9 : 不安な時間
稜が唐突に姿を消したその日から、丸5日が経過しようとしていた。
考えられる限り最大の手が尽くされ、ありとあらゆる可能性が探られたが、稜の行方は杳として知れなかった。
三枝の調べで、当日稜が向かった会社の社長である横田政一が、稜が姿を消したのと同時に社長職を退任していることが分かった。
しかもあろうことか、稜が元々所属している会社には予定通り、毎日きちんと稜の名前で仕事の報告書が提出されているというのだから驚きだった ―― つまり表向きは全てがきちんと整えられており、ただ肝心の稜だけが、まるで空間に飲み込まれてしまったかのように消えているのだ。
社長の突然の退任と稜の失踪が無関係とは思えなかったが、彼が極道世界とは全く関わりのない一般人であるということは早い段階で調べがついており、加えて会社自体や他の関係者に怪しい点も見当たらなかった。
むろん一般人が単独で人一人を連れ去り、こうも完璧に何日も ―― 俊輔たちの目すらも欺いて ―― 姿を消せるとは考え難い。
その裏には何か目には見えない別の力が働いていて、その力がこのとんでもない事態を引き起こしているのは火を見るよりも明らかだった。
俊輔たちが稜の不在を声高に言い立てられないことを見越しているやり口は、この一件に俊輔たちと同じ世界に所属する人間が関わっていることを示してもいた。
だがその黒幕が何なのか、誰なのか、そしてその目的はどこにあるのか ―― それは5日が経過した今でもさっぱり分からなかった。
5日目の朝、組事務所1階にある会議室に集まった男たちの顔には一様に、焦燥と苛立ちと、色濃い疲労の表情が浮かんでいた。
毎日夜を徹して稜に繋がる糸口を求めて動き回り、有力な情報を何一つとして得られずに組事務所に戻って来ているのでは、無理もない。
だがそんな彼らの、ギラギラとした暴走寸前というような目の光を見て、永山は言いようもない不安を覚えずにはいられなかった。
これでは組の内部で大きな問題が起きており、組織の状態が不安定であると表明して歩いているようなものだ。
稜を浚った目に見えぬ敵の狙いが、そこにあるのだとしたら ―― そう考えるといても立ってもいられない気分になる永山だったが、だからといって彼らを諌めることは出来なかった。
何故なら永山自身もまた、彼らと同様の雰囲気を消しきれないでいるという、はっきりとした自覚があったからだ。
不安な時間は、どうしてこんなに長いのだろう・・・ ―――― 。
そう考えた永山が上げた右手の親指と人差し指で、強く眉間を押さえ込んだ時、部屋のドアが開いた。
開いたドアから会議室に入ってきたのは、俊輔だった。
その場にいた男たちが一斉に立ち上がり、頭を下げた。
が、俊輔はそんな彼らには一瞥もくれず、ゆっくりとした足取りで部屋を横切り、部屋の一番奥の椅子に腰を下ろす。
「・・・少しは眠られましたか」
と、永山が訊いた。
その問いかけを無視したのか、そもそも聞こえていないのか。
判断は出来なかったが、俊輔は永山の問いには答えずに訊ねる、「何か情報は」
永山が無言のまま、首を横に振って答える。
それを視界の片隅で確認した俊輔は、鼻の前で丁寧に両手の指先を合わせ、居並ぶ男たちの顔を順番に眺めた。
大小様々な修羅場をくぐり抜けてきた男たちが、その俊輔の一瞥に晒されただけで、一瞬にして顔色を無くしてゆく。
この5日間、俊輔だけが一人、普段と変わらない様子で淡々と日々を送っていた。
特にこれといって感情を暴走させることもなく、態度を荒らすこともなく、服装や髪型や表情を乱すこともなく、外見は普段と何ら変わらない。
だがむろん、それを額面通りに受け取る者はただの一人もいなかった。
組の上層部、永山や三枝ですら、今の俊輔の前に立つ際には、正につま先立つような思いでいた。
こんな風に息も出来ないような無言の圧力を課せられるくらいならば、理不尽に当たり散らされるほうがマシだ ―― 口には出さなかったが、誰もがそう考えているのは明らかだった。
「 ―― 三枝は?」
鼻先で合わせていた指を外し、俊輔が訊いた。
「あいつは本家で確認したいことがあると言って、2時間ほど前に出ていきました。
もうそろそろ帰ってくる頃だと・・・」
と、永山が答えかけたところで、部屋のドアが叩きつけられるような勢いで開かれた。
皆が驚いて振り返り、ドアを開けたのが三枝であるのを見て、更に驚く ―― こんな風にノックもせず、不躾に部屋に飛び込んでくるなど、普段の三枝からしたら絶対に有り得ないことだった。
それだけで、起きたことの大きさと、その驚愕の内容が推し量れるというものであった。
「 ―――― どうした」
吐き気がしそうなほど嫌な重さを持つ沈黙を破り、永山が喘ぐような声で訊いた。
三枝は答えず、ドアと部屋の境目で一瞬強く目を閉じてから息をつき、真っ直ぐに俊輔の前に歩いてゆく。
そして言う、「今し方、これが組長宛に届けられました」
三枝が俊輔に向けて差し出したフェデラル・エクスプレスの厚紙で出来た封筒を、誰もが何も言わずに ―― 言えずに ―― 見詰めていた。
オレンジと青紫色のゴシック・ロゴが印字された封筒の上に、斜めに張り付けられた荷札。
その差出人欄にはまるで見る者をあざ笑うかのような大きな字で、金山和彦の名が、殴り書かれていた。