== DEATH-tiny-LabYrinTH 6 ==

「・・・そんなことだろうと思った」
 しんとした表情で死神を見据えていた稜が、言った。
「“神”なんて名前のつくものはやっぱり、ろくなもんじゃない ―― 無神論者である自分を、誇りにすら思うよ」

「・・・、すまない・・・、あまりにも考えなしなことを言った」
 と、稜の冒涜とも言える嫌味に反論する素振りも見せず、死神は言った。
「謝るな。そもそもやる気がないなら、謝罪なんて無意味だ」
 乱暴なやり方でシャツを着なおしながら、稜は吐いて捨てるように言った。
「・・・つまり何がどうなろうと、あんたは10日後、俊輔を連れて行くんだな」

 念を押され、死神は無言で肯く。
 その返答を見た稜は一瞬、強く目を閉じた。が、すぐに顔を上げて死神を正面から見、
「このことを、俊輔は知っているのか」
 と、訊いた。

 死神は再び、黙って肯く。
 稜は短く息を吐き、死神から視線を外す。

「分かった ―― もういい、消えろ。二度と俺の前に、姿を見せるな」

 稜の横顔にはもう、ショックの色はなかった。
 おそらくその気配を自分に見せたくないのだろう、と死神は考え ―― 考えながら激しく逡巡する ―― このまま立ち去ってしまって、いいのか、どうなのか、・・・・・・。

 しかしどう考えてみてもフォローする術はなく、死神は立ち尽くす稜に軽く頭を下げてから、姿を消した。

「明後日から、群馬に行くぞ」

 帰宅した俊輔に開口一番そう言われ、稜は柳眉を寄せる。

「 ―― 群馬だって?・・・なんでまた、そんな・・・」
「なんでってこともないが、俺も時々は息抜きしないと、やってられない ―― 群馬の山奥にある老舗旅館を、明後日から一週間押さえさせた。
 特に準備なんかはしなくていいが、そのつもりでいろ」

 いつも通りの俊輔の命令じみた言葉に、稜は黙った。
 俊輔は気にせず、スーツの上着とベストを脱ぎ、ワイシャツの襟からネクタイを抜き取ったが ―― そこで訝しげに振り返り、稜を見る。
 俊輔のこういう横暴なやり方に、稜はもう慣れている。慣れてはいるが、普段であれば文句のひとつやふたつ、言い出すはずなのだ。

「 ―― どうした。何か予定でもあるのか?」
 黙ったまま視線を向けてくる稜に、俊輔が言った。
「・・・予定があったとしても気にしないだろう、お前は。どうせ」
 表情を変えずに、稜は言った。
「そんなことはない。気にはするさ」、と俊輔は言った。
「・・・そうかな」、と稜は言った。
「もちろん ―― 他の予定を白紙にするのを、真心込めて手伝ってやる」
 笑いながら俊輔は言い、それを聞いて稜も少しだけ笑った。

「おい、稜。それで、予定はいいのか?」
 そのまま踵を返して立ち去ろうとした稜の後ろ姿に向かって、俊輔が訊いた。

「 ―― ああ、問題ない。楽しみにしておくよ」
 振り返らずに、稜は答えた。

 出発当日、俊輔は午前中にいくつかの仕事を片づけてから再度、品川のマンションに稜を迎えにきた。
 部屋に入ってこずに玄関先で稜を待つ俊輔に、荷物は?と稜は訊いたが、俊輔は肩を竦めて携帯と財布だけでいい。と答えた。

「たかが1週間かそこらの国内旅行だぞ。アマゾンの奥地に秘宝探索に行くんじゃあるまいし、困ったら向こうで何でも買えばいいじゃないか」
「・・・まぁ、それはそうだけどさ・・・」
「逆に何を持って行くんだ、おまえは」
 と、俊輔は下に向かうエレベーターの中で、稜が手にした小さな鞄を見下ろして、言った。
「別にたいしたものは入ってない」
 と、稜は移り変わってゆくエレベーターの階数表示を見上げながら、言った。
「読みかけの本とか下着とか・・・あとパジャマ」
「パジャマ?旅館に用意されているだろう、そういうのは」
「ああいうところは浴衣だろう?普通にしている時はいいけど、あれ、寝ているとだらしなくなっていくのが凄く嫌いなんだ」
「 ―― これはあくまでも俺の個人的な予感だが、何を着ていようと、最終的に行き着くところは同じだと思うぞ」

 にやりと笑って俊輔が言い、稜は呆れたようにため息をついてみせる。
 そこでエレベーターが1階に到着し、2人は待たせてあった車に乗り込んだ。

「・・・出来ることなら、電車で行きたかったんだけどな」
 と、ゆっくりと後方に流れてゆく都心の雑踏を見るとはなしに見ながら、俊輔が呟く。
「電車?」
 と、稜が訝しげに訊き返す。
「そう ―― ほら、お前の家で昔、よく行っていたじゃないか。電車で。旅行」
「ああ、そういえば・・・」
「今だから告白するが、結構羨ましかった、あれは。うちは休みに旅行をするとか、夢にも考えなかったからな」

 確かに稜の両親や祖父母は旅行が好きで、稜たちきょうだいがまとまった休みに入ると、毎回必ずと言っていいくらい、小旅行に出かけていた。
 稜からしてみればそれは特別な出来事ではなく、俊輔にこうして言われるまでは思い出しもしなかった。
 当時の正直な気持ちを言ってしまえば、面倒くさいとか行きたくないとか、そんな風に思ったことすら、あったと思う。

 自分にはそういう位置づけでしかなく、記憶のひっかかりにすらなっていないそれらのことが、俊輔にとっては特別な記憶として残っているのだ ―― そう考えると、どことなく切なかった。

 現在俊輔に対して抱いているわだかまりや疑問、不安や憤りの予感 ―― それらをいったん脇に押しやって、稜はさりげないやり方で身体をずらし、右肩を少し俊輔にもたせた。
 そんな稜の肩を、俊輔の力強い腕が強引に引き寄せる。

「・・・懐かしい話だな ―― 確かに家では旅行を良くしていた。バス旅行のこともあったけど」
 引き寄せられるまま、深く俊輔にもたれかかりながら、稜は言った。
「旅行で電車に乗ると、姉さんは絶対にアイスを食べたがるんだ。帰りの電車の中では、特に」
「 ―― アイス?」
「そう。ああいう列車で売られているのは大体カップアイスなんだけど、それが毎回絶対に、何年冷凍したんだ?っていうくらい、固いんだよ。木のスプーンが折れてしまうことがあるくらい」
「・・・へぇ?」
「しかもそういう時姉さんは必ず、俺にも食べろって言うんだ。俺が欲しくないって言っても、どうしてもって」
「・・・祥子さんは世話好きだったからな」

 しみじみとした口調で俊輔は言ったが、違う違う、そうじゃなくって。と稜は首を横に振る。

「それは俺が絶対に、ヴァニラアイスしか選ばないのを知ってたからなんだよ。姉さんはストロベリーとか、そういうのを食べたいんだけど、ああいうのは途中で飽きるだろう。飽きてきたら、交換しましょ、とか尤もらしいことを言って、最後は俺のヴァニラアイスを奪っていくんだ」
「・・・なんだか、イメージと違うな」
「なにも違わない。お前は姉さんを美化しすぎなんだ。あの人はもともと、高飛車っていうか、お嬢様気質っていうか、そういう部分があったよ」
「・・・つまり、そういうところ、血なんだな」

 ぼそりと俊輔が呟き、その呟きを耳にした稜がじろりと俊輔を睨みあげる。
 俊輔は飄々とした雰囲気で稜の視線を受け止めていたが ―― やがて2人は、同時に吹き出すように笑い出す。

「 ―― いつか」
 笑いが収まったところで、稜は言った。
「いつかお前と、そういう旅行が出来たらいい」

 俊輔は稜の声が聞こえないかのように車窓の景色に目をやったまま、何も答えようとはしなかった。