== DEATH-tiny-LabYrinTH 18 ==

「・・・なにもなかった、もちろん」

 少しでも視線を逸らしたら最後、再び飛びかかってきそうな俊輔と睨み合ったまま、死神は言った。

「しつこいようだけど俺は、人間と必要以上の深い関係を持てないんだ。だから全部、はったりだった。志筑稜が俺と寝るなんてそんなこと、絶対に出来ないと思ったから ―― “何でもする”なんて、軽々しく言うなって、柄にもない説教をしてやるつもりだった」

「・・・どういうつもりだったにせよ、そんなことを稜に言ったというだけで万死に値するんだがな、俺にとっては」

 と、俊輔は地を這うような声で言った。
 それを聞いた死神は、唇の左端を捻り上げるように笑う。

「偉そうなことを言うな ―― 今回のことに関して、あんたは俺と同じか、それ以上に志筑稜を傷つけたとは思わないか」
「問題をすり替えるな、それとこれとは、次元が ―――― 」
「違わない」、叩き切るように死神は俊輔の言葉を遮って言った、「確かに俺のやり方はまずかったし、軽率だった。それは認める。でもそれ以前の問題が他の誰でも、どこでもない、お前の中にある。そうだろう」

「・・・なにが」、と俊輔は平坦に言った。
「分かってるはずだ」、ときっぱりと死神は言った。

 むっつりと、俊輔は黙りこんだ。
 軽く息をつき、死神は続ける。

「俺の無神経な挑発に“好きにしろ”って言ったことはもちろんだけど、それ以上に驚いたのは ―― なぁ、俺は一番最初に言ったよな、“死神の姿は死ぬ本人にしか見えないことになってる” ―― 覚えてるか?」
「・・・ああ」
「あれは正真正銘、本当の話だ。俺も死神やって長いが、本人以外に姿を見られたことなんか一度もない。でも ―― でもな、時々 ―― 本当に時々、半世紀に一度くらい、噂に聞くことがある。例外の存在を」
「・・・例外?」、と俊輔が訊く。
「ああ」、と死神は頷く、「俺も実際に姿を見られたって死神に会ったことはないけど、死ぬ当人以外に姿を見られる時、そこにはとある共通点があるらしいとは聞いてた」
「共通点?」
「血だよ」
「血?」

 ひたすらに死神の言う言葉を繰り返す俊輔を、死神は呆れたような ―― しかしどことなく哀れみが滲む目で見た。

「そう、血 ―― 血の繋がり。親、きょうだい、ごくごく親しい親族、・・・それを聞いて俺は、“血は水よりも濃い”って、あれもあながち嘘っぱちって訳じゃないんだと思ってた。だから普段から気をつけてたんだ、親しい血族がいる場面には、姿を出さないようにって。でもそうじゃなかった。血じゃないんだ ―― 血が繋がっていることで確率は高くなるんだろうが、問題は血の繋がりじゃなく、思い入れの問題なんだ。死ぬはずの人間を、どれだけの強さで想っているか。その想いの強さが、普段繋がるはずのない死神と“死ぬ予定のない”人間の時空を歪める、唯一にして無二のファクターなんだ」

 そこまで言った死神は視線を合わせたまま、ゆっくりとした足取りで俊輔の前まで歩いて行った。
 そして鼻先がふれあうほど近くで、俊輔の両目を覗き込む。

「どれだけ想われてるか、分かってるか?」

 尋ねられた俊輔の唇が、ごく微かに震えた。
 だが、それだけだった。
 俊輔の唇から言葉は発せられず、死神は哀れみの色を濃くしてさらに深く俊輔の双眸を覗き込む。

「あんたはこれまでに大変な思いや、辛い思いをしすぎてきた。その過程で手酷く傷ついて、一個の人間には到底処理しきれない苦しみや後悔を背負ってきた。あんたはあんたなりに必死で頑張って、強くなる努力をしてきたことも、分かってる。傷を傷と思わずに、周りにもそう見せずに、自分すら騙すようにして、ぎりぎりのところで突っ張って生きてきた ―― 何もかも、全部、俺は知ってる。分かってる」
 噛んで含めるような口調で、死神は言った。
「でもな、そういう擬態した強さは、本当の強さじゃない。分かってるだろう?自分の強さと弱さのバランスがおかしくなってるって、気づいてるだろう?その理由は他でもない、あんたが擬態し続けてきた強さが ―― 本来仮の姿だったそれが、本来あんたが目標としてきた強さとすり替わっちまってることに起因してるんだよ。似ているように見えたんだろうが、それは全くの別モンだ。あんたはそろそろ、本当の意味で強くならなきゃならない」

 そういって、死神は言いたいことはすべて言った、という風に口を閉ざした。

 辺りは奇妙なまでに静まり返っていた。
 部屋のすぐ外には複数の舎弟がいるはずだが、彼らの気配はほんの少しも感じられない。
 あの世というのはこういう静けさに満ちた世界なのかと思うほど、沈黙は強固で、揺るぎなかった。

「・・・どうすればいいのか、分からないんだ」
 長い沈黙の果て、ぽつりと俊輔が呟いた。

「知ってるよ」
 静かな声で、死神は言った。

 その目にはどこか慈愛すら滲んでいるようで、俊輔は目の前にいる死神に、“そもそも死神というのは、天使の一部だ”と言われたことを思い出す。
 本当にそうなのかもしれない、と思った。

「あんたがこれまでに犯してきた過ちの数々は、そう簡単に償えるものじゃない ―― だが今更いくら後悔してみたところで、やったことは取り返せない。どんなに望んでも、時は逆戻りしたりはしないんだ。割れたグラスがどう努力しても元通りにはならないようにね。
 重要なのはこれ以上失うべきじゃないものを、失ってしまわないようにすることだ」
「失いたくないものは、何年も前からただひとつだけだ」
「もちろん、それも分かってる。失いたくないなら、足掻け。足掻いて、足掻いて、足掻いて・・・がむしゃらに手足を動かすことで、拓けることもあるだろう ―― 大体、自分に寄せられる想いの深さがどれほどのものかを知った今、どんな努力だって出来るだろ」
「・・・、・・・そうだな」

 俊輔が頷いたのを見た死神は、つと身体を引いて両手を上にあげてぐっと伸びをし、
「さて、長居しすぎた。俺は帰るよ」
 と、言った。
「・・・そうか。世話になったな」
 と、俊輔は言った。
「全くだ。こんな厄介な仕事をしたのは初めてだ ―― ああそうだ、忘れてた」

 今にも姿を消しかけていた死神が振り返った、その顔を見て、俊輔は小さく顔を歪める。
 死神の顔からは慈愛や憐れみの色は消え、普段通りの俊輔をからかう様な笑いが浮かんでいたのだ。

「・・・なんだよ・・・」
 と、俊輔はうんざりとしつつ訊いた。
「うん、あのさ、今回の事、あんたが死ぬ話だけじゃなく、そういうのがなくなった理由から何から、全てさっき志筑稜に話しておいたから。明日検査があろうがなかろうが、今日はここに泊まったりせずに品川へ帰って、この10日間の事を謝り倒した方がいいと思うよ。んじゃねー」
 と、言うだけ言って、死神は余韻も何もなく姿を消した。

 最後の最後まで自由奔放きわまりない死神が消えた空間をしばらく眺めて見てから、俊輔は途方に暮れたような深いため息をついた。