Night Tripper

27 : 懐かしくも美しい幻

 行きたい所があるのなら、どこにでも連れて行ってやる。と俊輔が稜に言ってから数週間後。

 稜は俊輔と共に、福島の郡山にいた。

 俊輔が駿河会会長に就任するまで1ヶ月を切っている時期だということは、稜も聞いて、知っていた。
 だからもちろん、こんな早いタイミングで自分の希望が叶えられるとは考えていなかった。
 だが三枝の無理矢理に近いようなスケジュール調整により、このような早い段階で予定が組まれたのだ。

 その三枝の気遣いなのだろう ―― 多分 ―― 稜に付き添っているのは俊輔の他には運転手として永山が、三枝の代理として甲斐がいるだけだった。
 辻村組の組長であり、次期駿河会会長である俊輔がいるのだから、本当にそんな少人数だけで動いているはずはない。
 恐らくどこかに相当数の幹部・舎弟がいるであろうことは間違いないはずだが、少なくとも稜には、他の関係者の姿や気配は全く感じられなかった。
 あり得ないと思いながらも、もしかしたら他には誰も来ていないのかもしれないと思ってしまうほどだった。

 そもそも当然調べて知っているのだろうと思った行き先の詳細すら ―― 平日の午後3時前に、郡山にいられればいいとだけは事前に告げていたが ―― 郡山市内に車が入ってから、永山に行き先に関する指示を請われたくらいなのだ。

 そして今、車は稜が要求・指示した通り、郡山の市内はずれに位置する私立高校の校門前に停車していた。

 時刻は3時10分前。

 車内はひたすらに、沈黙に包まれている。

 後部座席に座る稜は何も言わずに黙って車窓から外を眺めており、その隣に座る俊輔も稜の視線の先を見詰めて、無言だった。
 停車させた車のエンジンを切った永山も、助手席に座る甲斐も口をつぐみ、身動きひとつしない。

 それから、20分ほどが経過しただろうか ―― 授業を終えて下校する生徒たちの姿が見え始める。

 その後も長いこと、稜は黙って道を行き過ぎてゆく生徒たちの列を眺めていたが ―― 校門からテニス・ラケットを手にした少女たちの一群が出てくるのと同時に、その両目がほんの少し ―― 相当気をつけて見ていないと分からない程度に ―― 細められる。

 その目は、遙か遠い、幻にも似た、懐かしくも美しいものを眺めるようだった。

 だが稜はただ目を少々細めただけで、指先一つ動かすでもなく ―― 動いたのは稜の視線の先を追うように見ていた、俊輔であった。

 テニス・ラケットを抱えた集団が行き過ぎ、ちょうどその影に隠れるように歩いていた一人の少女が稜たちの乗るリンカーン・コンチネンタルの脇を通り過ぎた ―― その、瞬間。

 俊輔はすこぶる自然なやり方で、車のウィンドウ・ガラスを引き下ろす。
 それを見た稜は素早く手を伸ばし、俊輔のスーツの胸ポケットに差し込まれていたサングラスを取って、かけた。

「すみません、道に迷ってしまって・・・、日和田駅へは、どう行けばいいんでしょうか」

 道を行く少女に、俊輔が訊いた。

 唐突に声をかけられた少女は一瞬驚いた様子だったが、俊輔が顔に浮かべた人好きのする微笑みを見て警戒を解き、方向を指差しながら駅までの道を説明してくれる。
 少女の説明は要所要所を的確に捉えた、非常に簡潔で分かりやすいものだった。
 少女の明晰さが、その短い返答を聞いただけで察せられた。

「 ―― 分かりました。どうもありがとう」

 少女の説明を繰り返して確認してから、俊輔が礼を言った。
 少女は首を横に振り、もう一度にっこりと俊輔に微笑みかけてから軽い足取りで立ち去ってゆく。

 ウィンドウ・ガラスが上げられ、車内には元通りの沈黙が戻ってくる。

「 ―― どうして分かった?」
 暫くしてから、小さな声で、稜が訊いた。

 稜がここへ来たいと言った、その理由を調べさせて知っていたとしても、俊輔が姉が産んだ娘の顔まで見知っているとは思えない。
 それに俊輔は稜の視線の先だけを見ていて稜自身を見ておらず、当然稜が見せた僅かばかりの反応すら見ていなかったことを、稜は知っていた。

 それにもし事前に顔写真などを見ていたのだとしても、同じ制服を着た沢山の少女たちの中から、的確にただ一人をピック・アップするのは難しいだろう。

 考えれば考えるほど、俊輔の今の反応は驚くべきことであるように、稜には思えた。

「 ―― 口元」、と俊輔が静かに答える、「口元が、祥子さんにそっくりだった、・・・」

 俊輔の答えを聞いた稜は、その刹那、泣き出すような、笑い出すような ―― 何とも表現しようのない、複雑な声を上げた。

 それから稜は小さく鼻をすすり、車のシートに置かれていた俊輔の右手の甲に自分のそれを、まるで偶然ででもあるかのように無造作に重ねる。

「 ―― もういい。帰る」

 と、やがて稜が、普段どおりの平坦な声で言った。

「・・・、永山」

 と、俊輔が言い、名前を呼ばれた永山は黙って手を上げてギアを切り替え、流れるように車を発進させる。

 後頭部を車のシートに預けた稜は、車が東京に着くまで一言も言わなかった。
 だが俊輔の手の甲に触れさせた手を動かすことはなく、また、かけたサングラスを外すことも、しなかった。