Modern Love

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「そういうところ、と言われても・・・、菖蒲さんが俺に何かするとか、そういうのはないでしょうし」
 と、稜が言った。
「あら、分からないじゃありませんか、そんなこと」
 と、菖蒲が言った。

 菖蒲の口調には多少のわざとらしさはあったものの、稜に対する、明らかな嘲りめいた色があった。

 が、稜はそれに気分を害する様子もなく、
「分かりますよ」
 と、言った。
「以前菖蒲さんは俺に言いましたよね ―― 分かる人のことは1度で分かるし、分からない人のことは一生涯をかけても分からないものだ、と。
 最初に聞いたときは、菖蒲さんの言われている言葉の意味がよく分からなかったのですが ―― 今となっては分かる気がするんです。昔はともかく、今では俺は菖蒲さんのことは信用していますよ。全面的に」

 落ち着いた口調ながらもきっぱりと稜が言い切るのを聞いた菖蒲は、しばらく黙って歩き続けた。

 そしてその後、ちらりと稜を見上げ、
「一本とられた、というところね ―― くやしいわ、この私が反論の言葉をなにひとつ思いつけないなんて」
 と、菖蒲は言葉とは裏腹に、どことなく嬉しそうに笑った。
「菖蒲さんには驚かされっぱなしですから、時々は逆転するのもいいんじゃないですか?長いつきあいになると言うのが本当なら、一方的な関係だと飽きるでしょう」
「・・・そうね、それもそうだわ」

 笑いながら菖蒲が言ったところで、最初に庭に降りた渡り廊下の前に着いた。

「 ―― どうですか、眠れそうですか?」
 振り返って稜を見て、菖蒲が訊いた。
「まだ駄目だとおっしゃるのなら、逆側にも庭があります。枯山水になっていて、そちらも綺麗ですけれど」
「いえ、大丈夫だと思います ―― すみませんでした、つき合ってもらってしまって」
 見上げてくる菖蒲を見下ろして、稜が謝った。

 菖蒲は黙って小さく首を横に振って廊下にあがり、そのまま稜を部屋まで送ってくれた。

 布団に入って目を閉じた後もずっと、菖蒲の手の柔らかな温もりは稜の指先に残り、いつまでも消えなかった。

 次の日は菖蒲の車 ―― 赤のようなオレンジのような、複雑な色のコルベットだった。特注なのかもしれない ―― で嵐山を後にした。
 少々危ぶんでいた菖蒲の運転の腕は相当のもので、稜がそう言うと、永山に誉められたことがあると、菖蒲は答えた。

 こともなげな口調だったが、それが滅多にない珍しいことであるというのは、恐らく駿河会に属する人間であれば誰でも知っていただろう ―― 永山は他人の運転を滅多に誉めないので有名だった。
 運転が下手であるという自覚のある稜はもちろんのこと、幹部たちすら、永山を乗せて車を運転したくないと影で言っているくらいなのだ。

 そんな菖蒲の運転でその日の午前中は龍安寺の石庭などを見に行き、遅めのお昼を取りに、ここもやはり菖蒲のお気に入りだという祇園にある料亭に行った。
 全室個室のその料亭はいかにも高級、という雰囲気で、その部屋の窓の外には見事な紅葉が見え、紅葉の赤が日に反射して部屋が真っ赤に染まっていた。

「昨日の旅館もですが、ここもすばらしい庭ですね」

 部屋付きの女中と細々とした料理の打ち合わせをすませて目の前に座った菖蒲に、稜は言った。

「そうでしょう、紅葉の時期はこのお部屋が素敵なんです。
 でも雪が降った次の日は、この部屋の逆側の奥にあるお部屋がいいんですよ、池と松の雰囲気がとても風情があって・・・機会があったら今度、そちらもお見せしたいわ」
 と、菖蒲は言った。
「お食事がくるまで時間がありますから、もし興味がおありでしたら庭を見てこられるといいですよ。あちらをずっと奥へ行かれると ―― と菖蒲は庭の右手の方角を指さした ―― 水車があって、品評会で“地上のどんなダイヤモンドにも勝る”と賞された錦鯉が見られます」
「鯉がダイヤモンド・・・、ですか」
「ええ。その品評会では、3千万円を超える値段が付いたという話を聞きました」
「一匹の鯉にですか?」
「そうらしいですよ」
「・・・鯉に3千万ですか、・・・全く想像の範囲外の世界の話ですね」
 と、言いながら、興味をひかれた稜は立ち上がる。

「 ―― 菖蒲さんはどうなさいますか?」
「私はこれまでに何度も見たので、遠慮します。
 何度見ても、どんなに説明されても、どれが3千万円の値打ちのある錦鯉なのか、さっぱり分からないんですもの」
「ははは、それは多分俺も同じだと思いますね ―― じゃあちょっと、見てきてみます」

 稜は笑いながらそう言って、部屋から外に出ていった。
 それからものの5分もしないうちに、部屋のふすまが何の前触れもなく開かれる。

「 ―― 意外にお早いお着きでしたね」
 ふすまを開けた俊輔を見上げ、驚く様子もなく、菖蒲が言った。
「・・・稜はどこにいる?」
 鋭い目で部屋を見回してから、俊輔が訊いた。
「今しがた、そちらから庭に出ていらっしゃいました ―― 食事が出てくる前に、庭を見てくるとおっしゃって」

 視線で開け放たれた窓を指し示して菖蒲が答え、それを聞いた俊輔は無言で部屋を横切って庭へと足を向ける。
 が、同時に立ち上がった菖蒲が、俊輔が庭に出ようとする一瞬前に、外へと続くガラス戸を俊輔の鼻先で閉めてしまう。

「何の真似だ」、と俊輔は内心の不機嫌さを隠そうともせずに、言った。
「あなたに少々、お話ししておきたいことがございます」、と菖蒲は稜に向けていたのとは別人のような厳しい顔と目つきで俊輔を見上げ、言った。