Night Tripper

15 : 震える唇

 またお前は突然、何を言い出すんだ、
 無茶なことを言うんじゃない、
 金山が来ると分かっている場所に、お前を連れていける訳がないだろう、
 相良は今回、メンバーには入れていませんよ・・・ ――――

 等々、その場にいた全員が口々に相良を諫める言葉を口にしたが、相良はそのどんな言葉にもまるで反応しなかった。

 相良が見詰めているのはただ一人 ―― 居並ぶ幹部たち同様相良の言葉に驚き、浮かべていた憤怒の雰囲気すら潜めて振り返った、俊輔だけであった。

「私はこれまであなたのボディー・ガードとしてお側にいましたが、本当の意味で護られていたのは私の方でした」
 と、相良は言った。
「金山和彦の影に怯え、その呪縛に囚われ ―― しかしもう、そういうのは終りにしたい。私もそろそろ、きちんと戦わなければ」
「駄目だ ―― 駄目だ。そんなのは絶対に駄目だ」
 と、俊輔は言った。
「お前は二度と金山に会っちゃいけない。道明寺にも、そう言われているだろう」
「いいえ。もうこれ以上、そうやって逃げていたくない。逃げていては、いけないんです」
 小さく、しかし強く首を横に振って相良は言い切り、口調と同じ足取りで俊輔の側に立った。
 そして真っ直ぐに、俊輔を見据える。
「行かせて下さい、あなたの代わりに。私には分かるんです ―― 今の志筑さんに触れてあの方に嫌がられないのは、あなたを措いて私しかいない」

 相良が断言し、それを聞いた俊輔の瞳の奥が、揺れた。

 そう、本当のところは俊輔も、分かってはいたのだ。
 自分がその場所に出向くことは、決して許されないであろうことを。

 しかし、それでも、分かっていても、行きたかった。
 行きたいのだと、行くのだと、訴えずにはいられなかった。

 あの暗い映像の中で、床につかれた稜の手 ―― 激しすぎる陵辱の辛さを訴えるように歪んだ手指 ―― それが最後、まるで何かを求めるように床を彷徨った ―― その瞬間に稜が求めたのは、自分なのではなかったか。
 極限中の極限のなかずっと、稜が求め続けているのは自分の救いの手なのではあるまいか。

 それならば自分は何をおいても、どんな危険があるのだとしても、一番にその場に赴いて、稜の身体に触れて、その身体を強く抱いて、もう大丈夫だと、もう安心してもいいからと、言ってやりたかったのだ。

「何があろうと、この命に代えても、必ず志筑さんは連れて帰ってきます。ですから ―― 行かせて下さい」

 黙り込んでしまった俊輔に向かって、静かに、相良が言い切った。
 しばらくの間、ぼんやりとした視線で相良を見ていた俊輔はやがて、力つきたように、その視線を斜め下に落としてゆく。

「・・・こんな時・・・、真っ先に駆けつけることすら許されないのか、俺は・・・、 ―――― 」

 呟かれた俊輔の言葉は誰かに返答を求める種類のものではなく、完全なる独白だった。
 その場にいる全員がそれを分かっていたので、誰も、何も言わない。

 沈黙が流れたが、それは長いものにはならなかった。

 やがて俊輔が小さな声で、頼む、と囁くように言った。

 それを受けた幹部たちが俊輔に向かって深く頭を下げてから、次々と部屋を出てゆく。
 そうして最後に永山が上げた右手で強く俊輔の腕を掴んでから、相良を伴って部屋を後にした。

 重い音をたててドアが閉まり、男たちの足音が遠く小さくなり ―― やがてその部屋は再び、時計の針の音だけが支配する場所となる。

 物音が絶えた後も長いこと部屋の中央部分に立ったままでいた俊輔が、傍らのソファに崩れるように腰を下ろす。
 両手で頭を抱え、半身を折った俊輔の表情が ―― 稜がいなくなってから10日という日数が経過したその日初めて、ぐしゃりと激しく歪んだ。

 次いで震えるように動いた唇が、何事かを呟く。
 が、俊輔が呟いた言葉の内容は、永遠に、誰にも、知られることはなかった。