Night Tripper

33 : 禊

 唇の表面を触れ合わせるだけの口づけが、どのくらい続いただろう ―― やがて俊輔が思い切るように稜から離れ、きっぱりと身体を起こした。
 そして一番手近なベッド・ルームのドアを開け、その奥に据えられたベッドに稜の身体を沈める。

 ベッドの上に横たえた稜の身体から丁寧に衣服を取り払った俊輔は、服を脱がせるのと同じ、丁寧なやり方でその身体のひとつひとつを唇と指で確かめるように、触れてゆく。

 額から瞼へ、頬から顎へ、耳朶から喉へ首筋へ、肩から腕へ、・・・ ――――

 それはまるで、稜が金山に一番最初にされたことを知っているかのような、その記憶を塗り変えようとする意志を感じさせるような、執拗な触れ方であり、確かめ方であり、順番だった。

 稜はその間、俊輔の無言の求めに応じて身体の向きを変える以外、身動き一つしない。
 稜は何をされても、どこに触れられても、ただひたすらに、静かな呼吸を繰り返していた。

 しかしそんな稜の身体に色濃く触れている俊輔には、怯えたような反応を見せてしまわないよう、努めて冷静でいようとする稜の願いにも似た悲痛な心が、手に取るように分かっていた。
 だが俊輔はそれに対して、何も言わなかった。

 大丈夫か、などと訊ねても、稜が抱いているのであろう恐怖が軽減される訳ではない。
 それは稜の緊張を一段階、引き上げることにしかならないだろう。

 生まれて初めて、自分以上に大切にしたいと、これ以上絶対に、なにものにも傷つけさせはしないと強く心に誓っていた存在を、今、自らの手で追いつめている。
 本人が求めたこととはいえ、その事実は俊輔の胸の内をじりじりと焼いていたが、そうかと言っていったん始めたからには途中で適当にやめるわけにもいかなかった。
 そんなことをすれば稜は何をされるよりももっと、傷つくに決まっている。

 自分に出来ることはただ、可能な限りゆっくりと時間をかけて稜の緊張を解き、稜が感じている恐怖をこれ以上大きくしないよう、丁寧にその身体を高める努力をすることだけなのだ。
 そう思った俊輔は、その決心のまま、過ぎるほどの時間をかけて稜の身体を拓いてゆく。

 最初は、何も変わらないように見えた。
 北極の芯の部分を司る永久氷河のように凍り付いた稜の身体は、何をどうしようと、もう溶け出すことはないように見えた。

 だがやがて ―― 少しずつ、少しずつ、そこに変化が見え始める。

 繰り返される呼吸が微妙に乱れ始め、微かに速度を増し、固い緊張に張りつめていた肌から、強ばりが抜けてゆく。

 それは気のせいではないかと目を凝らして見ると、かえって分からなくなってしまうようなレヴェルの、微細な変化ではあった。が、変化は変化だ。

 しかしそれでもなお、俊輔は焦らなかった。

 現れはじめた変化に全く気付いていないかのように、俊輔はそれまでと変わらない執拗かつ丁寧な愛撫を続ける。
 それは快感を引き出す行為でもあったが、同時に禊ぎのような行為でもあった。
 指で弄られた部分を唇で確かめられるたび、稜の身体に見られる変化は明らかなものになってゆく。
 そうして長い時をかけて現れた変化が、見間違いようのないほど明確な強さをもって稜の全身を覆ったところで、俊輔はようやく身体を起こし、最も丁寧に解した場所に固い先端を添えた ―― その、瞬間。

 荒い呼吸を繰り返していた稜の身体が、痙攣するように、震えた。
 同時にその顔がぐしゃりと歪み、激しい勢いで背けられる。

 稜のその、もうどうにも抑えきれないというような恐怖の迸りを見た俊輔の眉根が顰められた。
 が、それはほんの一瞬だった。

「稜、・・・」
 と、俊輔が稜の名を呼び、そっとその顎を捉えて上向かせる。

 果たしてその俊輔の声が、聞こえているのかいないのか。
 二度、三度と俊輔に名前を呼ばれても、小さく震える稜は上げた右手の甲で目元を覆ったまま、一切何の反応も示さない。

「おい、稜 ―― 稜、目を開けろ・・・!」
 やがて焦れた俊輔が捉えた稜の顎を、小さく、左右に揺さぶった。
「目を開けてちゃんと見てみろ、俺だ ―― 稜・・・!」

 静かではあるが強い俊輔の声に稜は両目を覆っていた手をずらし、恐る恐るといった様子で目を開ける。
 そうして開けられた稜の双眸を、俊輔は深く覗き込む。

「 ―― 分かるか稜・・・、俺だ」
 と、俊輔が囁くように訊き、一瞬の間をおいてから、稜が小さく頷く。
 その反応を見た俊輔はやはり囁くように、しかし断固とした意志の漲る声で、続ける。
「いいか、今後もう二度と ―― 例えこの先何があろうとも、俺以外の誰にも、お前にこんなことはさせない。だから、目ぇ開けて、ちゃんと見てろ、・・・」

 濡れた目をした稜が再び小さく頷き、それを合図として、俊輔がゆっくりと、ゆっくりと、肉を割って稜の体内に侵入してくる。
 俊輔に命じられたそのように、稜は身体の奥に熱く脈打つ俊輔自身が埋められてゆく感触と共に、その顔を見上げていた。

 初めて見る ―― 繋がりが深まってゆくのと比例して歪んでゆく、俊輔の表情。
 その苦しげな表情は罪悪感から派生するものなのだろうか、それとも純粋に快感から派生するものなのだろうか ―― それは多分、両方だ。

 様々な感情が入り混じった、複雑怪奇ともいえる快楽の形と色彩。
 きっとそれはこれからも、永遠に、2人の間から消えることはないのだろう・・・。

 稜の最奥までを征服した俊輔が、涙と汗に濡れた稜の頬や額に絡みついた髪を、甘く丁寧な仕草で後ろへと払ってゆく。
 そうしながらひたむきに見上げてくる稜の双眸を再び、深く覗き込んだ俊輔が ―― やがて呟くように言う、「愛していると、言ってみてくれ」

 その言葉を聞いた稜の瞳の奥が、ふっと揺れた。