== DEATH-tiny-LabYrinTH 9 ==
帰り道、目に付いた店で夕食をとって宿に帰ると、既に宿の入り口の篝火には火が入れられていた。
電気とは違う、光と影を背中合わせにしたようにゆらゆらと不安定に揺れる焔の間を通り抜けたところで、ふと俊輔が立ち止まる。
「先に部屋に行っていてくれ」
唐突に足を止めた俊輔を振り返って見た稜に、俊輔は言った。
「 ―― なんだ?」、と訝しげに稜が訊いた。
「煙草」、と簡潔に俊輔が答えた。
「ああそうか・・・、分かった」
と、頷いてそのまま踵を返した稜の背に、
「ああ、稜 ―― 先に風呂に入っておけ」
と、俊輔が命令口調の声をかける。
それからにやりと笑い、
「3日強やりっぱなしだっただけに、半日やらないだけでもの凄く溜まってる気がする」
と、俊輔は続けた。
情緒も何もないその言葉を耳にした稜は振り返りかけた身体を無言で元に戻し、返事をすることなく旅館の中へと姿を消した。
旅館の出入り口で稜と別れた俊輔は、美しく手入れされた旅館の庭に流れている川に沿って作られた小道を、ゆっくりと歩いていった。
そしてその道の中ほど、川の上に張り出すように作られたあずまやの手前で足を止める。
複雑な形に折れ曲がった欄干の角に軽く背中を預け、ブルー・ジーンズのヒップ・ポケットからくしゃくしゃになった煙草のケースを取り出して火をつけた。
時間をかけて3口ほど紫煙を吸い込んだところで、視線を上げる。
俊輔が寄りかかっているのとは逆側の欄干の角に、死神が座っていた。
死神は前回現れた時と同様、重力に逆らう方向にたてた髪に黒皮のパンツを穿いていたが、上は所々破れた加工のある、Tシャツを着ていた。
Tシャツの前には、ジミ・ヘンドリックスの顔が大きくプリントされている。
姿を見せることを半ば予測していたので、俊輔はちらとも表情を変えなかった。
「このまま黙って、死んじゃうつもりなんだ?」
沈黙を破って、死神が言った。
漆黒の闇に塗られた夜空から視線を外さず、俊輔は小さく肩をすくめる。
「俺は数日後に死ぬらしいと、稜に言えっていうのか?死神がやってきて、教えてくれたんだ、と?」
「さぁね。それはあんたが決めることだろ」
と、死神はぐるぐると首を回す。
「俺はそういう直接的なアドヴァイスは出来ないんだ。話すか話さないかを決めるのはあくまでも、当事者であるあんたじゃなきゃならない。俺はただ、きっかけを作る権限しか与えられていないんだ。悪いけど」
俊輔は答えず、ただ微かに唇を歪めた。
そこには、身にならない適当な(としか、俊輔には思えなかった)アドヴァイスをする死神に呆れ果て、馬鹿にするような気配があった。
「 ―― でもいいか、これだけははっきりと言っておく」
俊輔の反応に気を悪くする様子もなく、死神は続ける。
「あんたはあと3日とちょっとで死ぬ訳だけど、あんたの恋人はその後も生きて行かなきゃならないんだ。あんたがいない人生を、たった一人でね。
そのことが指し示す意味を、よくよく考えてみるんだな」
「 ―― 考えるって、なにを考えろって言うんだ」
そこでようやくまともに、真正面から死神を見据え、俊輔が怒りに満ちた低い声で言った。
「俺はこれまであいつに、本来ならしなくてもいいような辛い思いやきつい思いをさせてきた。だがこれまでは俺が側にいて、苦しんでいるあいつを抱いて、その涙を拭ってやることが出来た。曲がりなりにも、したことの責任をとる・・・、いや、とろうとする努力をすることが出来た。だが、今回は ―――― 」
と、そこで言葉を切ってため息をつき、俊輔は手にした煙草を脇にあった灰皿に放り込む。
「・・・お前は俺があと3日で死ぬんだと言う。それが真実かどうか、俺には分からない。お前を信じていないわけではないが、はっきりとした確信が持てないんだ。つまり実際に俺が死ぬまで真実は誰にも、当事者である俺にも分からないんだ。
ただひとつ確かなことは、それが真実だと判明したときにはもちろん俺は死んでいて、あいつがどんなに苦しんでいても、俺は何一つしてやれないということで ―― そう考えると気が狂いそうになる。滅茶苦茶に叫びたくなる。なぁ、こんな残酷な話が他にあるか?」
「 ―― まぁ、あんたの考えも、分からないでもないけど」
と、死神は言い、欄干から下げた足を大きく揺らしてから地面に飛び降りた。
前回同様、今回も全く音はしなかった。
「・・・最後までそんな風にあいつを苦しめたくない。今の俺に出来ることは、最後の数日の間だけでも穏やかな思い出となる日々を過ごして、その記憶を残してやることくらいだろう」
と、俊輔は身体を反転させて川面に視線を落とし、言った。
「んー、“穏やかな思い出”と言うには、色々と激しすぎる気がしないでもないけどね」、と死神はにやにやと笑った。
「・・・貴様、人の命を取るだけでなく覗きまでやっているのか。ふざけるな、このエロ死神が」、と俊輔はじろりと死神を睨み据えた。
「担当してる人間のことは、否応もなく、事細かに、ダイレクトに伝わってきちゃうんだよ ―― 別に積極的に覗いてるとかじゃなくってさぁ」
「・・・さて、それはどうだかな」
今一つ信じられない、という口調で俊輔が言い、死神はただ微かに笑っただけで、反論はしなかった。
「ま、なにはともあれ、泣いても笑ってもあと ―― ああ、今ちょうどきっかり残り3日だ。少しでも悔いの残らないようにしてちょうだいな」
そう言って死神はこれで言いたいことは全て言い切った、と言わんばかりに口をつぐんだ。
そのまま姿を消すのだろうと俊輔は予測していたのだが、その予想に反して死神は消えなかった。
2人はその後長いこと、黙って川面を眺め続け ―― そんな2人の姿を、旅館の最上階にある部屋の窓から稜が見ていた。
間に微妙な距離を保ったまま微動だにせず、並んで立つ俊輔と死神の姿をしばらく眺めてみてから、稜は微かにため息をつく。
そしてそれから、そっと、音を立てないようにして窓を閉める。
そんな一連の稜の動きは俊輔はもちろんのこと、死神にすら、気付かれることはなかった。