31 : 停止する時間(とき)
「何だってこんな時に、志筑さんを連れて来るんだ!」
勢いよく中に引き込まれ、ドアが閉まったところで、永山が怒鳴った。
「 ―― 申し訳ありません。お叱りは後で、・・・」
「俊輔は?」
相良が答えかけたのを遮って、稜が強張りきった声で訊く。
ここへ来る間、舎弟たちが何度もこの事務所に連絡をしていたのだが、連絡はまるでつかなかった。
とてもではないがもうこれ以上、1秒たりとも、何が起こっているのか分からない、俊輔が生きているのかすら定かでない状態ではいられなかった。
どんな真実が告げられるのだとしても、想像に脅かされてあれこれ考えているよりはずっといい。
この後の長い人生を、永遠に癒えることのない傷を抱えたまま生きていかなければならないことを、知るのだとしても。
久しぶりに会った稜の ―― 稜は品川のマンションから殆ど出て来なかった為、永山と会うのすら数ヶ月ぶりだったのだ ―― 恐怖に慄いた声を聞いて小さく顔を歪めた永山が、
「大丈夫だよ、会長は・・・ ―― 」
と、答えかけた時、遠くから激しい足音が聞こえてきた。
「 ―― 稜・・・!」
廊下の角を曲がって姿を現した俊輔が第一声、稜の名を呼び、舎弟たちが道を開けきらないうちにそれをかき分けるようにして、稜の前に立つ。
「こんな所にお前は来なくていい ―― 伊織、一体何を考えているんだ、稜をこんな、・・・ ―――― 」
俊輔は眉根を寄せ、厳しく相良を叱責しかけた。
が、そろそろと上げられた稜の手が、たどたどしく自分の胸に置かれたところで改めて稜を見下ろした俊輔は、続く言葉を見失う。
こんな稜は、見たことがなかった。
俊輔の胸の上に手を置いたまま、稜の全てが止まってしまったようだった。
あんなニュースを聞いて驚くのも、心配するのも、不安になるのも、当然のことだ。
他の誰が稜の立場になっても、生じる感情は、同じようなものだろう。
だが今の稜の様子は、そういったどの反応にも当てはまらないように見えた。
顔色は普段とまるで変わらないのだが、ただ稜の全てが、右手を上げたその状態で、停止していた。
寿命を迎えた電球が急速にその光を失ってゆくように、稜の生体反応が薄れて行っているようにすら見えた。
「 ―― おい、お前・・・大丈夫か?・・・、稜 ―― 稜?」
稜の顔を覗き込んだ俊輔が、掴んだ肩を小さく揺さぶりながら、訊いた。
しかし稜は身体を揺さぶられるままに揺れ動くだけで、自発的な反応は全く見せない。
「おい稜、・・・ ―― 」
「会長」
もう一度俊輔が稜に呼びかけようとしたのを、いつの間にか後ろにやって来ていた三枝が呼んだ。
「今日はもういいですから、志筑さんを連れてお帰り下さい」
顔をしかめて振り返った俊輔に、スーツの上着を肩にひっかけたような状態の三枝が言った。
「・・・いや、しかしそんな訳にもいかないだろう ―― それより何より、とにかくお前は早く病院に行けよ」
顔をしかめたまま、俊輔が言う。
「大丈夫です。こんなものはほんのかすり傷ですから」
何故か唐突にイライラとした口調になって、三枝が答える。
「・・・、しかし ―― 」
「かすり傷です ―― かすり傷ですよ」
きっぱりと繰り返した三枝は、3度目の言葉を、そろそろと視線だけを動かして三枝を見た稜に向かって、静かに告げた。
それから三枝は再び、厳しい目になって俊輔を見、
「怪我をした者はいますが、うちの組織側に死者はでていません。死んだのは全て逆恨みして襲撃してきた相手だけです。
一般人の重傷者といっても、物音を聞いて何事かと興味本位で近づいてきて、それが発砲音であると知って逃げまどい、将棋倒しの下敷きになって骨折したというだけの話ではありませんか。なんだか正体の掴めない音がしたら、速やかにその場から距離を置いてむやみに近づかない ―― そういった、生物として当然あるべき危機管理能力すら退化した馬鹿どものことなど、我々の知ったことではありません。ましてや会長がお手を煩わすことなどでは絶対にない ―― 早くお帰り下さい、さあ、今すぐに」
と、一切の反論を許さないといった口調で、言った。
そんな三枝の口調を聞いた永山は小さく息をつき、俊輔に向かって小さく首を振ってみせてから、視線だけで外を指した。
こうなったらもう、何を言っても無駄だ。という永山の無言の薦めに従い、俊輔は稜がここへやってきた車に乗り込む。
「 ―― 行き先は品川でいい、ですか」
運転席に座った皆川が、訊いた。
後部座席奥に稜を乗せてから車に乗り込んだ俊輔は、ちらりと稜を見てから首を横に振る。
「いや、六本木へ行け ―― 大体どのくらいで着ける?」
少しでも早く稜を静かな場所に連れて行った方が良いだろうと判断した俊輔は命じ、訊いた。
「六本木の方でしたら、10分ほどで着けると思います」
皆川は答え、車を発進させた。
先ほどよりはスムーズに走る車の中、誰もが無言だった。
ハンドルを握る皆川も、助手席に座る相良も、終始無言だった。
車のウィンドウ・ガラスに右側のこめかみを押しつけるようにして後部座席に座り、両目を閉ざした稜も、何も言わない。
ぐったりとした様子で俯く稜の肩が、その弱々しい呼吸に合わせて時折動くことで、辛うじて息をしていることを確認できる状態だった。
俊輔はそんな稜の様子をたびたび、心配そうに横目で確認していたが、手を出そうとはしない。
人目のある場所で必要以上に俊輔に触れられるのを、稜が病的に嫌っていることを、俊輔はよく知っていた。
例えこういう場面であっても、それが変わるとは思えなかった。
車が六本木にあるマンションの駐車場に着き、エレベーターで部屋に上がり、マンションの部屋に入り、ドアを閉めたところで、俊輔は稜の身体を引き寄せる。
抵抗はなく、その身体を抱いてみてはじめて、俊輔は稜が細かく震えていることを知った。
その震えはどんなに強く、きつく抱いてやっても、長い間、止まることはなかった。