Night Tripper

28 : 還る場所

「・・・俺は真面目に訊いているんだ。真面目に答えろ」

 ふざけているとしか思えないような俊輔の返答を聞いた稜が、思い切り顔をしかめて言った。
 そんな稜の表情を見て、俊輔は小さく笑う。

「いや、正直に言って、自分でもはっきりとした理由は分からないんだよ」
 俊輔は言い、首を少し右側に傾けた。
「ただ・・・、辻村組の構成員は皆それぞれ、もの凄い経歴を持っている男たちで、元来俺の下にいるような人たちじゃないんだ。
 組長である杉浦さんは内々で二代目の駿河会会長就任が決まっていたのに、それを蹴って俺のところに来てくれた。表に顔を出したくないと言った俺に代わって自ら矢面に立ち、様々な面で俺を庇ってくれてる。
 永山もそうだ ―― 彼は元々駿河会の幹部の一人で、直参最大の組織の組長をしていた男だ。三枝はその右腕・・・というか、ほぼ永山と同等の権限を持って組を纏めていたと聞いている。
 その他の幹部もみんなそれぞれ、今以上の地位があったり、それ相応の組織を束ねていた男たちなんだ」

 そこで俊輔は稜から視線を外し、両手の指先それぞれを丁寧に空中で合わせた。
 そしてその指先に向かうようにして、続ける。

「そういう経歴を持つ人たちが、俺の本心を見抜いていなかった筈がない。最初から、全てを察していたと思う。
 それでも誰も、何も言わずに俺を支えて、守ってくれた。文字通り、命を懸けて。
 だから俺も、あの男が死んだからと言って、そんな彼らからあっさり離れてしまう決心がつかなかった。あと少し、もう少し、って・・・ ―― いつの間にか俺は、彼らの為なら命を捨てても構わないと思うようになっていた。
 駿河はどうでもいい、あの男が作り上げた組織なんかどうでもいいが、しかし ―― 今辻村組にいる彼らが駿河を守りたいと言うのなら、そんな彼らの望みを叶えるために、俺は命を懸けるだろう」

 そこまでを一気に言い切った俊輔は指を外し、真っ直ぐに稜を見た。
 強い視線であったが、過ぎるほどに強く張り詰めすぎていてどこか切なくなるような、それはそんな視線だった。

「 ―― 分かるか?俺はもう、骨の随まで極道なんだ。もう今更、どこにも戻れやしない」

 低い、低い声で、俊輔は言った。
 その俊輔の言葉を聞いた稜は、ゆっくりとベッド・ヘッドに後頭部を預けて天井を見上げる。

 胃の奥底に微かな重苦しさを感じたが、気持ちは不思議なほど穏やかに凪いでいた。
 深海に棲む魚は、いつもこんな気分でいるのかもしれないな、と稜はぼんやりと思った。

 遙か遠くの頭上にどんなに激しい嵐の気配があっても、身体を押し包む水は永遠のように動かず、淀んでいる。
 遠くにいる、何らかの生き物の身動きによって生じた微かな対流が時折辺りの景色を揺らすが、漆黒の闇が多少揺れたとしても、誰にも分からない。気付かれない。それはただ、行き過ぎるだけだ。静かに、そっと ―― 無意味なほど、ひそやかに。

 小さなちりのようなプランクトンが音もなく漂い、二酸化炭素すら液体に変化する世界。
 音もなく、光もなく、時間の経過すら曖昧な、永遠の闇・・・ ――――

「・・・なぁ、俊輔」

 ふいに稜が、俊輔を呼んだ。
 唐突に呼びかけられた俊輔は、数秒の間を空けてからその声に反応して顔を上げる。

「・・・何だ」、と俊輔は言った。
「もっと、こっちに来いよ」、と稜は言った。

 そう言われた俊輔は再度数秒の間を空け、
「・・・来てるじゃないか」
 と、どことなく奇妙なイントネーションで言った。

「もっとって、言ってるんだよ」
 と、稜が言い ―― その言葉の意味が分からない筈もない俊輔は、困ったように稜から視線を外し、あらぬ方向に視線をうろつかせる。

「いや・・・やめておく」、と俊輔が言う。
「・・・どうして?」、と稜が訊く。そして少し考えてから、躊躇いがちに言う、「ええと、あの時のことなら、本当に何もされてない。嘘じゃない」
「あのな、俺がそんなことを気にしていると思うのか」
 他の男に触れられたかもしれない自分に、触りたくないのだろうか。と考えた稜の内心を見抜いたように、俊輔が不機嫌に答えた。
「いいか、連れ去られた俺の母は、まともに生きて俺の元に戻って来てはくれなかった。
 例え何をされていようが、生きていてさえくれれば何だっていいんだよ」

「・・・だったら何も問題ないだろう」、と稜は言った。
「いや・・・、それがあるんだ」、と俊輔は言った。
「・・・どんな?」、と稜が訊いた。
「・・・三枝、・・・」、と俊輔が呟いた。
「三枝さん?」
 びっくりして、稜は繰り返す。
「どうしてここに突然、三枝さんが出てくるんだ?」
「・・・“あんな目にあってショックを受けている志筑さんに、今日の今日で妙な手出しをするつもりなら、私にもそれ相応の考えがありますから、そのおつもりで”とか、何とか・・・、まぁその他諸々、散々釘を刺されているんだよ。
 そもそも今日ここに帰ること自体、猛反対された」

 苦々しい口調で俊輔が言い、それを聞いた稜は声を上げて笑い、
「リアルに想像がつくな、それ」
 と、言った。
 そして立ち上がりかけた俊輔の腕を掴み、力任せに引き寄せる。

「・・・お前な・・・、人の話を全然聞いていないだろう」
 バランスを崩してベッドの上に左手を突いた俊輔が、言った。

「聞いてるよ。でも求めているのは、お前だけじゃない」
 往生際悪く身体を起こそうとする俊輔の胸倉を引き寄せ、近くなったその顔を見上げて、稜が言った。

 頑なに稜から視線を反らすようにしていた俊輔が、そこで稜を見下ろす。

 視線が絡み合い、吐息が絡み合い ―― その一瞬で、2人を取り巻く空気の色ががらりと変化し、熱を帯びてゆく。
 そんな中、どちらからともなく近付けられていった唇が、触れ合う。
 触れ合った次の瞬間にそれは、双方から貪り合うような口付けに切り替わる。

「・・・ああもう・・・、どう言い訳するんだ、これ・・・」
 激しい口付けと、荒々しく服を脱がせ合う合間を縫って、俊輔が呟いた。

「俺に・・・、襲われて、逃げられなかった・・・って、言っておけば」
 息つく間もなく続く口付けから喉を反らすようにして逃れた稜が吐息混じりに言って、笑った。

「言う本人すら信じられないようなそんな言い訳を、一体誰が信じるんだ」
 うんざりと俊輔は言って反らされた稜の顎を捉えて引き戻し、更に濃厚に、更に深く、稜の唇を奪った。