Night Tripper

26 : 約束

「 ―― ああ、そういえばお前、どこか行きたい所はないか」
 長く続いた沈黙を破って、俊輔が唐突に言った。
「・・・なんだよ、突然」
 と、稜は言った。
「お前、ここ2ヶ月以上、殆ど外に出ていないだろう。三枝が心配していた。行きたい所があるなら、時間を作って、連れて行ってやる、どこにでも」

「 ―― どこにでも?」
 と、少し考えてから、稜が訊いた。
「ああ、三枝が言い出したんだ、どんな無茶を言っても大丈夫だ」
 と、俊輔は笑いながら、自信たっぷりに断言した。
「イカ釣り漁船の上で穫れたてのイカを使ったイカそうめんを食べたいと言っても、フィンランドでペンギンと戯れながらオーロラを見たいと言っても、あいつのことだ、当たり前のような顔をして手配するだろうさ」
「・・・イカそうめんにペンギンにオーロラって・・・、繋がりが全くないじゃないか。
 そもそも、フィンランドにペンギンなんているのか?」
「繋がりなんかないさ。ただの例えだから振り幅が大きい方が選択肢の幅が広がるだろうし、想像の世界においては何だってありだ。ペンギンだろうがビッグ・フットだろうがネッシーだろうが、なんだって登場させられる。気を大きく持って、想像力の翼を広げるんだよ、君」

「・・・お前・・・、それはもしかして、冗談を言っているつもりなのか」
 と、稜がゆっくりとした言い方で訊いた。
「そうだな、多分、9割くらいは」
 と、俊輔が大真面目な声で答えた。

「・・・俺は時々、お前って奴が全く分からなくなる」
 と、稜は呆れたような口調で言い、盛大なため息をつく。
 俊輔は小さく笑っただけで、何も言わなかった。

 再度、沈黙が流れる。
 それはとても ―― 切なくなるほどに、静かな、静かな、沈黙だった。

「 ―― 福島。福島がいい、・・・」
 そんな静けさの果てに、囁くように、稜が言った。
「福島だな、分かった。手配しよう」
 と、俊輔はさらりと言った。

 どうして福島なのか、そこで何をしたいのか ―― 俊輔はそういったことを、一切尋ねようとしなかった。
 それを不思議に思ったり、訝しんでいる気配すらなかった。
 冗談ではなく、フィンランドに行きたいと言ったとしても同じような調子で頷いただろうという気すらした。

 自分が何を考えているのか、分かっているのだろうか、知っているのだろうか、それとも・・・、 ―――― 規則正しい俊輔の心臓の鼓動を背中に感じながら、稜は考える。

 が、むろん考えたところで分かるはずもなかった。

 俊輔はよく稜に向かって、お前が何を考えているのか、俺にはさっぱり分からない。と苦笑混じりに言ったが、それは稜とて同じだった。
 学生の頃から、俊輔のものの考え方は稜にとって、理解と想像の範囲外にあるものであったのだ。

 だが何にせよこの場合、俊輔が何も尋ねようとしないことは有り難いと、稜は思う。

 別に秘密にしたいという意味ではない。
 尋ねられたらきちんとした説明をする、努力はしただろう。

 しかしいくら言葉を尽くして説明をしたとしても、本当の意味で理解をしてもらえるような ―― そういう次元の話であるとは、到底思えなかった。

 実際その場に行ったら、俊輔は理解するだろうか。
 難しいかもしれない、もちろん、しかし、・・・ ――――

「・・・そろそろ、眠れよ」
 やがて俊輔が、低い声で言った。
  「 ―― ん、・・・お前、明日は早いのか」
 ゆっくりと肩を撫で続ける俊輔の親指と、身体に回された腕の温かさを感じながら、稜が訊いた。
「ああそうだな・・・、明日は早めに出ないと駄目だな」、と俊輔が答える。
「ふぅん、・・・じゃあ出るとき、起こしてくれ」、と稜が言う。

「しかし・・・、明日は本当に相当早いし、出来ることならお前は・・・」
 と、心配そうに俊輔は言ったが、
「いいから、起こせ」
 と、稜は重ねて、断固として繰り返した。

「 ―― 分かった。そうしよう」
 少し考えてから、俊輔が言った。

「・・・絶対」
「ああ、分かった。約束する」

 はっきりと俊輔が答えるのを聞いてやっと信じる気になったのだろう、稜は黙り ―― 三度の沈黙の後、実にさりげないやり方で身体を反転させ、俊輔の胸の左側、心臓の少し上あたりに額を押しつけた。
 俊輔が黙ってその身体を抱き寄せてやると、稜はやはりとてもさりげなく、更に身体を寄せてくる。

 それを幾度か繰り返し、これでは息をするのも覚束ないのではないかというくらいに俊輔がその腕に力を込めたところで稜はようやく、その身体にうっすらと漂わせていた強張りを、完全に解いた。