5 : 王の死とその残像
磨き抜かれた黒檀のテーブルを挟んで稜の目の前に座った佐藤要は、暫くの間、黙って稜を眺めていた。
それは、とても奇妙な視線だった。
観察したり見極めようとするようでもあり、興味があるようでも無関心であるようでもあり、暖かいようにも冷たいようでもあった。
20畳近い広さのある部屋が、佐藤要がやって来て数分もしないうちに、息が詰まるような重苦しい沈黙に満たされてゆく。
こういった沈黙には覚えがある、と稜は思考の裏でぼんやりと思う。
両親が車の事故に遭ったとの連絡を受けて向かった病院の手術室前でひとり、処置が終わるのを待っていた時だ。
希望は既になく、ただ死と無の宣告を予感していた、あの時・・・ ――――
「かつて我々は、ひとつの王国を築いた」
ふいに、佐藤要が語り出す。
「だが盛者必衰の理の如く、王国とは立ち上げれば打ち倒されるものだ。危険は常にあった。だが我々はそれを乗り越えてきた。いつの時も」
そこで佐藤要は言葉を切り、真っ直ぐに稜を見直した。
何か言うべき場面なのかもしれないと稜は思ったが、言うべき言葉は何ひとつとして思いつかなかった。
「過去、数ある王国が衰退して行った理由 ―― 疫病やら災害やら戦争やら・・・理由はそれぞれにあるが、衰退のきっかけとなる共通の理由がある。
それが何か、分かるかね?」
「・・・王の死」
少し間を空けて、稜は答える。
「そのとおり」
軽く頷いて、佐藤要が言う。
「人は皆、いつか死ぬ。それは避けられないことだ。だが我々の王の死は早すぎたし、唐突すぎた。我々は絶望しかけたが ―― 希望は残されていた。かつての王の影響力を完全投影出来るプロジェクターとも言える存在、俊輔が」
「プロジェクター?」
と、稜は鋭く繰り返した。
だが稜の反発に満ちた言葉が聞こえなかったかのように、佐藤要は続ける。
「近々、俊輔はここにいる駿河菖蒲(するがあやめ)と結婚することになる。
そこで君には、俊輔の前から姿を消して欲しい ―― 少なくとも、ことが収まるところに収まるまでは」
ずばりと佐藤要が言い、稜は黙り込む。
俊輔が結婚するという話は寝耳に水だっただけに、内心驚かずにはいられなかった。
しかし稜としてはそれよりも、“俊輔が初代駿河会会長の影響力を投影するプロジェクターである”という佐藤要の言い方に、激しい反発を覚えていた。
「どういう経緯で君が現状のような羽目に陥ることになったのか、大体のところは調べさせて知っている」
淡々とした口調で、佐藤要は続ける。
「君もいつまでも俊輔に囚われて不自由な思いをしていたくはないだろう。我々はいわば、君が自由になるための手助けをしてやろうと言っているのだ。
その為の諸々のバックアップは、責任を持ってやらせてもらう」
「・・・それはどうもご親切に」
と、稜は言った。
微かに芝居がかったような稜の口調を聞いた佐藤要は眉根を寄せ、彼の後ろにいる2人の男たちはちらりと不穏な視線を交わしあう。
「・・・分からんな。この話をすれば、君は喜んで我々の要求を容れると思ったのだが」
続く沈黙を破り、佐藤要が言う。
「君ほどの男が俊輔にいいように扱われて、婚約まで壊されて・・・逃れたいと思わないのかね?実際、一度逃げ出したことがあると聞いたが」
「それは確かにそうです。
しかし世の中にはあなたがたが把握していないこともあるのです ―― 私と俊輔の関係も、そのひとつだ」
「つまり、ただで俊輔から手を引く気はない、と?」
探るような口調で、佐藤要は訊いた。
「内情をなにも知らないのにそうやって上から決めつけるようにものを言うのは、こちらの世界では当然のことなのかもしれません。
しかし私はそれにどうしても慣れることが出来ないし、好きになれない。好きになれないことを言う人間の力を借りて自由とやらを手にしても、それを自由であると私は思わない。そういうことです」
突き放すような冷たい言い方で、稜は答える。
「君のように後ろ盾が何もない人間一人を消す方法は、いくらでもあるのだ ―― と、言っても?」
「それはそうでしょうね。しかしそれにはそれなりの時間がかかるでしょうし、リスクも伴う。
それにあなた方は俊輔が私に関する問題に対してどういう反応を示すか、まだ完全には把握しきれていないし、予測しきれていない。違いますか?」
それは半分以上、はったりに近かった。
だが攻める方向性は間違っていないと稜は直感していたし、実際、佐藤要の表情からは最初の無関心に近い中立性が失われつつあった。
「君と話すのは面白いよ。実にね」
少し後で、佐藤要は言った。そして笑った。
「・・・いいだろう。それではこれから、もっと突っ込んだ話をしよう。
私が詳しい話をすればするほど、君は自らの進む道を固めていることになるのだが・・・まぁそれは君が望んだことであって、私が心配することではないな ―― これを見なさい」
そう言って、佐藤要は城島が差し出したファイルから取り出した幾枚かのスナップ写真を、稜の方へと滑らせた。
そこに写っているのは、一瞬、俊輔かと思われた。
が、それは俊輔のようであって、俊輔ではなかった。
「・・・これは・・・」
茫として、稜は呟く。
「それが初代駿河会会長、駿河俊太郎(するがしゅんたろう)だ ―― 俊輔に、生き写しだろう?」
佐藤要は言い、黒檀のテーブルの上に伏せて置いていた手を返すようにする。
「駿河会内部には、カリスマ的な影響力を有した初代会長に心酔するものは数多い。彼らは未だ、俊輔と目があっただけで頭すら下げる。まるで反射神経のようにね」
過去を思い返すように遠い目をする佐藤要の独白に近い言葉を聞きながら、稜は思い出していた。
かつて駿河麗子に身柄を拘束された稜の元にやってきた俊輔が暴行されるのを、どこか奇妙な目で見ていた男たちがいたことを。
そして彼らが俊輔に突きつけた銃の引き金を、どうしても引けないでいた光景を。
あの時彼らは、俊輔を通して自分たちが心酔していた男を見ていたのだ ―― 強力かつ絶対的なカリスマを内包し、彼らの上に君臨していた、偉大なる王の姿を。
「そういった力を持つ外面と、元来俊輔自身が持つあの聡明さと俊敏さ・・・それらは初代にはなかったものだ。俊輔は我々の予想を遙かに越えた存在になるだろう ―― あれには類稀なる才能がある」
「・・・羨ましいと思う人が、どれだけいるでしょうね」
と、稜は言った。佐藤要はそれを無視した。
「ここまではプラスの話だ。次がマイナスの話になる。
確かに俊輔には信奉者も多い。だが反面、正式に駿河の血を引いていない俊輔を排除しようという勢力も多い。
極道の世界でお家騒動とはとんだお笑い種だが、とにかく我々としてはこの問題を出来る限り穏便に片付けたいと思っている。こういう問題で少しでも血を流すと、どうしても禍根は残るものだからな。
我々極道とて、流さないで済む血は流したくないのだ」
そこで佐藤要はいったん言葉を切り、スナップ写真の一枚を手に取った。
そしてそれに語りかけるようにして、話を続ける。
「ここにいる駿河菖蒲は、駿河会初代会長である駿河俊太郎の実の妹の孫に当たる。
彼女を妻とすれば、現在辻村姓を名乗っている俊輔は正式に駿河姓を名乗れる。俊輔が初代の非嫡男子であることを理由に、あれが駿河会会長に就任するのを反対していた輩たちも、表立って反対し辛くなるだろう。
そういう流れで全てが丸く収まるはずだった。辻村側もそれが一番いい方法だろうと納得していて、そのようにことを進めかけていた ―― 君が俊輔の周りに現れるまでは」