30 : 血と温もり
そう、稜はこれまでただの一度も、俊輔の背中に腕を回したことがなかった。
どんなに乱れ果てている最中であっても、稜の手はベッドのマットレス上に投げ出されているか、きつくシーツを握り締めているか ―― 俊輔に触れていたとしても、その手はまるで拒絶するかのように、胸を強く押し返すように突かれていた。
最初の頃はもちろん、その後一緒に暮らしているような状態でいた頃も、それは一貫してずっと変わらなかった。
当然俊輔はそのことに気付いていたが、それを特にどうこうしようとは思わなかった。
いや、抱きついて欲しくないという訳ではなかったが(むろん)、それを強制する気はさらさらなかった ―― と、言うべきだろうか。
以前から俊輔は、“男を抱く”よりも“男に抱かれる”という行為の方がより強い抵抗を覚えるものではないかと推察していた。
つまり自分よりも稜のほうが、この関係に違和感を覚えている割合は多いのではないかと考えていたのだ。
高校生時代からの付き合いである稜の性格は、それなりに把握している。
甘んじられないことには決して妥協せず、妥協せざるを得なくとも、自らの意思・意見は違うのだと、事あるごとにきちんと主張し続ける。
俊輔のように他人に何を言われようと頓着せず、黙って自らがしたいようにする。というのではない稜のやり方は、俊輔からして見ると“面倒くさそうな生き方だ”と感じられなくもない。
どうしてもっと適当に物事を流せないのか?と苛々させられることも、少なからずあった。
だが自分と違いすぎるからこそ、俊輔は稜の生き様に感動というか、尊敬というか、何と言うか ―― 微妙なのだが、とにかくそういった類の念を抱いていたのもまた、事実だった。
そんな性格の稜が、内心に抱えているであろう葛藤を口に出さず、黙って俊輔に身体を拓いてくれる。
これ以上の何を稜に対して望もうというのか、と俊輔は思っていたのだ。
その思いに嘘偽りはなく、今でもそれは変わっていない。
稜が自分の傍に居続けてくれること自体、現実とは思えないような話なのであり、それを鑑みれば抱きつく抱きつかないなどというのは実に瑣末な事柄であると、俊輔は本気で思っていた。
だがしかし ―― 実際にこうして稜の腕が自分の身体に回されるのを感じた時、俊輔は吐き気がするほどの感動(のようなもの)を覚え、息が止まるような心地がした。
同時にいつの頃からか自分が無意識のうちに、ずっと、この行為に焦がれていたのだという真実を思い知らされる。
許されたのではなく、受け入れられた。
そんな気がした。
心が、震えた。
「・・・お前、復活するの、早すぎ・・・」
呆れた風を装った声で、稜が呟く。
俊輔自身が猛々しさを取り戻していくのを、埋め込まれたままの体内で感じている稜の声は、明らかな官能の色に濡れていた。
その声を聞いて俊輔は笑い、
「馬鹿にされたまま終れる訳がないだろう」
と、言って身体を起こす。
そして、別にどうということもない。という態度で、掴んだ稜の両膝を左右に割り広げた。
「誰も馬鹿になんか ―― って、おい、何をするんだ、やめろ・・・!」
深く穿たれたままのその場所を曝け出そうとするかのような行為に、稜が激しい抵抗を示す。
「どうして?」、と俊輔が訊いた。
「ど、どうしてもこうしても・・・、恥ずかしいんだよ・・・!」、と稜が喚いた。
「今更だろう」
事も無げに言い放った俊輔が、言いざま、稜の左膝の横、太腿の内側に激しく口付けて吸い上げる。
先ほど中途半端に高められた稜はそれだけの行為にも鋭い反応を示し、半身を起こして俊輔を押し退けようとしていたその身体がなし崩し的にベッドへ沈む。
それを見てふっと目を眇めた俊輔は、稜の太腿の内側から足首に向かって、じわじわと口付けを重ねてゆく。
偶然を装って時折肌に歯をたてるたび、その肌が震えるのを舌が感じ、その体内が波打つのを埋め込んだままの自身が感じた。
沸き上がる欲望が命じるまま、俊輔は口付けているのとは逆側の稜の足を下に下ろし、それを跨ぐようにして更に深く、強く、稜を穿つ。
「・・・ああぁ、っ!」
それまでとは違う場所をこすり上げられた稜が、一瞬だけ満たされて、喘ぐ。
しかしそれは本当にほんの一瞬だけで、俊輔はそうして満たした稜の奥底から、どこまでも緩慢に、時間をかけて抜け出てゆく。
完全に離れてしまうぎりぎりのところまで引いて、そこで俊輔は稜の表情を眺めやる。
見下ろす稜の表情と瞳に懇願と哀願の色を認めたところで再び、一気に、奥底までを征服する。
やはり、一瞬だけ。それをひたすらに、繰り返す。
最奥を穿つ一瞬、鋭く喘ぐ稜の体内は食いちぎらんばかりに俊輔を強く締め付け、その後時間をかけて引き抜くたび、そこは悲哀の色すら漂わせて俊輔にまとわりつく。
抜き差しの回数が増えるのと比例して締め付けは強くなり、引き止めるように俊輔自身にまとわりつく襞が訴える悲哀の色は、悲痛さを増してゆく。
その悲痛さの方により心惹かれそうになる自身を振り切り、俊輔は荒い呼吸を繰り返す稜の横顔の、唇の端に口付けた。
小さく身体を離し、見上げてきた稜の瞳を深く覗き込む。
熱に浮かされたように潤む稜の瞳の奥底が、ゆらりと揺らめいた。
俊輔は再度、その唇に口付ける。最初は軽く、唇の皮をついばむように ―― しかし口付けの速度はすぐに加速度的に上がってゆき、次第に唾液が行き交うような音が耳につき始める。
「・・・ぁあ、ん・・・ふ・・・」
鼻腔から抜けるような淫らな稜の吐息が、口付けの合間から零れ落ちる。
身じろぎに擬態するように俊輔が腰を揺らすと、縋るものを求めるようにシーツの上を彷徨っていた稜のすんなりとした腕が、再び俊輔の背に回された。
思わず滅茶苦茶に喰らい尽くし、貪り尽くしてしまいそうになるのを、俊輔は必死で堪える。
1年もの間離れていた稜を、そんな風に荒々しく、欲望と情熱の赴くままに抱いてしまいたくはなかった。
そもそも今日は三枝に言われるまでもなく、こんなことをするつもりはなかったのだ、本当に、一応。
しかし ―― 口付けたままの稜に囁くように名前を呼ばれ、首に回された手指でうなじ辺りを弄られた刹那 ―― そんな俊輔の理性の砦は、あっけなく崩れ去る。
俊輔は無言で稜の両足を抱え上げ、知り尽くしたその内部、ぐずぐずに蕩けきっている稜の感じる部分を猛然と突き上げる。
その抽送のリズムに合わせて、下ろした手で稜自身も刺激してやる。
「や、ぁアっ、しゅん、すけ・・・っく、ぁ、ん、あぁっ・・・!」
強く突きつけられるたびに、稜の唇からは悲鳴とも喘ぎ声ともつかない声が溢れ出す。
稜のきつい入り口が俊輔を強く食い締め、それとは対照的に内部の襞は温かく、柔らかく、蕩けるように甘く優しく、俊輔を包み込む。
その真逆すぎる感触の対比が、俊輔の理性を破壊的に麻痺させてゆく。
これ以上は絶対に無理だ、というぎりぎりのラインまで堪えてから、俊輔は最後、一際深く鋭く稜の最奥を抉り、その場所に己の欲望の全てを叩きつける。
「あ、んぁああああっ!!」
同時に喉を反らすようにして達した稜はその瞬間、俊輔の背中に血が滲むほどに爪をたてた。
数瞬の後、達した緊張を解いてくたくたとベッドに沈んでゆこうとする稜の身体を、俊輔はきつく抱いた。
背後に血と痛みの気配を感じ、腕の中に稜の温もりを感じる。
現実だ、と、俊輔は思った。