14 : 懇願
加藤が口にしたその日、その瞬間までの2日あまり ―― こんなに長く重い時間を過ごした経験を持つ者は、滅多にいないだろう。
文字通り、1分1秒ごとに新たな不安や恐れが心に湧き起こってくるのだ ―― それは俊輔に限った話ではなく、事情を知る幹部・舎弟全員が、共通して抱く想いだった。
だがむろんそんな不安や変化を、外に見せるわけにはいかない。
金山が用意周到に計画を進めてきたのは確実であり、その金山が俊輔や辻村組の動向を伺っていないとは思えない。
ほんの少しでも不審な点や不穏な雰囲気を察知したら、金山は有明で加藤を拾うという件を含め、全ての計画を躊躇いなく変更するだろう。
そのことが分かりきっていたため、加藤が捕まった件や彼が吐露した内容を知るのは、幹部と一部の舎弟だけだった。
他の舎弟や構成員に対しては一切が伏せられ、彼らはこれまで同様、昼夜を問わず、稜と彼に繋がる手がかりを求めて都内とその周辺を探って回っていた。
そして加藤が金山と有明で会う予定になっていると言った、当日。
三枝がその日の為に立てた計画は、指定の時間に少人数の精鋭部隊を現場に急行させ、金山が現れたら即その身柄を拘束して稜を ―― 加藤の情報によると、金山は片時も稜を手放さないのだという話だったので ―― 救い出し、万一取り逃がした場合を考え、退路の全てに人員を配置して逃げ道を断っておく、という実にシンプルなものであった。
この2日で三枝が計画のために事前にしたのは、当日動かす人員の調整と、有明近辺の道路状況を詳細に把握したことくらいだった。
計画を実行するまでの時間が短期である為にあまり凝った計画は立てられず、また不用意に組員を動かすと金山に感づかれる可能性がある、という点に配慮したのだ。
当日は午後5時頃から、有明近辺の退路の全てを絶つ為の人員が、数グループに分かれてさりげなく組事務所を出て、都内に散らばってゆく。
そして午後9時過ぎに組事務所の俊輔の部屋に残ったのは、待ち合わせ現場で金山を押さえるために選ばれた幹部たちであった。
確認する事項などは既になく、後は時間を待って出発するだけの彼らは、無言だった。
時計の秒針の音だけが滞りなく時が進んでいることを教えてくれる室内で、最初に立ち上がったのは永山だった。
時間には少し早かったが、それに倣うように、周りの男たちも立ち上がる。
一番最後にゆっくりと、俊輔が立ち上がり ―― それを見た幹部たちが、ちらりと視線を交わしあう。
交わし合わされた視線は最終的に、永山に集まった。
その視線を受け、永山は厳しい表情の中、更にきつく唇を引き結んでから、俊輔の前に立つ。
「 ―― 組長。組長は今回、出られては困ります」
永山の言葉を聞いた俊輔は視線を上げ、じっとデスクの向こうに立つ永山を見る。
言葉はなかったが、見ているだけで背筋に何か嫌なものが駆けあがってゆくような、それはそんな視線だった。
「お気持ちは分かりますが、どうか ―― どうか落ち着いて、冷静になって考えてみて下さい。今回のことは、余りにも不確定な要素が多すぎる。
私たちだけで行ってきますので、組長はここに残って下さい」
そう言う永山の口調は、懇願というのに近かった。
10秒ほどの間をあけた後、俊輔は永山から視線を外し、ゆっくりとした足取りでデスクを回ってゆく。
そして永山のすぐ目の前に ―― 鼻先と鼻先が触れ合いそうなほどの近い距離に立ち、永山の両目を深く覗き込む。
「なぁ、永山 ―― 冷静になるって、落ち着くって、どうやるんだ」
と、俊輔は奇妙なまでに真っ直ぐな声で訊いた。
「俺の気持ちが分かるのなら、やり方を教えてくれ。教えてくれたら、その通りにやってみる」
問われた永山が、ごくりと生唾を飲み込む音が部屋に大きく響いた。
それは普段であれば、はっきりと鼓膜を打たない程度の音だったろう。
だが今、この時 ―― エスキモーが暮らす氷の家で迎える丑三つ時のような静けさの中でそれは、ドラム缶を金属バットでジャスト・ミートしたような音に聞こえた。
永山が息を吸い、吐く。
その呼吸すら震えているのが、手に取るように分かった。
見守る幹部たちが ―― 永山とは長年の付き合いになる三枝ですら、その様子を見て驚きを禁じ得なかった。
永山が怯えている姿など、これまで一度たりとも、見たことがなかったのだ。
「・・・、俺にだって ―― 誰にだって、大切なものはある。おまえの気持ちが分からない訳じゃない」
震える呼吸を何度も繰り返してから、永山は言う。
「だが ―― だが、加藤が口にした人間のことを調べさせたが、ほとんど経歴が分からない奴らばかりだったんだ。それだけじゃない、この数年間行方が知れなかった金山の背後も、状況的に全く探れなかった」
縋るような視線で目の前の俊輔を見ながら永山は言い、そこで乾ききった唇を舌で舐めて湿らせる。
それから必死の声音で、続ける。
「そんなところにお前が行って、万一のことがあったら ―― なにもかもがそこで終りだ。組織はもう、お前なしでは成り立っていかない。この数年で、そういう風に作って、走ってきた。今更止めることも、後戻りすることも出来やしないんだ ―― 頼むから堪えてくれ、頼む、頼む・・・、頼むから ―― 俊輔・・・!」
震えが滲むような声で、永山は小さく、しかし鋭く叫んだ。が、それでも俊輔は永山を見つめる視線の強さを変えず、何も答えようとしなかった。
凍ったような沈黙が流れ、やがて瞬間沸騰するように突如憤怒の気配を両目に閃かせた俊輔が口を開きかけた時 ――――
「私に行かせて下さい」
それまで俊輔の後ろに静かに控えていた相良が、きっぱりと言った。