3 : 危うい立場
「・・・こんなことを続けていたら、おかしくなると思う・・・」
ぐったりとうつ伏せにベッドに沈み込んだ稜が、整わない呼吸の合間に呟いた。
「感じすぎるから?」
軽く声を上げて笑いながら俊輔が言い、ベッドサイド・テーブルの上に置いたセブン・スターに手を伸ばした。
「断じて違う」、と稜はきっぱりと否定する、「体力的にって話だ。飽くまでも」
「なにごとも慣れだよ、君」、と俊輔は教授が教壇上で生徒に言い聞かせるような口調で言う、「とにかくお前はもう少し食って、体力を付けろ」
そういう問題じゃないだろう・・・。と稜は思ったが、言っても聞き届けられないのは嫌というほど分かっていたので、
「それよりお前、前から思っていたんだけれど、終わった後すぐに煙草を吸うのはやめろ」
と、話題を変える。
「“いいセックスをした後の一服ほど旨いものは、この世に存在しない”と、とある有名な作家も言っていた。喜べ」
「・・・何をだよ。っていうか、誰なんだ、そんな下らないことを書く作家は」
「村上龍」
あっさりと俊輔は答え、稜はため息をつく。
そのまま俊輔に背を向けて頭から布団を被ってしまおうとした稜だったが、俊輔が布団の端を引いてそれを阻止する。
「ああもう、何なんだよ、一体。本当にお前といると疲れるよ、俺は」
暫し無言で引っ張りあっていた布団を掴む手を離して、稜がうんざりと言った。
「そりゃまた、ざっくりと傷つくことを言うね」
ちっとも傷ついていそうもない声で俊輔は言い、1/3ほど吸った煙草を灰皿に放り込んだ。
そして至極当然の流れであると言わんばかりの自然なやり方で、再び稜を身体の下に引き込む。
「・・・おい・・・、嘘だろ・・・」
下腹部に灼熱の兆しを押しつけられた稜が、呆然として言った。
「嘘か本当か、確かめてみろよ」
「じょ、冗談じゃない、俺はもう無理だって・・・!」
「それは俺が確かめてみてやる」
「そんなの結構・・・って、おい、止めろって言ってるだろう、人の話を聞け!その化け物みたいな体力はどこから出てくるんだ!」
「そんなの訊くまでもないだろう、お前を愛しているからに決まってるじゃないか」
と、俊輔が冗談めかして言った。
最近俊輔は時折、こういった言葉を口にするようになった。
それはいつも、からかいとも、冗談とも、本気とも、嘘ともつかないような口調だったが ―― それでも稜は毎回、言われるたびに言葉に詰まってしまう。
俊輔を嫌いではない。むろん。
しかし・・・ ――――
「 ―― 時々は、何とか言えば」
引き続きからかいだか冗談だか本気だか嘘だか分からない調子で、俊輔が答えを促す。
「・・・何て言って欲しい?」
俊輔の肩越し、カーテンの隙間から差し込む月明かりが天井に描く複雑な図形を眺めながら、稜が訊く。
「そりゃあお前、こういう場合は“俺も”とかに決まってるだろう、普通」
「“俺も”」、間髪入れずに稜が言う、「・・・満足ですか?」
その稜の返答を聞いて虚を突かれたように一瞬黙った俊輔が、すぐに爆発するように笑い出す。
そして言う、「満足ですよ」
続く激しい口づけと、今日一番の激しく荒々しい愛撫に、稜は一切逆らわなかった。
いつも冷たいことばかり、俊輔に言っている自覚はあった ―― それは今も、過去も・・・もしかしたら未来も。
でも自分は、少なくとも今は、そういう風にしか出来ないのだ。
時間はあるのだから。と、稜は乱れてゆく呼吸と精神の裏で、自分に向けて言い聞かせていた。
俊輔と一緒にいるようになって、まだ2年も経っていない。
まだ時間は残されている ―― その中で起こる(であろう)様々な事柄のなかで、俊輔に対する想いの方向を見定めるだけの時間は、少なくとも。
だが ―― やはり稜は何も分かっていなかったのだ。
俊輔のいる世界における自分が、どんなに不安定で危うい、吹けば飛ぶようなレヴェルの、ちっぽけなものであるかということを。
今、この瞬間の次の瞬間、自分の居場所が綺麗に消されてしまったとしても、誰も意外に思わないということを。
そう、稜の立ち位置は、飽くまでもそういうところにあったのだ。
本人の自覚の有る無し、好むと好まざるとに関わらず。
それは珍しく、お互いの休日が丸一日重なった日のことだった。
いや、“珍しく”どころではなく、再会してからこっち、初めてのことだったかもしれない。
稜は基本的に土日祝日が休みなのに比べて、俊輔はカレンダー通りに休みをとることが殆どなかったのだから。
大変そうだと単純に稜などは思うのだが、俊輔に言わせれば、
“自由業でカレンダー通りに休みを取ろうと思う奴は、所詮その程度のことしか出来ない”
と、いうことになる。
それを聞いた時、確かに一理あるかもしれないと、稜は思った。
ヤクザが自由業にカテゴライズされるかどうかは微妙なところだと感じたが ―― まぁ、それ以外のどこに入るのかと考えてみると、入れられるのはそこしかないか、とも思ったけれど。
―― ・・・とにかくその日、俊輔と稜は遅い朝食(若しくは早い昼食)を取りに近所の店に行った。
帰り道で本屋に立ち寄ってマンションに帰ろうとした途中、音もなく黒いリムジンが車道をやってきて、2人が歩いている歩道脇に停車する。
最初稜は、ああ、また始まった。と思う程度だったのだが、隣に立つ俊輔の電流が走るような緊張の仕方を見て、
やっぱり、こういうのに慣れるのはいけないよな。
と、稜を庇うように立つ俊輔の後ろで、どこまでも暢気に考えていた。
そんな暢気な稜の目前で、リムジンの助手席の扉が開かれ、中から男が出てくる。
稜は見たことのない男だったが、彼の顔を見た俊輔は緊張を和らげて丁寧に頭を下げる。
「城島(じょうじま)さんが動かれるとは、珍しいですね」
と、顔を上げた俊輔が言った。
「会長直々の命令なんでな」
と、城島と呼ばれた男が答え、再び微妙に俊輔が緊張する。
「・・・何かありましたか?」
「それは俺の知るところじゃない。が、とにかく話があるということだ」
「分かりました。着替えてから伺います」
「いいや、そのままでいい」
「・・・しかし」
「いいと言ったらいい。会長がそうおっしゃっていた」
ジーンズ姿ではなかったものの、スーツを着てはいなかった俊輔が躊躇うのに、城島がきっぱりと言った。
訝しげに微かに眉を寄せた俊輔だったが、上の命令には逆らえないのだろう。
黙って頷いた俊輔が、振り返って稜を見る。
「悪いが、先に帰っていてくれ」
と、俊輔は言った。
「彼も一緒に、とのことだ」
と、稜が俊輔の言葉に頷くよりも先に、城島が言った。