Night Tripper

6 : 濡れる指輪

 能面のような表情で見上げてくる稜を間近に見下ろし、金山はこの場には余りにも似つかわしくない、慈しむような笑みを浮かべた。
 そして一気に、稜の唇を塞ぐ。

 唇を割って舌が差し込まれ、その舌先が稜の歯列をねっとりとなぞる。
 執拗に、何度も、繰り返し、ひとつひとつの歯の形を、覚え込もうとするかのように。

 そんな口付けは長く、果てを見失ったように続いたが、稜は決して金山を受け入れようとしなかった。

 特にそれを気にする風もなく、金山はやがて唇を離す。

「“この両手を波にさらせば、碧の大海原は紅の血に染まるであろう” ―― かの有名な、マクベスの台詞だ」

 唇を離したそのままの距離で、金山は言った。

「マクベスに負けずとも劣らず、この手は血に染まっている。だがどんな血を見るよりも、君は私を満足させてくれるに違いないと思うよ ―― ずっと、夢に見ていたんだ。こうして君の全てを、私のものに出来る瞬間を・・・私が今どれだけ幸福か、君には分からないだろう・・・、」

 言葉を重ねてゆけばゆくだけ、視力を失いかけた爬虫類のような金山の目に灯る光の強さが増してゆくのが分かった。
 そしてその間に金山の手が、稜のわき腹から腹部にかけてを飽きることなく何度も、撫で上げては撫で下ろす動作を繰り返す。

 それはこのまま永遠にそうしているつもりなのかと思うような、長い時間だった。
 マットレスに押さえつけられている稜の腕のみならず、押さえ込んでいる男たちの手までもが痺れてしまうのではないかと思うほどに。

 だがやがて、羽で撫でるような軽い触れ方で服の上から稜の肌をまさぐっていた金山の手指に、徐々に力がこもってゆく。
 そしてふいに、あたかも偶然を装うかのように、ワイシャツの隙間から親指の先が差し込まれ、その腹が稜の肌に触れた。

 吐息とも、嘆息ともつかない声が、金山の唇からこぼれ落ちる。
 肌に薄く爪が立てられ、そこから微かな痛みが生じた ―― が、指はすぐに引かれた。
 身体を起こした金山は稜の衣服をひとつひとつ、丁寧に脱がしてゆき、そうしながら再び深く、稜に口付ける。

 唇を貪りながら、金山は稜の身体から全ての衣服を取り去り、その身体を抱き、瞼、頬、顎、耳、首筋 ―― と上から順に、丁寧に稜の肌を唇と舌で辿ってゆく。
 睫の生え際から瞼の形、複雑な耳の作りまでをも舌で辿り尽くす、どこまでも濃密にすぎるやり方で。

 身体中を金山の唾液に浸されるような感覚に、流石に激しい嘔吐感を覚えた稜だったが、その感覚を稜は密かに奥歯を噛んでやり過ごす。

 そんな稜の内心を知ってか知らずか、金山は決して、どこも、おざなりに飛ばしたり、抜かしたりはしなかった。
 俊輔が気付くまで、時間はたっぷりとあるのだから。という金山の高らかな勝利宣言のような内心の声が、聞こえてくる気がする。

 金山は腹部を撫で回していた以上の ―― 恐らくその3、4倍の時間はかけているように感じられた ―― 長い時間をかけて稜の足の指先の一本一本まで嘗めしゃぶってから、身体を起こした。
 そして唯一触れずに残していた部分 ―― 稜の左手を、丁寧なやり方で空中に持ち上げる。
 微笑みを浮かべた金山は、その手の薬指だけを軽く持ち上げ、そこにはめられたシンプルなシルバーのリングの形をなぞる。
 指輪も含め、指先から根本までを3回往復指で辿ってから、金山は稜と視線を合わせたまま、ゆっくりとその指を口に含んだ。
 指で辿ったのと同様に、まず包み込むように舌を指先から根本まで、何度か往復させ ―― 金山は最後、指の付け根にきつく歯をかける。
 血が滲むことはないが、痛みを感じるほどに肌に立てられた歯が、徐々に指先へ向かって引かれてゆく。

 稜に微笑みかけたまま、唇を離し ―― 笑いながら暫し口を動かしていた金山がやがて、稜に向かって口を開け、舌を差し出してみせる。

 その舌の上には、唾液に濡れ光る指輪があった。
 稜は何の反応も見せなかったが、金山はそのまま再び身体を屈め、再び稜の左手薬指を口中に含んで指輪を元通り舌で指に押し込んだ。
 それから身体を起こして喉をそらし、ひとしきり、声を上げて笑った。

 何もかもが、無意味なほどにグロテスクで、取り返しのつかないほど歪んだ世界だと、稜は思う。

 もちろん現実世界においても、善きものは少ない。それは分かっている。
 けれど文字通り命を削るようにして大切に守っているほんのひとしずくすら、笑いながら叩きのめすような、ここはそんな場所なのだ。

 思わず絶望感に襲われそうになったが、稜はぎりぎりのところで踏みとどまる。

 もちろん、これだって罠だ。
 巧妙で汚ならしい、狡猾に人の精神を貶めるために考え抜かれた、罠なのだ。

 善きもの全て破壊し尽くされたとしても、それでも、守らなくてはならないものが、自分にはある・・・、 ――――

「ああ、年甲斐もなく、興奮してる ―― なぁ、ほら、分かるか?分かるだろう・・・?」

 押し黙ったままの稜に向かって囁いた金山の股間が、稜の下腹部に押しつけられる。
 固く熱い塊を確かに感じたが、稜はそれでも表情を動かさなかった。

 金山は笑い、視線を稜の腕を押さえている男に投げる。
 金山と視線を合わせた男も小さく笑い返し、ベッド脇に置かれていた小さな瓶を金山に向けて差し出す。

 乱暴に蓋が外され、外された蓋が床に音を立てて落ちてゆく。
 が、誰もそれを拾おうとはしなかった。

「えー、説明すると、このジェルは特殊なもので、君の為に作ったんだ。スムーズに気持ち良くなれる。
 強姦みたいなのは、君だって嫌だろう?私だって嫌だ ―― 君とは、特にね」

 そう言いながら、金山はボトルの口から零れ落ちるジェルを直接稜の身体に落とし、それを稜の秘部に塗り込んでゆく。
 その唐突な冷たい感触に、稜の全身が反射神経的に震えた。

 こんな風にぞんざいな扱われ方をしたことは、これまでに一度も経験がなかった。
 かなり酷いこともされたが、結局最初の最初から、俊輔は稜に対して細かな気を遣っていたのだと、こんな瞬間にも気付かされる。

「作ったものは他にも色々あるんだが、まぁ、これから徐々に紹介してあげよう。時間はたっぷりあるしね ―― さて、これでいい。それじゃあ早速、始めようか」

 手にしたジェルのボトルをベッド上に放り投げて、金山が言った。