9 : 差異
―― お前は本当に、驚くほど父親にそっくりだ ――
俊輔が嫌がるのを知っていて、誰もが口にしないその言葉を当人に向かって投げつけた佐藤要は、
「言っておくが、顔の造作の話じゃないぞ。言動の全てが似ているという話だ。
DNAというものの存在を実感するな」
と、更なる追い打ちをかけるように、言った。
佐藤要の言葉を聞いた俊輔の顔が、怒りと屈辱のあまり青ざめてゆくのが、手に取るように分かった。
そんな様子を気に留める風なく、佐藤要は手にしていた葉巻に自分で火を点け、ゆっくりと紫煙を肺に吸い込む。
「 ―― 今から50年近くも前の話になる。
駿河会長は今のお前と全く同じ台詞を、同じ言い方で我々に言った。場所も同じ、この部屋だった ―― 最も、駿河会長と私の座っている位置は逆だったがね」
「・・・・・・。」
「 ―― お前も知っての通り、駿河会は元々、いくつかの既存の任侠団体を纏めて立ち上げた組織だ。最初は本当に大変だったもんだ ―― 時代は今と違って荒々しい時代だったし、何かあるとすぐに刃物や拳銃を持ち出してくるような輩がごろごろしていたからな。
お前の父親である駿河会長の力をもってしても最初はなかなか組織間の関係は落ち着かず、闘争にまでには至らないものの、内部での騒動が大小引きも切らなかった。
そんな駿河会の内情を知った他組織がその隙にと我々のシマに手を出してきたりもして ―― ほとほと困り果てていた中で出てきたのが、あの麗子との結婚話だ」
と、そこで佐藤要は小さく咳払いをし、中間あたりまで吸った葉巻を灰皿に投げ込んだ。
「あの女は当時駿河会に所属していたが諸事情あって袂を分かち、今や大阪の國竜会内で3大勢力の一つになっている和田組初代組長の末娘だ。
駿河会立ち上げ当初、和田のところは駿河会長の次に幅を利かせていた組織で、そこの娘と駿河会長が結婚すれば、誰も駿河会長に楯突くことは出来なくなる ―― そういう算段だった。
だが駿河会長には成人する前から何年も恋い焦がれ、ようやく想いが通じたばかりの恋人がいた、という訳だ。
どうだ、ここに来て少しは父親に同情する気持ちになったか?」
口元に薄く笑みを浮かべて、佐藤要が訊いた。が、俊輔は顔色を失ったまま答えない。
「和田麗子が相当気むずかしく、厄介な性格の女だというのは、最初から分かっていた。だが内外共に落ち着かない状況で、時を過ごせば駿河会の存続自体が危うかった ―― 駿河会長は結局、自ら先頭となって立ち上げた組織や自分を慕う舎弟達を見捨てられず、葛藤や反発を抱えながらも組織を守る道を選ばざるを得なかった。
だが同時に会長は長年恋い焦がれた末に手に入れた美幸さんを、すっぱりと思い切ることも出来なかったのだ。
美しいことは美しかったがあの性格の麗子とは対照的に、美幸さんは本当に心根の優しい、聡明な女性だったからな・・・駿河会長が執着するのも頷ける話ではあった。
会長が溺愛しているからという理由だけでなく、駿河会内部でも麗子よりも美幸さんに敬意を払い、彼女に焦がれる者は多かった ―― まぁ、それが更に麗子の逆鱗に触れることになった訳だが」
「・・・そんな話は聞きたくない」
呻くように、俊輔が呟く。
「いや、今日こそきちんと聞いてもらう」
きっぱりと、佐藤要は言った。
「これまでの話の中で、一番辛い思いをしたのは誰か、お前はよく知っているな。そう、お前の母親の美幸さんだ。
横浜で代々弁護士や大学教授やらを排出してきた名家の一人娘だった美幸さんが駿河会長に見初められ、口説き抜かれて恋仲になり ―― その所為で彼女は親や親戚縁者から絶縁された。
そうまでして選んだ男は組織のために自分以外の女と結婚してしまい、相手の女の自分に対する所業に恐れをなし、乳飲み子を抱えて男の元を出奔し、女手一つで極道の妻の魔手から子供と我が身を守りながら逃走し続け・・・挙句、最後はあの結果だ。
俺は普段、あまり他人に同情などはしないのだが、美幸さんに関してだけは実に哀れな話だと、同情の念を禁じ得なかった。
駿河会長に見初められさえしなければ、金持ちの男の妻の座にでも収まって、今でも健在だっただろうにな」
「ふざけたことを言うな・・・!」
これ以上は我慢がならない、という風に椅子を蹴り、俊輔は立ち上がる。
そして見上げる佐藤要を、激しく睨み下ろす。
「あんたらが母を巻き込んだんだろうが!」
「そうだな、その通りだ。否定はしない。
だが言っておくが、我々は駿河会長を思い留まらせようとしたんだ。本当に大切に思うのなら、愛しているのなら、美幸さんのことは諦めるべきだ、と」
じろりと俊輔を見返して佐藤要は言い、少し間を空けた。
「 ―― だが駿河会長は耳を貸さなかった。他に何も欲しいものはない、ただ美幸だけが必要なんだと言ってな。
お前は今、その父親と同じことをしようとしている」
「・・・俺は、あの男とは違う」
と、俊輔が絞り出すような声で言う。
「違わない、同じだ」
と、佐藤要が突き放すような声で言う。
「違う」、と俊輔は繰り返す。
「同じだ」、と佐藤要も繰り返す。
そこで佐藤要は手を伸ばし、シガレット・ケースから3本目の葉巻をつまみ出して口にくわえた。火はつけなかった。
そして幾度目になるのか分からない沈黙の重みを確認してから、続ける。
「菖蒲は頭のいい女だ。お前の邪魔になるようなことはしないだろうが、あれも所詮は女だ。女というものは、実際に結末を見てみるまで、どう転ぶか分からない生き物だ。
それに男女を問わず、一般人と極道の人間を対峙させるのは酷なものだぞ」
静かにそう言った佐藤要を、俊輔は思い詰めたような表情で見下ろしていた。
その間、何度か何かを言おうとするかのように俊輔の唇が動いたが、結局、俊輔の口からはどんな言葉も出て来なかった。
やがて流れる重苦しい沈黙から逃げるように、俊輔がふらりと部屋を出て行こうとする。
その背中に向かって佐藤要が静かに告げる。
「今日連れてきたあの男に自分の母親と同じ運命を辿らせたくないと思うのなら、諦めてやれ。本当に大切に思うのなら、自由にしてやれ。それがあの男の為だ」
廊下に足を踏み出しかけたところでそれを聞いた俊輔は一瞬足を止めたが ―― 振り返ることなく、部屋を後にした。