20 : 受け継がれてゆくもの
問われた金山は、黙って肩をすぼめてみせる。
それを見た俊輔も、金山を真似るように肩をすぼめた。
「・・・それじゃあ今度は俺に話をさせてもらおう ―― 一番最初にまず、礼を言うべきか」
それを聞いた金山は最初、また無理をして・・・という風にせせら笑い、側に控えていた幹部たちは予想外の台詞を聞いて ―― ある者は俊輔が怒りの余り一時的な錯乱状態に陥っているのではあるまいかと心配して ―― 一斉にちらりと、俊輔の様子を伺う。
だが俊輔の表情はどこまでも限りなく、サハラ砂漠のように乾ききっていて、平坦だった。
やがて疑問符で埋もれた短い沈黙を破り、俊輔が口を開く。
「つまりあんたは、稜があんな声を聞かせるのも、あんな乱れた様子を見せるのも、あんな表情を見せるのも ―― 唯一俺にだけなんだと、証明してくれたんだろう?」
と、俊輔は静かに言った。
そこには虚勢や虚言の類は一切見えず ―― それを敏感に察した金山の顔に浮かんでいた笑みが、瞬間冷却されたように固まってゆく。
畳み掛けるように、俊輔は続ける。
「あんたの頭がおかしいことは周知の事実だが、それに負けず劣らずこの俺もまた、相当頭が変なんだろう ―― あんたのやったことの99%までは絶対に許せないと、腸が煮えくり返るってのはこういうことなんだと、細胞のひとつひとつまで完全に叩き潰して捻り潰してやっても気が済まない、まだ足りないと、そう思うのは本当なのに ―― 最後の話を聞かされて、最後の1%、ただそれだけで・・・ ―――― 」
と、そこで俊輔はつと金山から目を逸らし、空間に何か縋るものを探し求めるかのように視線を泳がせ、
「・・・畜生・・・、ぞくぞくしてきやがる・・・」
と、掠れきった声で独りごちる。
そう呟いた俊輔の身体を包むオーラには、見ているだけで息を呑むような、熱く、とろけるように濃厚な、官能の気配があった。
強く突き上げてくるものに抗おうとするように目を伏せていた俊輔が、再びゆっくりと視線を上げて金山を見下ろす。
そんな俊輔に対し、最初は無表情な風を装っていた金山だった。
だが殆ど瞬きすらしない俊輔の、強く重い視線に長いこと晒され続けた金山の目の奥底に、じわじわと、迷いのような、恐れのような、何らかの染みのようなものが滲み出す。
やがてその場所に微細な揺れが生じ ―― そのタイミングを的確に掴み上げてねじ伏せるように、俊輔が言う。
「 ―― 金山。あんたの負けだ」
大きな声ではなかったが、断固として決めつけられたその言葉に、金山の身体が肉眼で分かるほどに大きく震え出し、その表情が屈辱と怒りと ―― そして恐らくは恐怖の予感に、歪んでゆく。
その様子を見ていた幹部の誰もが、人から人へと受け継がれる、血というものの恐ろしさを強く感じていた。
こんなことを言えば、俊輔は激しく憤ることだろう。
だが今の俊輔の、相手の呼吸を的確に読み、言葉だけで一気に相手の息の根を止めるやり方は、見間違えようもなく俊輔の父親、駿河俊太郎のやり口そのままだった。
誰に教えられた訳でもない、俊輔に脈々と受け継がれている父親の血が、それをこうして具現化して見せているのだ。
辻村組の主要幹部の誰も、これまで俊輔が駿河会の創始者の血を受け継いでいることを、信じて疑わなかった。
いや、信じるというよりも彼らは、例え俊輔が駿河俊太郎の血を引いていなくても構わないとすら思っていた。
全盛期の頃の駿河俊太郎を知るのは彼らよりも1つ上の世代の男たちであり、理由はそこにもあったかもしれない。
だが今、この瞬間、その場にいた幹部たちは ―― 原色を帯びるように鮮やかな俊輔のやり口に、ひれ伏したいような気持ちを覚えながら ―― 駿河会の顧問レヴェルの人間たちが未だ熱っぽい口調で亡き初代会長について話す理由を知った。
そして目の前にいる辻村俊輔という名の男が、紛うことなく強烈なカリスマ性を有した駿河会初代会長の正当な血をそっくりそのまま引き継ぐ、唯一無二の存在であるということも、また。
「 ―――― 三枝」
喉を反らすようにして金山から視線を外し、天井を見上げていた俊輔が、三枝の名を呼ぶ。
3歩ほど下がって俊輔と金山のやりとりを見聞きしていた三枝が、静かに前に出てくる。
そんな三枝を振り返って見ることなく、俊輔は言う、「楽に殺すな」
俊輔の命令を聞いた三枝は少しだけ笑い、それから答える、「言われるまでもありませんよ」
三枝のきっぱりとした返答を聞いた俊輔は金山を見もせずに踵を返し、部屋を出てゆく。
幹部たちがその後を追い、部屋には三枝とその部下、そして金山が残される。
三枝は何も言わなかったが、心得たように甲斐たちが部屋の片隅におかれていた3つばかりの段ボールを持ってくる。
開けられた段ボールには、大量のファイルがぎっしりと詰まっていた。
「・・・これが何だか、分かりますか」
と、三枝が訊いた。
金山は青白い顔をしたまま、答えない。
「これはここ十数年間の、あなたに関する記録です。私はこの10年余り、あなたが調べたり、実験したり・・・傾倒したりしていたものに関することを子細に把握するように努めていた。姿をくらます天才だったあなたの足取りを追い、その行動を調べるのは本当に大変だった」
そこで三枝は言葉を切り、一番最初に置かれた段ボールの中の、古ぼけたファイルの背を指先で撫でた。
「大変だったのはそれだけじゃない。あなたの傾倒するものは次から次へと、よくもまぁこれほどと呆れるほどに残忍で気味の悪い世界ばかりだった。調べているだけで食欲を失うようなことも、一度や二度じゃなかった。
この私をして、途中何度ももうやめようと ―― やめたいと思ったものですが、しかし ―― しかし今ようやく、あの努力と苦労が報われることになった」
三枝は言い、撫でていたファイルを手に取り、ゆっくりとその表紙を開く。
「あなたにはここに調べてある拷問やら何やらを、死なない程度に一通り、全て経験させてあげましょう。
調べただけで気分が悪くなったようなことを現実世界で実行する自信は、正直言ってないのですが ―― だからこれは戦いだ、貴様と俺との」
最後、唐突に口調を変えた三枝が、金山を睨み下ろす。
「あまりの残酷さにこっちが音を上げるのが早いか、それとも貴様の命が尽きるのが早いか ―― 俺も死ぬ気でやってやる。だから貴様も限界を超えようが耐えて耐えて、耐え抜いて見せろ」
滴り落ちんばかりの殺気を湛えた目で、三枝が言い ―― それを聞いた金山の血の気の失せ果てた唇が、小刻みに震えた。
辻村組の組事務所の地下でそんなやりとりがなされた後、三枝は皆の前から姿を消した。
1ヶ月余り後に戻ってきた三枝はただ一言、終わりました。とだけ俊輔に報告した。
俊輔は頷き、それ以上の報告は求めなかった。
うっすらと頬のこけた三枝の様子が、言葉で説明する以上のことを物語っていたのだ。
三枝と共に姿を消していた甲斐を初めとする部下たちも三枝同様重く口を閉ざし、多くを語ろうとはしなかった。
だがその後漏れ聞こえてきた噂によると、壮絶な痛みに苦しみ悶え、泣き叫んで慈悲を請い続けた金山の最期は、これがあの金山かと目を疑うような、情けないものであったという。