11 : ぜったいにゆるさない
俊輔が立ち去った後も、沈黙は重く長く、続いた。
もう二度とそこに音声は戻らないのではないかと思えるほどの沈黙を破ったのは、何かが折れるような鈍い音だった。
百戦錬磨の男たちが飛び上がるように全身の筋肉を震わせ、一斉に音のした方を見る。
男たちの視線が集まった先 ―― 三枝の手の中には、真二つに折られた万年筆があった。
「ぜったいにゆるさない」
奇妙なイントネーションで、三枝が言った。
そして三枝はそのまま、俊輔が辿ったのと同じやり方で部屋を出て行った。
再び中くらいの沈黙があり、永山が額に浮かんだ汗を拭うような素振りと共に、
「・・・やべぇ・・・」
と、誰に言うともなく呟き、DVDのデッキからディスクを取り出し、それを三枝の部下である甲斐貴弘(かいたかひろ)に渡す。
甲斐は受け取ったディスクを手に、同じ部屋に置かれたパソコンへと向かう。
「何でもいい、どんな些細な事でもいい ―― おまえら、何か気付いたことはなかったか」
甲斐が慣れた手つきでパソコンを操作するのを見ながら、永山が訊いた。
「・・・それにしても、どうして音声がないんでしょうね」
と、辻村組で長く若頭の地位についている、船井勇冶(ふないゆうじ)が言った。
「それは私も思いました」
と、船井の補佐をしている白木優弥(しらきゆうや)が頷く。
「こういう場合、声や音を聴かせた方が、絶対に効果的なはずですからね」
「・・・何かそう出来ない訳があるんだろうな ―― とにかくこれは、早く助けてやらないと・・・、・・・」
そこまで言い、永山は語尾を濁して黙り込む。
だが言葉にしなくとも、その場にいる全員が永山の心中を、その杞憂を、正確に察していた。
果たして稜はまだ生きているのか、生かされているのか ――――
それは犯人が分からなかったこの5日間ずっと、日を追うごとに、そして犯人が金山だと判明した瞬間以降、さらに強まった不安だった。
極道社会の中ですら、金山和彦の残忍さは有名なのだ。
そして金山があの駿河麗子に負けずとも劣らず、俊輔を目の敵にして憎んでいることも、広く知られた話であった。
そんな金山が、俊輔の想い人である稜をどのように扱うかなど、考えるまでもない。
映像がいつ撮られたものかは分からないが、稜が浚われてから既に5日が経過している。
希望を持とうにも、状況は余りにも悪すぎた。
「ここを見て下さい、永山さん」
画像の右隅、シートがめくれている床の部分を拡大して、甲斐が言った。
「これ・・・車なんじゃないですかね」
永山は画面に顔を近づけて甲斐が指さす先を確認し、顔を歪める。
「本当だ、これはトラックかなんかの荷台だな」、と永山は言った。
「トラックの荷台?」、と船井が繰り返す。
「つまり、すぐに移動出来るようにしているんだ ―― 居場所から足がついたり、尻尾を掴まれたりしないように」
と、永山は吐き捨てるように言い、鋭く舌打ちをする。
「考えやがったな、畜生・・・」
これまで三枝にちりのような情報を掴まれたところから様々な煮え湯を飲まされてきた金山が、今度こそは絶対に、と考えたやり方なのだろう。
これでは稜が今現在、そしてその次の瞬間にどこに連れて行かれているか、分かったものではなかった。
その後、幹部たちは何度も映像を見返したが、その日の深夜までかけても、映像から分かったことは殆どなかった。
分かったのは、これが金山に繋がる可能性を全て摘み取った後の映像なのだという事くらいだった。
ぐったりと椅子に身体を預けた幹部たちが、それでも諦められずに再び映像を再生しかけた、夜半過ぎ。
小さなノックの音がして、部屋のドアが開いた。
ドアを開けたのは、相良伊織だった。
相良はドアのところで幹部たちに向かって無言で頭を下げ、足音をさせずにやってきて、空いた椅子に腰を下ろす。
「・・・お前、見るのか」、と永山が訊く、「大丈夫か?」
「はい」、と相良が頷く、「あの方に、頼めるかと言われました。大丈夫です。見せて下さい」
きっぱりと言い切ってパソコンに視線をやった相良を厳しい目で見てから、永山は心配そうな表情でマウスの操作を躊躇っている甲斐に向かって頷いてみせる。
パソコン画面に映像が映し出されるや否や、相良の顔色はみるみるうちに青ざめてゆく。
稜に暴行が加えられるたび、相良の身体が痙攣するように震えるのは見ていて痛々しかったが ―― 彼はきつく唇を引き結び、一度もパソコン画面から視線を外さなかった。
そうして進んだ映像の後半、稜から離れた金山に代わって稜に暴行を加え始めた男の姿を見た相良の表情に異変が起きた。
「 ―― どうした」
蒼白だった相良の顔にさっと血の気が上るのを見て、永山が訊く。
「この男 ―― この男の足の部分だけを拡大して下さい」
相良が言い、甲斐がすぐに指定された箇所を拡大する。
拡大された画像を、暫し食い入るように見ていた相良が、
「これは加藤真二(かとうしんじ)だ」
と、咳込むように言った。
「加藤真二?」
と、白木が繰り返す。
「一時駿河麗子の元にいた男だな ―― 確か今は三和にいるんじゃなかったか」
と、船井が言った。
「加藤でしたら、三和会系の三次団体の小林組にいるはずですが」
と、甲斐が画像の色目を明るく加工しながら答えた。
「・・・相良、なぜこれが加藤だと?」
興奮の色を抑えきれない声で、永山が訊いた。
「足の指です」
平坦な声で、間髪を入れず、相良は答えた。
「足の指?」
「はい」
と、相良は断定的に頷く。そして淡々とした口調で説明する。
「この男の足の指は、親指よりも人差し指が長い ―― 他の男のものと比べて見て下さい、その違いが顕著なのがお分かり頂けると思います。こういう足の指は珍しいんです」
相良の説明を受け、甲斐が映像の中から男たちの足の画像のみを次々と映し出す。
確かに相良が言った男の足の指のバランスは、明らかに他の男たちとは異なっていた。
「・・・これが絶対に加藤だと、言い切れるか」
立ち上がって顔をパソコン画面に近づけていた永山が、相良を振り返って見て、確認する。
相良は真っ直ぐに永山を見返し、深く頷く。
「本家の地下にいた頃、部屋にはもちろん窓はなく、壁の下に食事が差し入れられる平たい穴のような隙間が開けられていました。私は日がな1日、そこから見えるものだけを ―― 行き交う人間の足だけを見ていたんです」
と、言った相良の顔が、当時を思い出すように歪む。
「加藤は食事を運んで来ていた男のうちの一人でした。あいつは時々床の隙間から部屋を覗き、酷いことを言ったり、笑ったりした。あの時の屈辱を、忘れたことはありません。絶対に間違いない、こいつは加藤です」