== DEATH-tiny-LabYrinTH 7 ==

 途中、数回の休憩を挟んで旅館に辿りついた頃には、すでに日は暮れかかっていた。
 停まった車から降り立った稜はまず、旅館を端から端まで眺め、それから首を巡らしてぐるりとあたりを見回す。

 旅館の佇まいや建物を取り囲む庭の雰囲気から、そこが最高級の旅館であることは分かった。
 が、旅館の周りには木々の影以外、何もなかった。
 聞こえるのは葉ずれの音と、どこかに流れているのだろう、川のせせらぎの音だけだ。
 おそらくあまり人目につきたくない、騒がれたくない人間が利用する宿なのだろう。

「本当に、見事なまでの山奥だな。ここに1週間?」
 と、最後に俊輔を見上げて、稜は訊いた。
「ああ、そうだ」
 と、俊輔は答えた。

 どことなく笑いを含んだ短い返答に、出掛けに聞いた“パジャマなんて必要ないんじゃないか”という言葉を思い出した稜は、
「・・・、・・・怖・・・」
 とだけ呟き、旅館の入り口へと足を向ける。
 再び短い笑い声をあげ、俊輔もゆっくりとした足取りでその後に続いた。

 日本最大の裏組織、駿河会トップに立つ俊輔が宿泊するのだから当然といえば当然なのだろうが、その旅館には稜たち以外の宿泊客の気配はなかった。
 いつも俊輔の周りを固めている数人のボディー・ガードは共に宿泊するのだろうと稜は思っていたが、彼らの発する独特な物々しい気配もない。
 いや、それどころか旅館の従業員すら、料理の給仕や簡単な掃除など、必要最低限の範囲でしか姿を見せなかった。
 それが元々旅館自体の経営方針なのか、俊輔の背景を察してそうなっているのか、はたまたそうするようにと契約がなされているのか ―― 分からないが、とにかくそれに乗じるかのように、到着したその日から3日3晩、俊輔は稜を寝室から出そうとしなかった。

 雉料理が有名だというその旅館の食事は、毎回毎回贅を凝らしたものが出されたが、それをゆっくり味わう余裕も与えられない。
 部屋には全室露天風呂がついていたが、その贅沢さを満喫する暇もなかった。

「 ―― デジャヴみたいだ」

 激しい情交の果て、夜の帳の奥底で、稜が気だるげに呟く。
 稜の細い髪をまさぐっていた俊輔の指がそこで、ふっと止まった。

「 ―― なにが?」
 すぐに指先で稜の細い髪をすくい上げては落とす動きを再開させて、俊輔が訊いた。
「最初のころ、インフルエンザを装ってお前に監禁された時だよ。あれがちょうど、こんな感じだった」
 恨めしげな声を取り繕って、稜は答えた。
 それを聞いて、俊輔は苦笑する ―― むろん、あの事を反省していない訳ではない俊輔だった。
 あんな事をしなければ良かったと、心から思ってはいる。
 だがそれはそれとして、今ではあの頃の話も2人の間では冗談めかして話のネタに出来るほどになっていた。

「あれとは全然違うだろう」、と俊輔が言った。
「・・・どこが?」、と稜が言った。
「お前が嫌がっていないじゃないか。そもそもの基本から違う」、と俊輔は言った。
「・・・あのな・・・、出された食事もろくに食べさせずに人をベッドに縛り付けておいて、何を威張ってるんだ、ったく。冗談じゃない」
 と、稜は思い切り顔をしかめて言ったが ―― そう言いながらも、どうしてこんな言い方しか出来ないのかと思う。

 先日、唐突に稜の間の前に現れた死神の言うことが本当ならば、俊輔は数日後には稜の前から消えてしまうのだ。
 死神に言われるまでもなく、こんな対応をし続けた果てに俊輔が死ねば、どれだけ後悔するか想像もつかない。

 けれど、と稜は思う ―― 俊輔は一体なんのつもりで自分をここにつれてきたのか ―― それを考えると、どうにも心が落ち着かない。

 こんな旅行をする前に、お前にはするべきこと、言うべきことが山ほどあるんじゃないのか。
 そう言って俊輔を詰ってしまいそうになる激情を押さえ込むだけで精一杯で、とても優しく俊輔に対応することなど出来そうにない。
 後で苦しむだろうこと目に見えているが、現在目の前にある疑問や憤りを丸々なかったことには、どうしても出来ない、・・・ ――――

「・・・分かりましたよ」
 黙ってしまった稜が不機嫌なのだと思ったのだろう、宥めるような口調で、俊輔が言った。
「確かに少しは旅行らしいことをしないと、ここまで来た意味がないしな ―― そうだな、じゃあ明日は榛名湖の方にでも足を延ばしてみるか?」
「・・・榛名湖?」
「そう。船井がブラック・バス釣りが趣味で時々来ているらしいんだが、気持ちがいいところだと誉めていたから」
「・・・船井さんが釣り・・・?なんだか、想像出来ないな」
 俊輔の手がさりげなく、背骨の骨の形を確かめるように降りてゆくのに身じろぎながら、稜は言った。

 船井は永山や三枝と同様、俊輔が辻村組の若頭であった頃から俊輔をサポートしている幹部の一人だ。
 昔は駿河会系組織の顧問役を勤めていたこともあるという船井は、俊輔の周りにいる極道にしては珍しく、いかにもそれらしい外見の、強面の男だった。

「あれを見たら魚の方が逃げていきそうだが、何だかっていう有名な大会で、優勝したことがあると聞いた。結構本格的にやっているらしい」
「・・・へぇ・・・、人は見かけによらないもんだな ―― そうだな、榛名湖か・・・いいかもな」
「決まりだ ―― よし、じゃあもう一度抱かせろ」
 と、言いざま、俊輔は勢い良く稜の身体を自分の下に引き込もうとする。
 稜は慌てて、俊輔の胸に両手をついた。
「なにが“よし、じゃあ”なんだよ、明日出かけるんだったら、もう寝かせてくれ」
「ちょっとでいいから」
「ちょっとって、どこまでを指すんだよ、・・・」
「これが落ち着くまで」

 俊輔は言い、言いざま、引き寄せた稜の下腹部にすでに兆し掛けた自らの灼熱を押しつけた。
 そして開け放した窓から射し込む月明かりのなか、にやりと笑う。

 肌に触れた熱と堅さの度合いに稜は深いため息をつき、
「・・・どう考えても、“ちょっと”じゃ済まないよな、これは・・・」
 と、かすれた声で言い、諦めたようにその両腕を俊輔の首に回した。