Night Tripper

22 : 消えない影

「・・・再来月、駿河会会長就任が決まっている辻村組組長に対する不遜な物言いをした咎で、制裁を加えるって言うのなら好きにしろ」

 荒げた言葉を通常の調子に戻して、道明寺は言った。

「だが俺のこの話だけは、最後まで聞いてもらう。
 組長さん、俺は一番最初にあんたに言ったはずだ。志筑さんにとってこの時期は一番大事だから、きちんと眠ったり食べたりしているか、事あるごとに確認しろと。そうだよな?」

 単調ながらも厳しい道明寺の問いに、俊輔は頷いて答える。
 だがそこには何故そんな事を再度言われるのか、意味が分からないといった雰囲気が滲んでおり、それを察した道明寺は苦々しく笑った。

「腑に落ちないって顔つきだな ―― ちゃんと食べてる、ちゃんと眠ってる。そう言いたいのか?」
「・・・だが、実際・・・、」
「あんたの前でだけだ」

 俊輔の言葉を遮って、道明寺はぴしゃりと言った。
 それを聞いた俊輔は言いかけた言葉を途切れさせ、口を半ばほど開けた状態で、黙った。

 しばらくの間、呆然とした風の俊輔を冷たい目で眺めていた道明寺はやがて力なくため息をつき、目を伏せる。

「金山に関する報告書は、読んだよ ―― 全く、酷い話だ・・・。10日、240時間、・・・文字通り、1分1秒が、永遠みたいだっただろう」
 と、道明寺は呟くように言った。
「今更言うまでもないが、志筑さんは頭のいい人だ。感情に任せて、恐怖に突き動かされるまま泣き叫んだ方が楽になれることは ―― 例え一瞬であったとしても楽になれることは、分かっていた筈だ。しかしあの人はそういう楽な方へは行かなかった。あの人がそうやって、死に物狂いで、何を守ろうとしたか ―― あんた ―― あんたら、分かってるか」

 そこで道明寺は伏せていた目を上げ、俊輔を睨み据えた。
 そしてそのままの視線で、居並ぶ極道たちを見渡してゆく。

 それは、鋭い視線だった。
 見詰められた者は誰もが一様に、自分が逃げ道を断たれた小動物ででもあるかのような、落ち着かない心地になった。
 誰一人として、道明寺の目をまともに見返せる人間はいなかった。

「 ―― あんたらみたいに、何かと言っては拳銃ぶっ放して、刃物振り回して、血を流すことだけが戦いだと思うな。世の中に普通に生きている一般人の殆どは、血を流すことなく戦ってる。その最たる所を、あの人は切り抜けてきたんだ。
 今回のことでは組長さん、あんたは何もかも己のせいだと、自分を責めているんだろう ―― そうだな、それは間違いない、俺が保証してやる。
 当時婚約中だったあの人にあんたが余計な手出しさえしなければ、こんなことにはならなかった。あんたさえ手を出さなきゃ、あの人はまっとうな結婚をして、今頃は子供だっていたかもしれない。そういう普通の人生を歩めたはずの人を、あんたがその手で、こんなところに引きずり込んだんだ。何もかも全部、あんたのせいだ」

 厳しい声で続く道明寺の糾弾に顔色を失わせ、俊輔は何も答えない。答えられない。
 数拍の間をおいて、道明寺は情け容赦なく続ける。

「しかしこんなことを今更言ってもどうにもならん。何一つ変わらない。志筑さんもそれは分かっていて、あんたが自分を責めているのも分かっていて、だから泣き言一つ言わない。だがそれは強いとか、そんなんじゃないぞ。どんなに早く走ろうが自分の影からは逃げられないのだと、あの10日の間のことは一生、自分一人で背負ってゆくしかないのだと、あの人は分かってるだけだ。
 けどな、いいか、あの人は今、本当にギリギリの所に立ってる。前に転ぶか、後ろに転ぶか、それで全てが決まる。大事な時期だってのは、そういう意味でもある。
 医者という立場でこんな不確定な予測でものを言うのはどうかと思うが、志筑さんのようなタイプは、怖いぞ ―― 壊れる寸前まで、本人にすら限界が見えない。崩壊がどこまで進んでいるのか、誰にも分からない。そしてああいうタイプは、一回壊れたらそれで終りだ。取り返しがつかない ―― 組長さん、あんた、よく考えた方がいい」

 息もつかず、そこまでを一気に言い切った道明寺は呼吸を整えるように、何度か深い呼吸を繰り返した。
 そしてそれから、言いたいことは全て言った、あとはどうにでも好きなようにしろ。という風に両手を広げてみせる。

 中くらいの長さの沈黙の後、俊輔がデスクの上をざっと片付けてから道明寺の方へと歩いてゆく。

「・・・組長、お帰りになるのなら、車を回します」、と三枝が言った。
「いや、いい」、と俊輔は答えた、「道明寺、ここまでは車で来たんだよな?遠回りになってしまって悪いが、品川まで送ってくれ」
「・・・え?あ、ああ、それはまぁ構わんが、・・・しかし・・・ ―――― 」

 一応それなりの覚悟はして来ていたのだろう、道明寺がちらりと、伺うように幹部たちを見やる。
 ドアノブに手をかけた状態で、そんな道明寺の様子を振り返って見た俊輔は肩をすくめ、

「おい道明寺、妙な心配はしなくてもいい。こんなことで制裁だ何だと言っていたら、忙しくてかなわないだろうが。早く来いよ」

 と、言った。