23 : 問題と課題
妙な心配はしなくてもいいとは言ったものの、この場に長いこと道明寺を居させることに不安を感じない訳ではなかったのだろう。
俊輔は道明寺を連れ、足早に赤坂の組事務所を後にした。
赤坂から品川に向かう道は、深夜近いというのに酷く混雑していた。
恐らくどこかで事故が起きたのだろう、パトカーや救急車がけたたましいサイレンの音と共に近づいては遠ざかってゆく。
それらの車が放つ赤い光が、助手席に座る俊輔の横顔を不規則に赤く染めた。
だが俊輔はそれには特に、何の反応も示さない。
かけっぱなしになっている車内のオーディオでは、ジョニー・キャッシュが小さな声で歌い続けていたが、俊輔がそれに気付いているかどうかも、分からなかった。
「きついことを言って、すまなかったな」
ずいぶん後で、道明寺が言った。
「今回のことだけでなく、あんたが色々な意味合いで苦しんでいることは、よく分かっているんだ、ただ、・・・」
「 ―――― いや」
最後、言葉を濁した道明寺を見ずに、俊輔は言った。
「お前が言ったことは全て本当のことだ。何も謝ることはない」
その後も渋滞は途切れず、緩慢な速度で進む車の中、オーディオの中でCDが入れ替わるのを見計らったかのように俊輔が言う、「一番の問題は、俺の弱さにあるんだ」
前の車のテール・ランプを睨んでいた道明寺は、微かに目を眇めて言う、「弱い部分の全くない人間なんて、どこにもいない」
道明寺の言葉を聞いた俊輔はそこで窓枠にかけていた腕を外し、首を回して道明寺を見て、
「先生、あんた、馬鹿じゃないよな。俺の言いたいことは、分かっているはずだ」
と、言った。
「俺は絶対に弱くあってはならない部分が、致命的に弱いんだ。どうしようもないほど、根元的に」
道明寺は視線を前方に据えたまま、沈黙した。
俊輔は自嘲気味に苦笑する。
「だがまぁ、それは俺の個人的な問題であり、課題だ。今は何より、稜の話をしよう ―― 全く寝ても、食べてもいないって?」
「・・・さっきも言ったとおり、本人はちゃんとやっていると言ってる。志筑さんはそういう意味で適当な嘘をついて誤魔化したり出来る人ではないから、本人は食べられていないことにも、まともに眠れていないことにも、気付いていないんだろう」
「俺の前では、至って普通なんだが・・・、無理をしているということか」
「さあな。心配させまいと無理をしているのか、あんたがいたら全てまともに出来るのか・・・それは分からん」
と言った道明寺は赤信号で車を止め、俊輔を見た。
「何も四六時中、付きっ切りでいる必要はないんだ。毎日定期的に帰って、その時1食でもいい、まともな食事をさせて、きちんと寝ているか確認するだけでいい。
いいか、どんなに高名なアスリートでも、単独でトレーニングを続けるのはきついもんだ。側で見ている監督とかコーチとか、そういう存在がいるだけで、手を抜けなくなる ―― 言っている意味は、分かるよな?」
「・・・ああ、分かる」
と、俊輔は言った。
「まぁそうは言っても、時期が時期だけに組長さんも忙しいだろうし・・・。
どうする、ことが落ち着くまでもう一度、志筑さんを俺のところに入院させるっていう手もあるぞ」
と、道明寺が言った。
「いや、・・・・・・」
すぐにきっぱりと否定しかけた俊輔が、厳しい表情をして、むっつりと黙り込む。
俊輔がこの1月ばかり、稜に暴行を加えた人間を洗い出す作業だけに奔走していたのではないことは、道明寺も分かっていた。
駿河会の会長に就任するまであと2月を切っている現在、それに纏わる雑事が山ほどあるのだろう。
稜の側にいたいのは山々なのだろうが、そういう訳にはいかない現実があるのだ。
沈黙してしまった俊輔にそれ以上何も言うことなく、道明寺は黙ってハンドルを操り、品川へと向かう。
車が品川のマンション前についたところで、俊輔はシートベルトを外しながら、
「少し、考えさせてくれ。入院の必要がありそうな時には、改めて連絡をする」
と、言った。
道明寺が頷き、俊輔は送ってくれた礼を言ってから車を降りていった。
その後姿がマンションのエントランス内に消えるのを見届けてから道明寺は力なくため息をつき、車をUターンさせた。
ほぼ3日振りに帰った部屋に、既に明かりはなかった。
暗闇の中、そっと覗いた寝室に眠る稜の姿を確認してから、俊輔はざっとシャワーを浴びて汗を流し、寝室に戻る。
眠る稜を起こさないように細心の注意を払いつつベッドに上がった俊輔は、ベッドの端で眠る稜へ向けて、そっと手を伸ばす。
落ちるか落ちないかというより、これで落ちないのが奇跡というくらいベッドの端ギリギリの所に寝ている稜を引き戻してやろうとしたのだったが ―― 伸ばした俊輔の手が肩に触れた瞬間、稜の身体が雷にうたれたように激しく、飛び上がるように、震えた。