29 : シュールな世界
臨時のニュースを知らせる、耳障りな金属音とも電子音ともつかない音が、断続的に部屋に響く。
速報という字幕にも関わらず、テレビ画面にはいつまで経っても ―― まるで見るものを焦らすかのように ―― ニュースの本文自体は表示されない。
息を詰め、身体を固くした稜がテレビ画面を見つめるその裏で、やはり外から、先ほどとは違う携帯電話の着信音が聞こえてくる。
感じる寒気がどんどん強まってくる。
耐えがたいほどだった。
襲い来る寒気に耐えきれず、稜は両腕できつく自分の身体を抱く。
と、その瞬間、テレビ画面上部から「ニュース速報」の文字が消え、まるで叩きつけるような勢いで、臨時ニュースの文面が画面に浮かぶ。
東京都港区赤坂にある広域指定暴力団駿河会本部において発砲事件が発生し、一般人を含む多数の死傷者が出ている ――――
そんな内容のニュース文字が、速報の音と交互にテレビ画面に現れては消える。
テレビの中の芸人はそれに構うことなく、奇声じみたけたたましい笑い声を上げていた。
シュールと言うにはあまりにも度が過ぎるその対比を、稜は呆然としながら見て、聞いていた。
今朝、俊輔は、今日どこにいくのだと言っていただろう?
赤坂の駿河会本部で会合があるのだと、言っていたのではなかったか。
久々に前会長が来るから、話が長くなりそうだ。と苦笑しながら、マンションを出て行ったのではなかったか、・・・ ――――
そこに思い至った瞬間、冷えきった身体はそのままに、体内を流れる血液という血液が、瞬間沸騰するような感覚があった。
突き上げるような衝動に背をつかれるように、稜は部屋の片隅にある電話に向かい、俊輔の携帯電話を呼び出してみる。
だが普段決して電源が落とされることのない俊輔の携帯電話は何度かけ直してみても、呼び出し音すら鳴らない。
その代わりに機械的な、いかにも留守番電話的な話し方をする女性が出てきて、
“この番号は現在使われていないか、電波の届かない場所にございます”
と、いう文言を繰り返すばかりだった。
その言い方はまるで、もう二度と俊輔に通話は繋がらないし、もし繋がらなかったとしても、そんなことは自分の知ったことではない。とでも言いたげな口調だった。
再び激しい寒気を覚えた稜は、床を蹴るようにして部屋を飛び出した。
この1年の間、稜は俊輔に言われない限り部屋から出ようとせず、これぞ引きこもりというのに等しい生活を送っていた。
そのせいもあるだろうし、駿河会の本部が襲撃されたという情報が入ったせいで浮き足立っていたというのももちろん、あるだろう。
唐突に部屋から出てきた稜を見た舎弟たちの反応は、とても鈍かった。
「ちょ・・・、ちょっと志筑さん、待ってください!どこへ行くんです!?」
マンションの部屋からエレベーターへ続く廊下を走ってゆこうとする稜を、越谷隼人(こしがやはやと)という名の舎弟が、慌てて後ろから抱くようにして、止めた。
彼は駿河会の幹部である船井勇冶の部下で、多少荒っぽいところはあるものの、普段はそれなりにきちんとした分別のある男だった。
少なくともこの状況で、“どこへ行くのか”などという愚にもつかないことを訊くような人間ではなかった。
彼も完全に混乱しているのだろうが ―― 稜がそこに思いをやる余裕はなく、後ろから延びてきた越谷の手に両肩を捕まれたのと同時に、その身体が激しく強ばる。
「 ―― 離せ・・・」
と、呻くように、稜が呟く。
「落ち着いてください、今状況を確認している最中ですから、もう少し・・・ ―― 」
「・・・、離せって ―― 触るな・・・!」
越谷の説明を悲痛な声で遮った稜が、小さく叫ぶ。
「志筑さん、ともかくまずは部屋へ ―― 」
今は何が起こってもおかしくはないと ―― ここに稜がいることは、知られるところには知られているのだ ―― 越谷は稜が抵抗するのを無視して、強引に近いやり方でその身体をマンションの部屋に引き戻そうとする。
他の舎弟たちもやってきて越谷に力を貸したが、そうすればするほど、稜の抵抗は強さを増して行く。
そう長い時間ではなかったが、激しいもみ合いが続いた。
痺れを切らし、そしてこれ以上他人に身体を押さえつけられていることに耐えきれなくなった稜が、叫び声を上げようと息を吸い込んだ刹那 ―― ふいに後ろから、
「おい、今すぐ、その手を離せ」
という声が、した。
かけられた声に舎弟たちが振り向いた、そこに立っていたのは相良伊織だった。
杖を手にした相良は、不規則な足音と共に近づいてきて、未だ稜の身体に触れたままになっていた舎弟の手を、丁寧ではあるがきっぱりとしたやり方で外す。
稜を救出した際に負った傷は相良の足の神経と筋肉を深く傷つけており、あれ以降相良は杖を手放せない身体になっていた。
当然それまでのように俊輔のボディー・ガードをし続けることは叶わなくなり、俊輔はどこか静かなところで養生しながら心穏やかに暮らせばいい、と相良に言った。
後のことは全て、俺がきちんと責任を持つから、と。
だがその提案に対し、相良が首を縦に振ることはなかった。
相良はとにかく稜の側にいることを望み、俊輔以外の人間に側にいられることを酷く嫌った一時期の稜も、相良にだけは心を許していた。
そんな2人の様子を見た俊輔が自分と稜が暮らすマンションの隣の部屋を手に入れ、そこに相良を住まわせることにしたのだ。
部屋から出てきて、ゆっくりと稜の側にやって来ながら、相良はその場にいた舎弟に急いで車の用意をするように命じた。
「・・・しかし・・・、今向こうがどうなっているのか、全く分からないんです。連絡もとれないので・・・」
相良の命令を聞いた越谷が、あぐねきった口調で言う。
状況の分からない混乱した事務所に稜を連れて行っては危ないし、万一何かが起こったらと考えて、躊躇っているのが見て取れた。
「責任は全て、この俺が取る。早く車を用意しろ」
そんな越谷の様子を気にすることなく、相良が言い ―― 長く俊輔の側にいた相良の言葉に逆らえず、越谷がマンション前に車を回すようにと、マンション下に待機している舎弟に指示をする。
すぐに車が用意できたという連絡が入り、そこで初めて、相良が傍らにいる稜を見下ろした。
言葉はなく、態度に見せている訳でもなかったが、見下ろしてくる相良の双眸を見ただけで、彼が稜と同じように ―― ある意味では稜以上に、俊輔の安否について心配し、不安に慄いているのが分かった。
「・・・行きましょうか」
と、相良が言うのを受け、稜は小さく、頷いた。