19 : つまらない男
俊輔は長いこと、無言で金山を見下ろしていた。
対する金山も一切視線を逸らすことなく、笑った表情はそのままに、俊輔を見上げていた。
その後も途切れることなく続いた沈黙は、非常に奇妙な雰囲気に満ち満ちていた。
緊張も重量も厚みもなにもなく、ただただ冗長なだけの沈黙が、その部屋に満ちる。
見守る周りの幹部たちの方がある意味では緊張しているくらいであったが、見下ろし、見上げる2人の間には緊張の欠片すら見えなかった。
事情を知らない者が上から今のこの情景を見たとしたら、2人の間に電車の座席に偶然向かい合って座った者同士といったレヴェル以上の関わり合いがあるとは思わなかったであろう。
そんな沈黙を破って最初に口を開いたのは、金山だった。
「実に楽しいゲームだった」、と金山は言った、「こういう結末に行き着いたことが悔しくないと言えば嘘になるが ―― 後悔はしていない。試合には負けたが、勝負には勝った。そういう自負があるからだ」
有名な野球監督が自身の引退セレモニーに集まった観客と選手の前で演説をしているような口調で、金山は言った。
それでも俊輔は何も言わず、その表情に特別な変化は見られない。
構わず、金山は続ける。
「ただ唯一見込み違いだったのはあの男だ ―― 志筑稜」
と、金山は言ってうんざりと顔をしかめた。
「ああいうプライドの高い頑固な人間を壊すのはいつも、私に何よりもの喜びを与えてくれる。そういった人間が必ず持っている堅く厚く強固な殻を、少しずつ、少しずつ、壊してゆくんだ、薄皮を一枚一枚、丁寧に剥いでゆくように。そしてその最後、核の部分に隠された柔らかな部分をむき出しにして、そこを掌握する。そうすれば誰もが人形のようになる。その敗北と投降の過程 ―― あれはそこらの性的快感を遙かに凌駕するほど素晴らしいものだ。伊織がいい例だが・・・ああそうだ、そういえば、伊織は死んだか?」
心底楽しそうに、金山は訊いた。
「・・・・・・いや」
どこまでも無表情に、俊輔は答えた。
「本当か?あれは明らかに、動脈を傷つけていたように見えたがね」
いかにも信じていない、という風に金山は言ったが、俊輔はきっぱりと首を横に振る。
そこに適当な嘘をついている様子がないと察した金山は、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふん、そうか。でも助かったとしてもあれは、後遺症が残るだろう」
それに対しては何も答えようとしない俊輔を見て、金山は再び小さく笑った。
「まぁしかし、あれがあんな風にして私の呪縛から逃れるとは思わなかった。自らに壮絶な痛みを科すことで、辛うじて正気を保つとは・・・太股にナイフを突き立てたまま志筑稜を奪い返したあの時のあの光景は、ちょっとばかり感動的ですらあったよ。なぁ豪さん、そうだったよな?」
呼びかけられた永山は眉間に深い皺を寄せたまま、小さく目を眇める。
「・・・それで貴様は、志筑さんに何をした」
と、永山は怒りの炎に揺らめくような声で訊いた。
「別に。いつも通りのことさ」
と、金山は途端に興味がなさそうな声になって答えた。
「薬を使って心の箍(たが)が外れやすい状態にしておいて、3日3晩、ぶっ通しで肉体と精神の両方を徹底的に、完膚なきまでに犯し尽くす。同時に眠りそうになったところを見計らって大きな音を聞かせたり、強い光や冷水を浴びせかけたり、電気ショックを与えたりして、睡眠サイクルをずたずたに分断する ―― これをやると、大体4日以上は精神が保たない。お前の母親も ―― と金山は俊輔をちらりと見た ―― 3日耐えて、壊れたろ」
それを訊いた幹部は怒りのあまり、さっと顔面に血の気を上せたが ―― 俊輔だけがひとり、一切表情を変えない。
「だが・・・あの志筑稜は4日経っても5日経っても、壊れなかった」
と、金山は吐いて捨てるように続けた。
「5日目くらいまでは楽しかったが、1週間を越えると飽きた。むろん必死で無理をしているのが透けて見えるのなら努力するのも楽しかろうが ―― あの男にはそれが全く伺えなかった。限界まで投与してやった薬物の効果でどうしようもないほどに感じているのは伝わってくるのに、喘ぎ声ひとつ、悲鳴ひとつ、あげやがらない。あんなに情の強(こわ)い人間は滅多にいるもんじゃない。
いっそ自殺でもすればそれも一興かと幾度か機会を作ってもやったんだが、それにすらあいつは乗らなかった。
つくりもののような美しい顔立ちにそそられはしたが、あれは本当に、ただのつくりものだ。つまらん、可愛げの欠片もない男だ。そんなものに、興味はないね」
言い放った金山は、そこで改めるように咳払いをし、俊輔を見上げた。
「お前も私と同じようなやり方で志筑稜を手に入れたことは、調べさせて知っている。可愛そうに、実に哀れな男だよな、お前は ―― あれはいくら時間をかけようが、何をしようが、屈服したり懐柔されたりしやしない。そんな男にお前は、何年囚われ続けているんだ?
いいか、忠告してやるが、あれはそもそも男に抱かれるような身体と精神を全く持ち合わせていない男なんだよ、よく覚えておくといい」
尊大な物言いで、金山は言った。
その雰囲気にはいかにも、してやったりという気配があり ―― 胸を反らして満足げな笑いを浮かべる金山を見下ろしていた俊輔が、やがて軽く息をつき、
「 ―――― 言いたいことは、それだけか」
と、尋ねた。