俊輔は言った。
「じゃあ誰の力なんだよ?駿河俊太郎だなんて答えやがったら、ぶん殴るからな」
 と、永山は言った。
「まぁ、確かにあの男がいてこその威力であることを、否定はしない。最後の選択肢を実行に移せば、親の威光を笠に着てとかなんとか、言われまくるだろう。
 だけどな、お前の顔はお前のもんだろう?この世界で生きていく上で、これ以上ないほどの最高の武器になる ―― それを持ち主であるお前が使って、何が悪い?
 それにお前が顔だけの男じゃないことは、俺を含め、近しい周りの人間は分かってるんだ、だったら周りの雑音なんか気にするな。文句を言いたい奴には、言わせとけ。そんな奴らは、他人のものを羨むことしか出来ない下衆野郎だ」

 永山はそこまでを一気に、怒鳴りつけるような言い方で言い切った。
 そしてそれから自らを宥めるように、ゆっくりと深呼吸をする。

「俺にだって、お前の気持ちは想像くらいは出来る。意地を張る気持ちも、捨てられないプライドがあるのも、理解してる。
 俺も基本的には、男ってのはプライドを捨てたら終りだと思ってるしな」
「・・・“でも”?」
「そう、“でも”、プライドを捨てなきゃ手に入れられないものがあることもまた、紛れもない事実だ。
 プライドの方を守りたいのなら、菖蒲との結婚は絶対に必要だ。その場合、志筑さんのことはすっぱりと諦めろ ―― さっき言ったように身体だけでいいのなら話は別だが、お前はもう、それだけじゃ満足出来ねぇだろう」

 きっぱりと永山が言い、険しい顔をした俊輔は、それから長い間、黙って考え込んでいた。

 時計の秒針が時を刻む音だけが響くその部屋で、しんしんと、沈黙だけが降り積もってゆく。
 どれほどの時が経ったか ―― 時を測る感覚が麻痺しかけた頃。

 俊輔が大きく息をつき、椅子の背もたれに深く背中を沈め、真っ直ぐに永山を見た。

「もの凄い大博打だよな ―― 大穴馬券に全財産根こそぎつぎ込むみたいなもんだ。どう考えても勝率が低すぎる」
 俊輔が唇の両端をねじ曲げるようにして笑う。
「そうかもしれない。でも、やるしかない。だろ?」
 永山も同じように笑い、デスクに置いた一番右端のペンを手にして俊輔に差し出す。
 俊輔は無言でそれを受け取り、くるりと器用にそれを手の中で回した。

「・・・だがそれはそれとして、稜のことは気にかかる ―― 心配なんだ。伊織のことも」
「分かっている。それは俺も同じだ。だが何もかもをいっぺんにやろうとすれば、両方逃すことになる」
 噛んで含めるように、永山は言った。
「駿河会を纏め直す下地を作るのは、お前にしか出来ない。多少のことは俺も手伝えるが・・・、お前はまず、そっちだけを向いていてくれ。
 志筑さんのことは、とりあえず三枝に任せろ」

「・・・大丈夫なのか、あれ」、俊輔が懐疑的に言った。
「大丈夫にきまってるさ、むろん」、永山が断定的に言った。
「そうかな」
「ああ、大丈夫だ、保証する。
 三枝はどうしようもなく頑固な奴ではあるが、裏切ったりはしないし、そこまで馬鹿でもない。いつか必ず、理解する日がくる」
「・・・何を?」
 訝しげに俊輔は聞いた。が、永山はうっすらと笑うだけで、後は俊輔が何を言ってもそれ以上の説明をしようとはしなかった。

 稜の父親が1週間前に亡くなったという情報が俊輔の元にもたらされたのは、それから数日後のことだった。

「・・・これで志筑さんを見つけるのは、更に難しくなりましたね ―― 相良はほっとしているでしょうが」

 と、三枝は稜の父親の死を機械的な口調で、そのように評した。

 疲れきった様子を隠さずに永山は三枝を横目で見やり、社長室の大きな窓から赤坂の町並みを見下ろしていた俊輔はちらりと冷たい視線を後ろに投げる。

 三枝は2人のそんな視線にも全く動じなかった ―― 実際、三枝の言っていることは真実でもあったのだ。

 いくら相良が巧妙に身を隠す努力をしても、稜の父親が入院している病院を突き止められれば、居場所を隠し切れるものではない。
 だがそれは稜の父親が曲がりなりにも生きていて、入院していればの話だ。
 死んで初七日すら済んでいるであろう今となっては、稜の居場所は広い砂浜に紛れ込んだ一粒の砂金を探し出すような行為に等しかった。

「・・・それで?」
 再び町並みを見下ろす形に戻り、何も言わない俊輔に代わって、永山が訊く。

「もちろん引き続き、行方を探させています。相良が一緒であれば、相当慎重に動くでしょうが・・・一応、大阪の國竜会の動きも見張らせています。不穏な動きがあればすぐにでも動けるよう、人員の配置も済んでいます」
 と、三枝は答えた。
 そしてひとつ咳払いをしてから、手にしたファイルを開く。
「それとひとつ、情報が入ってきています。金山和彦が、駿河麗子と袂を分かったそうです」
「・・・いつの話だ、それは?」
 鋭い動作で振り返り、俊輔が訊く。
「確定的な情報が入ったのが、1時間前です。噂を聞いたのが2日ほど前ですので・・・最近の話であることは間違いないでしょう」
「決別の理由は?」
「金山は関西方面の奴らとは幾度かトラブっていますので、そのせいだとか、金銭関係の問題だとか、例の騒動の際、若を逃がしてしまったせいだとか・・・様々に言われておりますが、全て噂の域を出ておりません」

「時期が時期だけに、どう受け取っていいか判断に悩むな・・・で、それぞれの動向は?」
 上げた右手で、ゆっくりと顎をさするようにしながら考え込んでいた永山が、そこで言った。
「駿河麗子の方に、目立った動きはありません。金山の方は一昨日、関西空港からソヴィエトに出国しています」
「確かか?」
「ええ、確かな情報です。間違いありません」
 ぱらぱらとめくっていたファイルを音を立てて閉じながら、三枝がきっぱりと言った。
「ところで、そちらの首尾は如何です?大分派手に動かれているようですが」
「・・・ああ、まぁ、当初考えていたよりもずっと早く、予想以上にスムーズにことが進んでる」
「そうですか。
 若は今までほとんど表に顔を出していないだけに、インパクトが強烈なのでしょうね」
「ああ、そうだろうな。
 筆頭の会長就任に派手に反対していたくせに、実際に見た瞬間、ひれ伏さんばかりの奴までいたしな・・・」

 と、説明し、また説明されながら、永山と三枝は伺うように俊輔の様子を観察していた。

 当の俊輔はデスクに向かって椅子に腰を下ろし、落ち着いた様子で目の前の2人のやりとりを聞いていたが ―― だからといって、安心は出来なかった。

 そう、永山と三枝は、嫌というほど知り尽くしていたのだ。

 俊輔は内心で激情を覚えれば覚えるほど、表面上は凪いでいく男であるということを。
 嵐の前の静けさ、といえば聞こえはいいが、爆発する直前までその兆候が見えないというのは、部下にとっては一番厄介であるのだった。