Night Tripper

27 : タイミング

 心配した、と俊輔は言った。
 それはそうだろうな、と稜は思ったが、頷いただけで何も言わなかった。
 謝ったりするのは、少し違う気がした。

「家族のことも、聞いた」
 少し間を空けてから、俊輔が言った。
 それから小さくため息をつく。
「・・・どうして、話してくれなかったんだ」

 微かに責めるような俊輔の口ぶりに、稜は思わず声を上げて笑ってしまう。

 何がおかしいんだよ。と俊輔は不機嫌そうに言った。
 ごめん。と謝って笑いを納めた稜は、立てた膝に左肘をついて顎を支える。

「言おうと思ったよ、何度も。でもお前、見事なまでに何も訊かないからさ・・・」
「訊かれないことを、わざわざ話して聞かせる必要はないと思った?」
「いや、そうじゃない。そうじゃなくて・・・お前がまるで、元気に生きてるのが当然みたいな言い方で父さんや母さんや・・・姉さんたちのことを話すからさ ―― お前の中で生きているのなら、そのまま生きていてくれたらいいと思った」

 そこまで言ったところで稜は俊輔から顔を背け、さりげなく左手で額を押さえ、表情を隠すようにした。
 リビングから漏れてくる光を背にしている俊輔の表情はぼんやりとしていたが、逆に稜の表情ははっきりと俊輔に見えているはずだった。

「いつか・・・、いつかきちんと話さなければいけないということはもちろん、分かっていた。
 でも、本当に・・・、本当に酷い死に方だったんだ、みんな。だから・・・」

 奥に震えの気配が滲む声で稜は言って、そこで黙った。
 これ以上話そうとすれば、確実に泣いてしまいそうだった。

 俊輔は、何も言わなかった。

 慰めたり、手を握ったり、抱きしめたり、そういった類のことを一切しようとしないのが心底有り難いと、稜は思う。

 そう、世の中には、他人が慰められることと、決して慰められないことがある。
 可能なことと、不可能なことというのは、確かに存在するのだ。
 それをきちんと把握して瞬時に線引きし、不可能なことは初めからしない。という俊輔の凛とした姿勢を、やはりとてもいいと思った。

 気持ちが完全に落ち着くのを待ってから ―― 俊輔の前だというだけでなく、人前で涙など絶対に見せたくなかったのだ ―― 稜はしんみりとしてしまった空気に区切りをつけるように、軽く咳払いをする。
 それから手を元の位置に戻し、俊輔を見た。

「ところでお前、菖蒲さんと結婚しなかったんだって?」
「ああ・・・元々結婚なんか、する気はなかった」
 と、俊輔は言った。

 嘘をつけ、元々はあったんだろう。と稜は思った。
 が、それは言わずにおき、別の質問をする。

「それで・・・、まずいことになったり、しないのか?」
 俊輔はそれを聞いて、微かに笑った。
「まずいことは、いつもある」
「・・・危ないことになったりとかは?」
「それも同じだ。危ないことも、いつもある」

 事も無げに返された答えを聞いた稜は、もうこれ以上黙っていられなくなる。
 知らないふり、見ないふりが、出来なくなる。

「なぁ・・・今からでも、やり直そうと思わないか?」
 俊輔の方に軽く身を乗り出すようにして、稜は言った。

 口元に微笑の影をたたえたまま、俊輔は黙っていた。その表情は一切、動かなかった。
 更に身を乗り出して、稜は続ける。

「もちろん色々なしがらみがあって、一朝一夕に足を洗うのが無理なのは分かる。でも・・・まだ若いんだし、何もかもを捨てて一からやり直すことだって不可能じゃないだろう?
 お前はもっとまっとうな生き方が出来るはずの人間だと、俺は思うんだよ、俊輔」

 そう言って真摯な視線を送ってくる稜を、暫し無言で見返していた俊輔がやがて、すっと伏せるように両目を閉じた。

 恐ろしいほど長い間、俊輔はそのまま動かなかった。
 或いはそれは、ほんの数分のことだったのかもしれない。だが稜にとっては、もの凄く長い時間のように感じられた。

「 ―― 一番最初に永山に会ったとき、言われたことがある」
 ずいぶん後で、俊輔が言った。
「極道は見てくれじゃない、その精神なんだ、ってね。
 見てくれだけが極道なのはただのチンピラだが、仲間の命、仁義や面子・・・そういったものに当然のように命を懸けようと思うようになったら、見てくれをどう取り繕おうと中身は一生極道のままだ、と」

 そこで俊輔はゆっくりと目を開き、稜を見た。

「・・・俺の母は、駿河麗子に誘拐されて、殺された ―― 聞いているよな?」
「ああ、少しだけ聞いたけど・・・。
 それって、大学を突然辞めた頃の話なんだろう?その時、警察には通報しなかったのか?」
「もちろん、警察には真っ先に行ったよ。まともに取り合ってもらえないからやめろと止められたし、実際その通りだったけどな」
 と、俊輔は言った。
「・・・どうして?」
 驚いて稜が言うと、俊輔は投げやりに肩を竦める。
「警察から見たら、俺たちヤクザなんてのは虫けらも同然なんだ。その愛人なんか、虫けら以下 ―― 死んだ方がいい位にしか、思ってない」

 吐き捨てるように言った俊輔の言葉に、稜は背筋が凍り付くような感覚を覚える。
 つい先ほど聞いた三枝の言葉が、稜の鼓膜の上で否応なく再生されるのを、止められなかった。
 口内が瞬く間に、からからに干からびて行く気がした。

「その母の死を見て、俺はこの世界に入ることを決めた。
 母の身の安全よりも組織を守ることを選んだあの男から、その全てを受け継いで、受け継いだ全てのものをあいつの目の前で叩き潰してやろうと思った。
 その後で俺がどうされようと構わない、虐げられ、蔑ろにされ、苦労ばかりした上にあんな風になぶり殺しにされた母の無念を、俺がこの手で晴らしてやろうと ―― でも俺がそう決心した数年後にあの男は脳梗塞で倒れ、たった2日であっさりと死んだ」

 まるで他人事のように、淡々と話し続けていた俊輔の顔の下半分が、そこで激しく歪んだ。
 本人は笑っているつもりだったのかもしれないが、それは全く笑いには見えなかった。

「死ぬ間際、あの男は母の名を呼んだ。はっきりと、2回。
 ふざけんな、と思ったよ、本当に・・・、何もかも、全てが滑稽で、馬鹿馬鹿しく思えた。
 あの時ばっかりは、それを聞いてキレまくってる駿河麗子に同情すらしそうになった ―― そうだな、あの時確かに、足を洗うなら今だろうな、とは考えたよ」

「・・・だったら、どうして・・・」  と、稜は訊いた。

「 ―― さて、どうしてでしょう」
 と、俊輔は言った。