4 : 役に立たないスキル
「・・・ちょっと待って下さい。彼は我々とは一切関係のない、一般人です。一緒に連れて行く必要はないでしょう」
城島の言葉の意味を稜が理解するより前に、俊輔が硬い声で言った。
「必要があるかないかを判断するのは、お前でも私でもない」
厳しい声で、城島が言った。
「・・・理由を聞かせて下さい。でなければ彼を連れては行けません」
と、俊輔が食い下がる。
「会長のご命令だという以上の理由がいるのか」
と、城島はそっけなく答えた。
そして運転席から出て来た運転手が開いたリムジン後部座席のドアに、ちらりと視線を流す。
「早く乗れ」
「・・・今日のところは俺が一人で行きます ―― おい、早く稜をマンションに連れて行け」
最後、騒動を見てやって来た辻村組の舎弟たちに、俊輔は命令した。
けれどおそらく ―― 稜は駿河会内部の詳しい人間構成やら役職やらはさっぱり分からないのだが ―― 城島は駿河会のかなり上層部の人間なのだろう。
普段、俊輔の命令には盲目的なまでに従う舎弟たちが、動こうとしない。
怒鳴りつけるわけにもいかないのだろうが、焦燥を隠せないでいる俊輔を、城島は顔色ひとつ変えずに直視していた。
底の見えない井戸に、小石を放り込んだような沈黙が流れた。
いくら待っても石が井戸の底を打つ音は聞こえず、結局、最初に痺れを切らしたのは稜だった。
こういった場面での対処法に関する稜のスキルは、その場にいた男たちの誰よりも高かったのだ ―― “このシチュエイションで逆らってみても、何ら意味はない”と素早く諦めてしまうのを、スキルと言えるのであれば。
稜は無言でリムジンへと足を向け、車脇で待っていた白いワイシャツに黒服の運転手が開けたドアから車内に乗り込む。
それを見た城島は感心したように笑い、
「どうやら彼の方が飲み込みが早いようだな」
と、言った。
「・・・あれは無謀なだけです」
疲れきったように首を横に振って俊輔は言い、稜に続いて車に乗り込む。
隣に乗り込んできた俊輔が物言いたげに自分を見ているのを知ってはいたが、それには気づかない振りをして、稜は車内を見回していた。
それは実に広い車内であり、実に見事な内装だった。
車用のアクセサリーにほぼ共通して言えるように趣味はよくないものの、見事なことは間違いがない。
床に敷き詰められた絨毯は靴の底がほぼ埋まってしまいそうなくらいに毛足が長くて柔らかく、後部座席中央部には豪奢な彫り込みが施された金色に光る灰皿と、揃いのライターが並んでいる。
運転席と助手席の後ろにはそれぞれ折り畳み式のテーブルとキャビネットが埋め込まれ、ちょっとした仕事や飲食が出来るようになっていた。
人一人くらいであれば、ここで生活すらしてゆけそうだ。
稜がそんなことをつらつらと考えている間に、気づくと車は発進していた。
エンジン音も振動もなかったので、車が前に進んでいるのか後ろに進んでいるのか、車窓の外の景色の流れを確認しないと分からないほどだった。
この車には果たして、どのくらいの金がかけられているのだろうな。と稜は考えてみる。
東京の郊外に小さな庭付き一戸建てを買えるくらいの金額は軽くつぎ込まれていそうだが、全てが稜の理解力と想像力の枠を遙かに飛び越えているので、考えるだけ無駄だった。
世の中には住む家よりも使う車の方に金をかける人種がいるのを知ってはいたが、この車はそういうのとはレヴェルが違う。
稜は考えるのを諦めて首を巡らせ、俊輔を見る。
その視線を受けた俊輔はじろりと横目で稜を見ただけで、何も言わなかった。
勝手なことをすると、怒っているのかもしれなかった。
だがあの場合、他にどうしようがあったというのだ?
あんなところでいつまでも、行く行かないと押し問答しているわけにもいかなかっただろうに・・・。
憮然としてそう考えた稜は小さくため息をつき、車のシートに深く身体を沈めた。
「 ―― 着いたぞ」
と、簡潔に告げられたのと同時に小さく肩を揺さぶられて、稜は自分がいつの間にやら眠ってしまっていたことを知った。
同時にドアが外側から開かれ、正午過ぎの一番高い太陽の日差しが車内に射し込んでくる。
「ったく、お前にはつくづくと驚かされる。
自ら進んで車に乗り込むのもどうかと思うが、この状態で寝るか、普通」
前を行く城島の後ろを10歩ほど離れて追いながら、俊輔が小声で呟く。
「・・・寝るつもりはなかったんだけどさ・・・」
確かに流石に寝るのは酷いよな。と思った稜は、大人しく答えた。
「当たり前だ」
と、俊輔はがみがみと言った。
「だがとにかく、これから先は俺から離れるなよ」
「・・・ああ、うん」
と、稜はそこでも一応、大人しく頷いておく。
むろん、それが許されるのであればそうしたいのは山々だった。
ここが駿河会の本家だと知った今となっては、単独でこの家に放り出されるような状況には出来ることなら陥りたくない。
だが内心では達観のような気分で、
“この展開で、それは絶対に許されない線だろうな・・・”
と、予測しており、稜の予測はそう時を置かずに現実となった。
なんだかんだと理由がつけられ(まずは会長に挨拶をしてこい、一般人であるこの方を会長に面通しさせたくはないだろう?云々)、俊輔は別室に連れて行かれてしまい、稜は案内された部屋に一人取り残される。
そこは以前駿河麗子と初めて顔を合わせたのとは真逆に位置する和室で、駿河麗子のいた部屋よりも2割ほど広く、3割ほど豪華な部屋だった。
5分ほどして着物を着た20代半ばくらいの女性が部屋に入ってきて稜の前にお茶の入った椀をひとつ置き、何も言わずに出ていった。
それから更に5分後、再び何の予告もなく襖が開き、着物姿の男が2人の男を従えて部屋に入って来る。
後ろの2人はブラック・スーツ姿で、そのうちの1人は城島であり、もう1人は稜の知らない男だった。
和装の男は無言で稜の前にやってきて、無言で腰を下ろす。
見知らぬ男と城島がその後ろに腰を下ろし、最後に稜の前にお茶を置いた女性が静かに襖を閉めて部屋の隅に控えた。
和装の男は挨拶をしなかったし、後ろの男たちも紹介しようとはしなかった。
しかし挨拶がなくても、紹介などされなくても、彼が纏う雰囲気に晒されただけで稜は、目の前に座る男が誰であるかを知っていた。
佐藤要(さとうかなめ) ―― 駿河会現会長である男が、稜の前に座っていた。