TRURH ABOUT LOVE   - 12 -

 そっと優しく、包み込むように右側の側頭部を撫でられて、意識が覚醒した。
 と、同時に俺は最後の記憶に引きずられるように、頭に触れている手を掴んでしまう。
 しかし掴んだ手は、俊輔のものではなかった。

「・・・喋らなくていいですよ・・・。酷い熱が出ている」
 俊輔は?という質問が声にならない俺に、相良さんが言った。
「会長は、もうお出かけです。手当は全て私がしましたから、安心して下さい ―― 喉は乾いていませんか?多少無理をしてでも、何か食べた方がいいのですが・・・今はまだ、ものを食べるのは無理でしょうね」

 静かに訊ねられ、俺は首を横に振ってから頷いて答える。
 本当に小さな動きしか出来なかったのだが、相良さんはそれだけで全てを了解したというように微かに目を眇めた。

 常に一定値を保って変化しない穏やかな彼の対応は、俺にどんな些細な無理もさせない。
 今回のことでもそうだった。
 本家に連れてゆかれた日、何もなかったと言った俺の嘘について責めたりする素振りは一切見せず、ことの次第を知った駿河会の幹部たちが俺を説得しようとするなか、彼だけが何も言わなかった。
 状況を知った俊輔と俺の間で板挟みになって立場的に辛かったと思うが、こうして変わらず俺を気遣ってくれる。
 この特殊な世界に俺が存在するにあたって、俊輔とは別の意味で、彼の存在がなかったら俺はもっと困難な人生を送らなければならなかっただろうと思う。

「眠れるようでしたら、少し眠って下さい。次に目を覚ます頃には、もう少し気分が良くなっていると思いますから・・・それまでに何か、口当たりの良さそうなものを作っておきます」
 と、相良さんは言った。
 俺は頷き、言われるままに目を閉じた。

 俺の体調が回復するまでには、それから何日もの時間がかかってしまった。
 相良さんは精神的ダメージが大きかったのだと思っているようだったが、そのせいばかりではない。
 普段ろくに家から出ない生活をしているので、いったん体調を崩してしまうと回復が容易でないのだ。
 俺が何かしようとするとあれこれ大事になってしまうのでつい家に籠もりがちになってしまうのだが、これを機会にもう少し身体を動かすことを考えなければいけないと改めて思う。

 俺が伏せっている間、何度か菖蒲さんが来てくれて(面会は相良さんが断ってくれた。やはり女性に寝ついている姿は見られたくない)、三枝さんと永山さんがそれぞれ一度ずつ、顔を出してくれた。
 だがそんな中、俊輔は一度も顔を見せなかった。そもそもあの日以来、マンションに帰ってきていないらしい。
 実に全く、どうしようもない男だ。
 あんな男にこうも囚われている自分が、つくづく不思議だ。

 その俊輔が俺の前に姿を見せたのは結局、俺の体調が元に戻ってから更に1週間ほどが経過した日のことだった。

 約2週間ぶりに俊輔と顔を合わせた瞬間、俺は思わず失笑しそうになる。
 何故なら1週間もの間寝込んでいた俺よりもずっと、彼の方がやつれた顔をしていたからだ。
 俺に合わす顔がなく帰ってこられないでいた2週間、悩み尽くし、後悔し尽くし、自分を責め尽くしていたのだろう ―― だったら怒りに任せてあんなことをしなければいいのに ―― 本当に仕方のない男である。が、そんなどうしようもない男から離れられないでいるのは他の誰でもない、自分であることもまた、事実なのだ。

 最後に会った日に俊輔に向かって言った言葉、あれは返す刀で自分自身の弱さを斬る言葉でもあった。
 どんなやり方をしてでも。という覚悟さえ決めれば、俊輔を切り捨てることが不可能であるはずはない。
 俊輔に言ったとおり、俺の人生は俺のものなのだから。
 だが今更無理矢理に近いやり方で抱かれ、あれだけの恐怖を覚えさせられてもなお、それでも、俺は俊輔を捨てたくない ―― いや、“捨てられない”。
 どうしようもないという話をするのなら、俊輔以上にどうしようもないのは俺自身なのだろう・・・ ―――― 。

「・・・あの日のことは、謝らない」
 リビングでテーブルを挟み向かい合ってどれほどの時が経ったのか ―― ふいに俊輔が言った。
 言葉は挑発的だったが怒る気にならず、俺は頷いて言う、「構わないよ」

 俊輔は厳しい表情のまま軽く下唇を噛み、ちらりとリビングの窓へと視線を逸らした。
 しかしすぐに視線を俺へと戻し、
「念のため、確認だけさせてもらう ―― いいんだな?」
 と、言った。
 主語はなかったが、俊輔が何を確認したいかは言われなくとも分かる。
 俺は再び、黙ったまま頷く。

 複雑な気持ちがないわけではないが(当然だ)、今回の要求を嫌だと突っぱねても、同じことが繰り返されるのは明白である。
 元々女性に全く食指が動かないというならいざ知らず、そうでないことを知っている人間が俊輔に子供を、と望む気持ちは俺にも想像が出来た。
 凡庸な二世というのなら突っぱねようもあるかもしれないが、俊輔のあのブラウン管越しにも伝わってくるカリスマ性を見せられては、俺に抗う術などあるはずもない。

「どうあっても、俺はお前だけは手放してやれない。 ―― それでも?」
 と、俊輔が訊いた。
「ああ・・・お前がそう望むなら」
 と、俺は答えた。
「 ―― 俺の望みはいつも、お前だけだ。他の何がなくなったとしてもお前がいれば、あとはどうでもいいんだ」
 と、俊輔が呟く。

 ほとんど独り言に近い呟きだったが、その中にあるなにものかが、俺の心を叩いた。
 それは小さな振動ではあったが、強く、鋭く、どこか妙に心にかかる雰囲気を伴っていた。
 それを掴めればここ最近俺を悩ませていたもやもやとした正体不明の不快感が晴れる予感がしたが ―― 俺が心を揺らしたものの正体を掴む前に、俊輔が気持ちを切り替えるように大きく息を吐き、
「分かった」
 と、きっぱりとした口調で、言った。