== DEATH-tiny-LabYrinTH 13 ==

 赤坂にある駿河会の組事務所に顔を出した俊輔はまず三枝を呼び、不在にしていた間の報告を受けた。
 細々とした問題は起きていたが、大きなもめ事になりそうなものはなさそうだった。
 その後幹部を集めて小一時間ほど会議をし、さらに細かい報告をさせたが、そこでも俊輔が口を出さなければならないような問題はなかった。
 全て各幹部の裁量で進めるように、と言って俊輔は自分の執務室に戻り、キャビネット内の全ての資料やファイルを分かりやすいように整える。
 紙ベースのものだけでなく、使用していたパソコンの中も同様に整理した。

 死神に告げられたタイム・リミットの最初の3日間でさりげなく ―― あまり大々的にやると、どう考えても怪しまれるので ―― 整理はしておいたので、そんなに時間はかからない。
 休んでいた間に新しく追加された資料を含めて整理し直したり、並べ変えたりする程度の、最終チェックのようなものだ。

 基本的に普段から俊輔だけにしか分からない、俊輔だけしか知らない、というような不透明なやり方はしていない。
 むろん一般社会側から見れば組織そのものが大きなブラック・ボックスになっている訳だが、その内部はこの数年で大きく改変し、透明性の高い組織にしてきた。
 それがこういう、思わぬところで功を奏した形だ。

 跡目に関しては当然何も言えないが、これに関しても俊輔は特に心配はしていなかった。
 未だに自分の後ろ盾としてなにくれとなく助けてくれている杉浦儀一もいるし、彼が後押しをすれば永山がこの席に着くことも可能だろう。
 多少のごたごたはもちろんあるだろうが、内部が分裂して闘争になるようなことはないはずだ。

 そんなことをつらつらと考えていると、背後でドアがノックされた。
 当人の性格を如実に表したような、きっぱりとしたその音に苦笑を漏らし、入室を許可する返事をする。
 それを受けて部屋に入ってきたのは、駿河菖蒲だった。
 今日の夕方過ぎに組事務所に顔を出すようにと、予め頼んでおいたのだ。

「俊輔さまから私を呼び出されるなんて、珍しいこともあるものですね」
 緊張した面もちで舎弟が応接セットのテーブルの上にお茶を置いて立ち去った後で、菖蒲が言った。
「旅行に行かれていたそうですが、お土産でも買ってきてくださったんですか?」
「あいにくと、土産なんてものを買う暇はなかったな」
 手にしていた煙草をデスク上の灰皿に押しつけて消して、俊輔は素っ気なく言った。
 そしてデスクに寄りかかるような形で、応接セットのソファに座る菖蒲の脇に立つ。
 そのまま見下ろしてくる俊輔の視線を、菖蒲は表情ひとつ変えずに受け止める。

 奇妙な緊張感をまとった、沈黙が流れた。

「今日は頼みがあって来てもらった」

 長く続いた沈黙の果て、俊輔が言った。
 菖蒲は微かに両目を眇めただけで、言葉にしては何も言わない。
 それは俊輔の言葉を好意的に聞く気があるようにも、全く聞く気がないようにも見えた。

 俊輔は構わず、
「俺は明日死ぬ」
 と、さりげない口調で続けた。

 そんなとんでもない告白を唐突に耳にしても、菖蒲の表情は微塵も動かなかった。
 手にしていたコーヒー・カップの中の水面が揺れることすらなかった。

 稜のことを除いて考えても、どうにもいけ好かない女だと普段から感じてきたが、この女のこういう部分は過ぎるほどに見事だ、と俊輔は思う。
 こんなことを唐突に言われて、すぐに本気で信じる人間もいないだろう。それは分かる。が、悪い冗談だと笑うくらいはするものだろう ―― そう、普通であれば。

 普通じゃないんだ、とつくづく思いながら、俊輔は菖蒲を見下ろしていた。

 たっぷりとした間をとってから、菖蒲はゆっくりとした動作で手にしていたコーヒー・カップをソーサーの上に戻す。
 そして訊く、「自殺でもなさるおつもりですか?」
 俊輔は笑う、「なんだって俺が自殺なんかしなきゃならないんだ」
 菖蒲は肩をすくめた。
「だってそうじゃありませんか。特に重大な病気を患っていらっしゃるという話も聞いておりませんし、仮にそうだったとしても明日死ぬなんて断言は出来ないでしょう」
「そうだな、確かにな」
「では何故?」
「9日前に死神だと名乗る男が現れて、教えてくれたんだ。10日後にお前は死ぬから、覚悟しておけ、ってな」

 俊輔の説明に、無表情だった菖蒲の顔が一瞬、歪んだ。
 だがそれは1秒の半分ほどの間だけのことで、菖蒲はすぐに表情を元に戻して再び俊輔を見上げた。

「 ―― つまりそれが、明日という訳なのですね」
「ああ、そうだが・・・」
 と、俊輔は言い ―― 死ぬ前に何とかして、3秒以上の間、この女の顔を歪ませてやりたいもんだと思いながら ―― 笑った。
「こんな荒唐無稽な話を信じろって言うのは無理だとしても、あんた、俺の頭がおかしくなったんじゃないかと心配するとか、そういうのはないのか?心配まではしなくても、少しは驚けよ」
「・・・驚いていない訳ではありませんが、疑っている訳でもありません。少なくとも俊輔さまが本気で言っていることくらいは、私にも分かりますので」
 と、菖蒲は相変わらず無表情のまま、言った。
「それで、私に頼みたいことと言うのは?」
「・・・稜のことだ」
 と、俊輔は表情を改めて言った。
「確かに俺自身もこんな話、信じていいのか悪いのかさっぱり分からん。だが ―― もし俺が死んだら、稜のことはあんたに頼みたい」
「・・・何故、と理由を聞いてもよろしいですか。何故、私なのです」
「そうだな、何故かな・・・、あんたが俺の次に稜を理解して、全力で守ってくれるだろうという気がするんだろうな。あんた以外に頼む相手はいない。そう思った」
「 ―― 光栄だと、思うべきなのでしょうか」
 菖蒲はそこで初めて唇を歪めるようにして笑った。
 そしてふっと声を低め、
「では今回のあの唐突な旅行は、それを知った上でのことだったのね。てっきり私への当てつけなのだろうと思っていたけれど、・・・ ―――― 」
 と、呟く。
 完全なる独り言であることが分かっていたので、俊輔は答えなかった。

 再び沈黙が流れたが、それは長いものにはならなかった。
 沈黙の中、ゆっくりとソファから立ち上がった菖蒲がハイヒールの音高く俊輔の前にやって来て、真っ直ぐに俊輔を見上げて尋ねる、「・・・このこと、志筑さんには?」
 俊輔は緩慢に首を横に振る、「言ってない。あいつは、何も知らない」

 俊輔のその回答を訊いた瞬間、菖蒲が何の予備動作もためらいもなく、思い切り俊輔の左頬をひっぱたいた。
 小気味よいほどの甲高い音がしたが、反動で背けるようになった顔を元に戻した俊輔の双眸に、怒りの色は全くなかった。

「・・・殺してやりたい」

 そんな俊輔の顔を睨み上げ、菖蒲は呻くように言った。