== DEATH-tiny-LabYrinTH 8 ==
次の日、俊輔の運転で予定通り、榛名湖に向かった。
朝からからりと気持ちよく晴れた日で、湿度もそう高くはなく、湖畔を散策するのには絶好の天候だった。
しばらく気ままに湖近くを回ってみてから、車を降りる。
昼食にそのあたりでは有名なのだという小料理屋で食事をした後、なんだか引退した老夫婦みたいだな。老夫婦が出かける前日にあんな欲情するもんか。等々と軽口を交わしながら、ゆっくりと湖畔の散策路を歩く。
平日だったのでそれほど観光客の姿は多くなかったが、時折すれ違う人目を避けるように、稜は散策路を外れて湖のほとりへと足を向けた。
俊輔は特に何も言わず、黙ってその後を追った。
「そういえばお前、車の運転、出来たんだな。初めて見た気がする」
水辺まで1メートルほどのところに立って、稜が言った。
「気がする、じゃなくて初めてだ。辻村組の若頭に就任して以降、自分でハンドルを握ったことは一度もないからな ―― 基本的に幹部以上になると、車の運転はしない。永山は特殊な例なんだ。バイクで事務所にくる三枝なんかは、問題外だが」
稜の隣に並んで立って、俊輔が言った。
「少しでも速度超過なんかをすると、待ってましたと言わんばかりに警察にしょっぴかれるからな ―― あいつら、そういう点ではハイエナみたいに鼻が利く」
「・・・今回は良かったのか?」
「んん、良くはないが、・・・まぁ、たまにはな」
死期が決まっているのだから、今は何をしても大丈夫だと思っているのだろうか ―― 真意をぼかすような言い方をする俊輔を横目で見ながらそう考え、稜はため息を噛み殺した。
そして噛み殺し切れなかった吐息を紛らすように、身を屈めて足下の小石を拾い上げる。
手首にスナップを効かせて投げられた小石は、湖面を2回跳ねてから、水底に沈んだ。
「・・・うーん、昔はもっと上手かったんだけどな ―― 久々で勝手を忘れてる」
もう一度小石を拾い上げながら、稜が言った。
「何度跳ねさせられるかって、昔、競争しなかったか?中学とか、高校とかの頃にさ」
「・・・いや、やったことないな。そもそも川に石を投げて一緒に遊ぶような友達は、俺にはいなかった。俺にしつこく構ってきたのは、稜、お前くらいのもんだ」
稜を真似て身を屈めて小石を拾いながら、俊輔は言った。
そして軽い動作で小石を湖面に放る。
俊輔の放った石が軽い動きで5回水面で跳ねるのを見て、稜は首を横に振って軽い笑い声を上げた。
「・・・お前って、昔からこういう奴だよな。何をさせても当然みたいな顔をして、いとも簡単に人より抜きんでてくれる」
「そうだな」
と、俊輔が頷く。
「否定しないし」
と、稜はからかうように言った。
「だって実際に、それはそうだったからさ ―― 努力らしい努力なんておおよそしたことはないが、俺は何でも、普通以上に出来た」
と、俊輔はにこりともせずに言った。
「知ってる」、と稜が言った。
「でも、それを誇らしく思ったことはない」、と俊輔が言った。
「・・・それも、知ってる」、と稜は言った。
「ふん」
と、俊輔は頷き、笑った。
「さぞかし鼻持ちのならない奴だったんだろうと、今になって思うよ ―― 前から訊きたかったんだが、お前、どうしてあんな風にめげずに俺に声をかけてきたんだ?最初俺は相当、邪険にしていたと思うんだが」
からかうような中に真剣なものが垣間見える俊輔の問いに、稜は改めて深く考え込む。
どうして自分は、ああも俊輔に拘ったのだろう。
学生時代の話だけではない、再会した時のこともそうだ。
過去にいくら親しく付き合っていたとしても、相手が極道の世界に足を踏み入れていると聞いた時点で、普通なら恐れをなして手を引くものだろう。
当時も思ったが、相手が俊輔でなければ絶対にあんな風にしつこく会いたいとは思わなかったに違いない。
だが、“俊輔でなければ絶対にしなかった”と思った理由はそもそも、なんだったのか。
突然姿を消した俊輔が心配だったというのは、大前提としてある。
大切にしていた家族と関わりのあった俊輔を、放っておけないと思ったのも、もちろんある。
頑なに、一方的に拒否されて、意固地になっていた部分も、あったろう。
だがそのどれもが、恐れや戸惑いを捨てて極道の世界に足を踏み入れる明確な理由にはならない気がした。
これまで一度も真面目に考えたことはなかったが、改めて考えてみるととても不思議だった。
「・・・、・・・そう、したかったから・・・かな・・・」
長いこと考え込んだ末に、稜はぶつぶつと言った。
そのあまりも不明瞭な回答に、俊輔は吹き出す。
「十中八九、そういう答えが返ってくると思った」
笑いながら、俊輔が言った。
「・・・だったら訊くな ―― って、おい、やめろ」
憮然として答えかけたところを抱き寄せられ、稜が抗議の声を上げる。
「俊輔、放せ ―― 人が見てる」
「気にするな。見ているのはほぼうちの関係者だ」
「どちらかというと俺は、そっちの方が気になるんだよ」
ため息混じりに稜は言い、腕をつっぱらせるようにして俊輔を押しやろうとする。
しかしその力はそれほど強いものではなく、俊輔は抵抗などほぼないようなやり方で、稜を深く自分の胸に抱き込んだ。
「愛している」
と、俊輔が呻くように、独り言のように、耳元で囁く。
最初、稜は何も言わなかった。
長い沈黙の果て、稜は諦めたようにふっと身体の強ばりを解き、同時に意地のように腕に入れていた力を抜く。
「 ―― 知ってる」
と、小さな声で、稜は言った。
その独り言のような稜の呟きを耳にして、更に腕の力を強めた俊輔の視界の端に、ふいに黒いワーク・ブーツの先と、翼の影がうつり込む。
俊輔は鋭く息をのみ、顔を上げた。が、そこにはもう、死神の姿はなく ―― 石に覆われた地面には、風にそよぐ木の影が揺れるばかりだった。
「・・・俊輔?どうかしたのか?」
唐突に顔を上げた俊輔の視線を追いかけてみてから、稜が訊いた。
「 ―― いや・・・、何でもない」
ゆっくりと稜の背中に回した腕をはずしながら、俊輔は答えた。