17 : 歪む指、震える身体
“俺に対してあんなことをしろと命令したのは、お前だったのか”
その問いかけに、何というとんでもない事を言うのか、というような表情を浮かべた俊輔を見て、稜は小さく顔をしかめる。
「それなら ―― お前が命令したんじゃないのなら、お前のせいじゃないだろう」
「・・・っ、しかし、俺が・・・ ――!」
「お前のせいじゃない」
ベッドに身を乗り出し、尚も言い募ろうとした俊輔の言葉を、きっぱりとした調子で稜が遮った。
稜の言葉に漲る、弱々しいながらも断固とした調子に返す言葉を見失った俊輔から視線を外し、稜は再び天井を見上げる。
「 ―― 3年前、返事を待たせていたあの数ヶ月・・・、あれはただ無為に時間を空けていた訳じゃないし、焦らしていた訳でもない。
あの時、俺は本当に色々なことを ―― ありとあらゆる、考えられる限りの可能性を考えてみていた。それでもお前といられるのか、何があろうと、それでもいいと思い切れるかどうかを、ずっと ―― その中で多分・・・、こういうことも、考えた」
と、そこで稜は数回、軽く咳き込み、それから息をついた。
「・・・でも ―― 構わないと思った。それでも・・・何が起きようとも、お前の傍にいようと思った。
俺が選んだんだ。俺が、自分で、選んだんだ。お前のせいじゃない」
ゆっくりと、噛んで含めるように語られる稜の言葉を聞いた俊輔が、激しい勢いで上げた両手で、顔を覆う。
顔を覆った両手の関節が奇妙な形に歪み、その手が ―― 手だけではない、その身体全体が、激しく震え出す。
「殺してやる ―― 誰も彼も、みんな ―― ぶっ殺してやる・・・!」
俊輔が低く叫び、それを合図とするかのように、壁から背中を離した永山と、長椅子から立ち上がった三枝が、音もなく部屋を出てゆく。
彼らの顔は、ぞっとするような怒りと、殺意に塗りつぶされていた。
そんな2人の様子と、顔を覆ったまま全身を震わせる俊輔を視界の両端でいっぺんに見ながら、稜は思い出す ―― 駿河会現会長、佐藤要に言われた言葉。
君は何を考えて、何を目的として、何を理由として、俊輔の元に留まろうとするのか。
君には君なりのたてまえやこだわりのようなものがあるのかも知れんが、そのたてまえやこだわりの前に、幾人もの人間が死んで行っても平気なのか ――――
あの問いかけは、まるで高名な予言者がもたらした言葉のように、こうして現実のものとなった。
元来、稜がいるべきではないこの世界。
そこへ無理に入り込んだことによって生じた軋轢が、恐らくは大量の人血を流させ、命すら奪うのだ。
それを知り、理解してもなお、それでもあの時にした自分の選択を、後悔しようと思えない。
こんな自分は、どう考えても・・・ ――――
「・・・どうかしてる・・・、・・・」
と、稜は呟いた。
「 ―― え?」
微かな、吐息のような稜の呟きを耳にして顔を上げた俊輔が、訊いた。
稜は小さく首を横に振り、目を閉じる。
先ほどから外で、密やかな人の話し声がしていた。
俊輔の言葉や命令を、待っているのだ。
それを知っていた稜は言う、「少し一人にしてくれ。眠る」
俊輔は小さく息をつき、稜の額を押さえるようにしてから立ち上がり、
「外に船井たちを残しておく。用事を済ませたら、すぐに戻る」
と、言った。
目を閉じたままの稜が頷き、それを確認してから、俊輔は小さな靴音と共に部屋を後にした。
「道明寺先生が、組長に話があるとのことです」
部屋を出た俊輔に、船井が言った。
俊輔は頷き、道明寺が待っているという1階の院長室に向かう。
ドアを開けて入ってきた俊輔を見た道明寺は書き物をする手は止めず、俊輔に視線で傍にある椅子に座るように促した。
無言でやってきた俊輔が椅子に腰を下ろし、膝の上で手を組んだところで道明寺は椅子を回し、俊輔と向き合う。
そして訊く、「いい話と悪い話、どっちから先に聞きたい?」
表情を動かさずに俊輔は訊き返す、「この状況下で“いい話”なんてものがあるのか?」
そう訊ねられた道明寺は、
「医者的見地からいえば、全くないわけではない」
と答え、デスク脇に置いていたファイルを開いた。
「血液検査の結果が出た。まだはっきりしないものもあるが、性病に感染させられている可能性はほぼないと言ってもいいと思う」
地球の裏側の国で起こっている騒動に関するニュースを読み上げる、国営放送のアナウンサーのような口調で、道明寺は言った。
「使用されている薬に、強い中毒性があるようなものもなさそうだ。
次に体中にある傷や打撲に関して。酷いのは肛門の裂傷と両手足と首の擦過傷だが、それも特別な治療を要するほどのものじゃない。もちろん定期的な消毒や薬の塗布は必要だが、恐らく1月か2月もすればほぼ全て完治するだろう ―― ここまでが、比較的“いい話”になる」
俊輔は膝の上の指を組み直し、道明寺をまっすぐに見詰めたまま頷いた。
道明寺はそこで短い間を空け、続ける。
「ここからは“悪い話”だ。とにかく内臓の機能を表す数値が、軒並み悪すぎる」
道明寺は言い、手にしたファイルのページをゆっくりとめくってゆく。
「彼が囚われていた10日間のうち、最後の数日は死んでも構わないというような ―― 致死量に近い、ギリギリの投薬がされていたんだろう。このダメージは・・・、完治しない可能性が高い」
「 ―― それは、つまり?」
少し間を空けてから、俊輔が訊いた。
「つまり、透析が必要になるとかそこまでのことはないと思うが、年齢もそう若いという訳でもないし・・・、以前より抵抗力が落ちたり、それに伴って身体が弱くなったり、何らかのアレルギー症状があれば、症状が顕著になったり・・・、そういう後遺症は残るだろう。
むろん蓋を開けてみたら全て取り越し苦労だったという可能性がない訳じゃない。治癒力に関しては、個人差が大きいからな ―― だがとにかく、そういう覚悟だけはしておけ、と言う話だ」
淡々とした口調で道明寺はそこまでを説明し、物憂げな表情で口を閉ざした。